『かのひと 超訳 世界恋愛詩集』
世界中の古典詩を集め、現代の詩人が”超訳”した詩集『かのひと 超訳 世界恋愛詩集』が話題だ。
これは、webメディアcakesにて連載されていた『超訳 世界恋愛詩集』全47篇から35篇を抜粋して再編集したもの。エミリー・ディキンソン、ゲーテ、バイロン、シェイクスピア、ヴェルレーヌ、ボリス・ヴィアンから、小野小町、在原業平、杜甫、与謝野晶子まで、世界中のあらゆる恋愛詩が集められている。
”詩”や”古典”という言葉を聞くとちょっと硬く感じる人もいるかもしれないが、実は多くの詩は恋愛を題材にしている。それは100年前、1000年前から変わらない。この本を読むと、人類の長い歴史のなかで、あらゆる人々が恋に恋い焦がれ恋に泣いてきたのだなあと不思議な気持ちになる。流行りの泣けるラブソングも、1000年前の詩も、その根底にあるものは同じだ。
あの古典、実はこんなラブリーな内容だった。
たとえば、本書の1本目に収録されている”超訳”されたエミリー・ディキンソンの詩の一部を抜き出してみよう。エミリー・ディキンソンは、19世紀アメリカの女流詩人。
愛される1時間
それを味わうために
わたしたちは苦悩で
代金を支払い続ける
その恍惚の一瞬に
心震えれば震えるほど
より多くの苦悩を
支払わねばならぬと
知っていても
(エミリー・ディキンソン『愛される1時間』より)
どうでしょう。
この詩と、「会いたくて会いたくて震える」という歌詞は、結構近いものがあるのではないだろうか?
もうひとつ、ボリス・ヴィアンの詩の後半を。タイトルは『僕は死にたくない』。
僕は死にたくない
僕のくちびるが 君のくちびるに
僕のゆびさきが 君のからだに
僕の声が 君の耳に
僕のまなざしが 残りのすべてに
溶け合うまで
くらやみでさがす ふたりの一冊
埋められぬ過去を埋めるまで
僕はくたばりたくない
(ボリス・ヴィアン『僕は死にたくない』)
めーーーっちゃロマンティック。
「埋められぬ過去を埋めるまで 僕はくたばりたくない」ってとこが個人的にツボすぎます(そしてボリス・ヴィアンは若くして死ぬんですね、それを知っていると余計響いてしまう)。
これが日本の古典になると、さらに面白くなる。
たとえば小野小町。誰でも名前くらいは知っているだろうが、小野小町が何をうたっていたかまで覚えている人はそんなに多くないかもしれない。たとえば、超有名なコレ。
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
古今集、そして小倉百人一首に選ばれているこの一種だけど、古典の知識がないと意味がわからない。それを現代の詩人が”超訳”するとどうなるか?
いまでは
花の色も あせてしまった
桜に降る 春の長雨
ほんのひととき
移ろう恋に身を寄せた
かつての私は 綺麗だった
(小野小町『そうね、私は年をとった』)
……これ、平安時代の人の詩ですよ、すごくない?(語彙力)
もう一本。与謝野晶子の『みだれ髪』から抜粋。ちなみに原文は、
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
で、これがどうなるかというと、
あなたは わたしの熱い肌
触れもしないで 世界を語る
ほんとの世界は ここにあるのに
(与謝野晶子『みだれ髪』より)
……ヤバくない?(語彙力←)
「わたしの熱い肌にも触れずに世界を語るな」って、めっちゃ挑発してる。与謝野晶子ってすごい大胆なセクシーお姉さんだったのでは……。
古今東西の恋愛詩を”超訳”する菅原敏とは。
この詩集のポイントは、”超訳”にある。超訳とは、古典詩の古い言葉の輪郭をなぞりつつ現代の言葉に意訳したもの。
著者の菅原敏(すがわらびん)は、「図書館の片隅で埃をかぶっている詩集たちの中から宝石を見つけだして、磨いてあげたかったんですよ」と語っている(cakes『ゲーテやシェイクスピアに助けられながら取り組んだ、古典詩の超訳』インタビューより)。
菅原敏は、日本の詩人。
YouTubeでの「詩人天気予報」、Superflyへの歌詞提供のほか、スターバックスやビームスとコラボレーションしたり、東京藝術大学との共同プロジェクトで「詩を街に連れ出す」をテーマに街で詩を売り歩いたり、デパートを詩でジャックするなど(日本橋三越の館内放送で詩を読む、新宿伊勢丹でマネキンを従えて詩の朗読する)、「詩のないところに詩を持ち込む」活動を続ける異色の詩人。
神楽坂のla kagu2Fでは、本書をもとにした大型展示が開催中(1/29まで)。
本日11/28より神楽坂「la kagu」2Fにて詩集『かのひと 超訳世界恋愛詩集』大型展示がスタートです。壁を赤く塗り潰して10編の詩。星マークの上に立つと、スピーカーから詩のシャワー。詩に合うワインや、朗読のカセットなども。https://t.co/XaJqmQIN7Q pic.twitter.com/PNWyhrIESR
— 菅原 敏 (@sugawara_bin) 2017年11月28日
「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて生きるのさ」
この菅原敏の超訳によって、古い詩が身近なものに感じられる。
こういう内容のものを学校で国語の時間に教えられていたのだと考えると、ちょっと不思議な気がする。と同時に、国家をあげて恋の詩を教えているなんて、なんとまあ「美しい国」なんだろうと感心もする。
「恋をすると誰もが詩人になる」とはよく言われることだが、近年は「ポエム」「ポエマー」という言葉でもって恋愛詩を揶揄するような雰囲気があった。しかし、恋によって言葉があふれてくるというこの心の動きを馬鹿にすることは誰にもできないはずだ。本書を読めば、歴史上の名作と呼ばれるいくつもの詩が、「ポエム」的な熱情によって書かれていたことがわかる。そもそもポエジーとはそういうものだし、何かを伝えたいという欲求の原初がそこにはある。
古今東西、いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて生きてきたということは非常に興味深い。1000年も昔の人間が、現在の若者と同じように誰かを愛しく思い、好きな人にLINEで長文を送りつけるように詩を書いていたーーこれって、すごく素敵なことなのでは?
いつだって可笑しいほど誰もが誰か 愛し愛されて生きるのさ
それだけがただ僕らを悩める時にも 未来の世界へ連れてく
(小沢健二『愛し愛されて生きるのさ』より)
過去から現在、そして未来へと続いていく人間の営みは常に愛とともにあった。
『かのひと 超訳 世界恋愛詩集』は、そのことを頭ではなく心でわからせてくれる。
(小沢健二『愛し愛されて生きるのさ』MV)
ちょっとしたプレゼントに。
ところで本書は、おもに女性誌で話題になっているらしい。
そこで、男性から女性へのちょっとしたプレゼントとして本書を使用することをおすすめしたい。もうすぐクリスマスだし。
『かのひと 超訳 世界恋愛詩集』は、菅原敏の超訳の他にも、すべての詩に久保田沙耶の挿画が添えられている。これもかわいらしくて、贈り物にはぴったりだ。
恋人や妻へのプレゼントに。
「最近ちょっと倦怠期かな」と感じているカップルの、いつもと違うアクセント的に。
そしてちょっと気になるあの子へ急接近するために(ただし、詩集のプレゼントは相手によってはリスクを伴うので、渡し方に細心の注意を払うこと)。
『かのひと 超訳 世界恋愛詩集』をプレゼントしたら、次はあなたの気持ちを”超訳”して伝えてみてください。きっと素敵な展開が訪れる……かも?
書籍情報
かのひと 超訳 恋愛詩集
作者:菅原敏、久保田沙耶
定価:1,700円(税別)
Amazonページはこちら
菅原敏 公式サイト
菅原敏 Twitter
菅原敏 Facebook
Text_Sotaro Yamada
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