脚本家の坂元裕二による小説『往復書簡 初恋と不倫』は、結論から言えば、傑作だ。
坂元裕二が人の心に刺さる作品を書くということは、彼のドラマを観てきたファンにとっては当然の事実かもしれないが、その当然の事実は小説にも当てはまる。これほど内容が真に迫り、感情に訴えかけ、さらに技術的にも優れていて、そして多くの人に開かれた読みやすい小説というのは、それほど多く生まれるわけではない。端的に言って、2017年のベストのうちの一冊であると思う。
坂元裕二とは
坂元裕二は、主にテレビドラマ作品を手がける脚本家。
1991年に織田裕二と鈴木保奈美が出演した『東京ラブストーリー』が大ヒットして社会現象に。「月9」という言葉はこの作品から生まれた。
2008年、菅野美穂、佐藤二朗出演の『わたしたちの教科書』で、優れたテレビドラマの脚本家に与えられる第26回向田邦子賞を受賞。他の代表作に松雪泰子、芦田愛菜出演の『Mother』(’10)、瑛太、満島ひかり出演の『それでも、生きてゆく』(’11)、瑛太、尾野真千子出演の『最高の離婚』(’13)、真木よう子、東出昌大出演の『問題のあるレストラン』(’15)、有村架純、高良健吾出演の『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(’16)など多数。
今年話題になった『カルテット』(’17)も坂元裕二の作品。
往復書簡あらすじ
『往復書簡 初恋と不倫』は、2012年と2014年に坂元裕二が脚本と演出を担当した朗読劇の小説版。
『不帰の初恋、海老名SA』(読み:かえらずのはつこい、えびなサービスエリア)と『カラシニコフ不倫海峡』という、二編の書簡対小説で構成されている。
朗読劇でこれまでに主演をつとめた俳優は、男性は高橋一生や風間俊介、満島真之介など。女性は酒井若菜、木村文乃、倉科カナなど。
あらすじは以下の通り。
<不帰の初恋、海老名SA>
「わたしはどうしても、はじめのことに立ち返るのです。団地で溺れたわたしと同い年の女の子のこと。
わたしだったかもしれない女の子のこと。」初恋の人からふいに届いた手紙。
時を同じくして目にしたニュースでは、彼女の婚約者が運転する
高速バスが横転事故を起こし、運転手は逃走中だと報じている――。<カラシニコフ不倫海峡>
「僕たちは捨てられた。問題は、さてどうしましょうか。ということですね?」アフリカへ地雷除去のボランティアに行くと言い残し
突然旅立った妻が、武装集団に襲われ、命を落とした。
一年後、後を追おうとしていた健一のもとに、一通のメールが届く。〝あなたの妻は生きていて、アフリカで私の夫と暮らしている〞
同じ喪失を抱えた2つの心は、徐々に近づいていき――。
– – – – – –
メールや手紙、二人の男女が綴るやりとりのみで構成された、息を飲む緻密なストーリー展開。
生々しい感触と息遣いまで感じられる、見事な台詞術。
「台詞の魔術師」 坂元裕二がおくる、忘れえぬ恋愛物語。切なさに胸が痛む、ロマンティックの極北。
(リトルモアブックスより抜粋)
不帰の初恋、海老名SA
『不帰の初恋、海老名SA』は、変わり者の女の子と、ちょっと意地悪な(あるいは、単に照れているだけのウブな)男の子、ふたりの中学一年生によるぎこちない手紙のやりとりから物語が始まる。
この小説の特徴のひとつは、書簡体小説であるものの、登場人物同士が手紙以外のところで実際に会い、アクションを起こしているということだ。そのため、書かれてはいないが、手紙と手紙のあいだに二人が空間的・身体的に近づいたり、離れたりすることがある。つまり、書かれていない空白の部分に二人の関係性の飛躍があり、そこで読者は想像をかきたてられる。
また、時間の飛躍もある。
中学一年生で始まった手紙の返事は、あるページを境に10年以上過ぎてから届けられる。
その間ふたりがどんな人生を過ごしたのか。
しかも、人物同士は読者と違って、過去すべての手紙を参照しながら書いているわけではないので、昔の手紙の内容は忘れてしまったりする。たとえそれが相手にとってどれほど大切なことであろうと。
忘れるということ、そのかなしさが、この小説では「かなしい」という言葉を使わずに巧みに書かれている(基本的なことだが、かなしいことをただ「かなしい」と書くのであれば、小説なんていらない。「かなしい」という言葉では抜け落ちてしまう様々のことを描くために小説という形式があるのだから)。
ややネタバレだが、手紙の主の片方は、数十年後に往復書簡を再開した直後、バスの事故に遭う。事故では多くの乗客が負傷し、死亡する。
坂元裕二はこの時の無残な様子を、他の箇所に比べてやや過剰気味に描写する。そうした過剰気味な描写は、読者に明確に「痛み」を感じさせる。
坂元裕二は、そのキャリアのほぼすべての作品において、一貫して「痛み」や「暴力」を描いてきた作家だった。
それは夜23時台の硬派なドラマでも、エンタメ寄りの21時台のドラマでも変わらない。たとえば、23時から放映されていた『それでも、生きてゆく』では少年犯罪といったテーマを通して、21時から放映されていた『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』では若年性の貧困といったテーマを通して、象徴的に語られてきた。
『不帰の初恋、海老名SA』では、「痛み」や「暴力」は、これまでとは少し違った形で描かれる。
それはとてもシンプルな言葉だけれど、普段はあまり聞かない組み合わせの言葉で、はっきりと示される。
すなわち、「その人の前を通り過ぎるという暴力(p45)」。
そしてすぐあとに続く文章で、「それは多分金槌で頭を叩くということとそう変わらないことなのだと思います」と付け加えられる。
「その人の前を通り過ぎるという暴力」という言葉はとても印象的だ。
聞いたことがない組み合わせの言葉なのに、自分の胸に手を当ててみれば、どこか思い当たるふしがある気がする。自分もこれまでにそのような暴力を何度も行使し、また行使されてきたのではないかという気がする。
こうして坂元裕二は、人間の心の奥にある病的な何かを、観た人・読んだ人の自分ごととして浮かび上がらせる。
『不帰の初恋、海老名SA』の最後の手紙は、たった2行しかない。それは日常ではありふれた、いつでも目にする簡単な言葉だ。
しかしこの物語を読んできた読者は、この2行に感情を揺さぶられることになる。
たった2行の文章がすべてを変える、とまではいかないにしろ、読後感を真逆のものにする。
最後の手紙を読んだあとの読者は、思わず最初のページを見返すだろう。そして、物語が美しく悲しい円環構造を描いていることに気付くだろう。
さすがは名脚本家、見事な構成だと唸らずにはいられない。
この物語は、書き出しの雰囲気には似つかわしくない遠い場所まで読者を運び、さらに想像しえないひねりを加えた上で、はじまりの場所に戻ろうとする。そして、戻ることなど不可能だと理解させ、絶望的なかなしみに浸らせる。
それでいて、なぜだか心をあたたかくさせる。
そうだった、「かなしい」という言葉は、「愛しい」という言葉に由来するのだった。
カラシニコフ不倫海峡
『カラシニコフ不倫海峡』も、『不帰の初恋、海老名SA』と同じく、往復書簡の相手は迷惑メールと見せかけた間接的な知り合いで、やがて二人は実際に会うことにもなる。
はじめは妻を失い死のうとしている男の話が、途中から奇妙にねじれて、これまた思いもしなかった方向へと進んでいく。ややミステリーの要素もある。
こちらの作品も、ある箇所で強烈な暴力が振るわれる。そしてその部分が他の箇所に比べると過剰気味に描写されている。
『カラシニコフ不倫海峡』のそれは、ある女性が外国で少年兵にカラシニコフ(旧ソ連製の自動小銃)で撃たれるシーンだ。このシーンは小説内でかなり際立っており、強い痛みを感じさせる。そしてその痛みを読者の自分ごととして感じさせる力がある。
作中、坂元裕二は何度も同じテーマを二人の人物に語らせる。
「世界のどこかで起こることはそのまま日本でも起こりえる(p94)」
このテーマは、一見すると当たり前の道徳のように聞こえるが、今の日本の文芸界にとっては結構タイムリーな話題だと言える。
周知の通り、第157回芥川賞は沼田真佑『影裏』に決定したが、惜しくも受賞を逃した温又柔(おん・ゆうじゅう)の『真ん中の子どもたち』という候補作について、選考委員である作家の宮本輝が次のようなことを書いた。
これは、当事者たちには深刻なアイデンティティと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって、同調しにくい。
(宮本輝「カモフラージュ」、『文藝春秋2017年9月号』芥川賞選評より引用、p383)
『真ん中の子どもたち』は「日本人と台湾人の間に生まれた主人公が中国本土に語学留学する話(宮本輝、引用元は同上)」なのだが、上の発言は文芸界隈では軽く炎上していて、様々な議論を巻き起こした。
どんなに厳しい批評でも耳を傾ける覚悟はあるつもりだ。でも第157回芥川賞某選考委員の「日本人の読み手にとっては対岸の火事」「当時者にとっては深刻だろうが退屈だった」にはさすがに怒りが湧いた。こんなの、日本も日本語も、自分=日本人たちだけのものと信じて疑わないからこその反応だよね。
— 温又柔 (@WenYuju) 2017年8月11日
その過程や内容にここでは深く立ち入らないが、重要なのは、芥川賞の候補作になるほどの作品が、読者にそれを「対岸の火事」と思わせてしまうこと、あるいはその逆、芥川賞の選考委員を何年もつとめる大御所作家がこれを「対岸の火事」だと読み、発言してしまったことの意味である。
こうした話題が注目されるということじたいが現在の文芸界をある意味では象徴しているのだろうが、坂元裕二の小説は、このような議論とは別次元にある。
この世界の痛みはすべて繋がっている。
このことは、坂元裕二の作品に触れてきた読者であればきっと当然のこととして納得できるだろう。
『カラシニコフ不倫海峡』では、それがより直接的に描かれている。「世界のどこかで起こることはそのまま日本でも起こりえる」のであって、ということは、自分にも起こりえるのだ。
この作品のモチーフは重い。「不倫」という言葉が呼び起こす一般的なイメージの何倍も重い(というか、昨今この言葉は軽さの象徴として使われているような気もするが)。
『不帰の初恋、海老名SA』よりも重いモチーフを扱っているせいか、結末も非常に重く、そこにはまったく希望がないかのように思えるーー最後の一文を読むまでは。
『不帰の初恋、海老名SA』と同じように、『カラシニコフ不倫海峡』も、最後のメールが物語全体の印象を大きく変える。しかも今度は1行しかない、日本語の中でもっとも単純な言葉だ。
おそらく、試しに終わりから読んでみても意味がわからないくらいに単純な言葉。その言葉がこの小説においては、ある種のマジックリアリズム的な働きをする。
そうして、絶望の中の希望のようなものを提示する。
痛みとかなしみを越えるために
人生は不条理で、どうしようもなくかなしい。
坂元裕二という作家は、そのことをこれ以上ないほど具体的に明確に提示する。しかも彼の作品は常に上質なエンターテインメントの形をしているので、多くの人の心にやすやすと入り込み、そして奥深くまで到達する。坂元裕二作品を見ていると、ほぼ確実に、やりきれないほどの痛みとかなしみに襲われる瞬間がある。
では、痛みとかなしみに対抗したり、それらを越えることはできないのか。そうではない。『不帰の初恋、海老名SA』と『カラシニコフ不倫海峡』で構成される『往復書簡 初恋と不倫』という小説は、痛みとかなしみを越えるためには2つの方法があると示唆している。
ひとつは、おいしいものを味わって食べること。泣きながらでもいいからしっかり食べること。
そしてもうひとつは、大切な誰かとコミュニケーションを取り続けるということ。
この2つが、これまで何度も形を変えながら描かれてきた坂元裕二の本当のテーマなのではないか。
そしてその最も直接的で具体的な作品が、小説『往復書簡 初恋と不倫』という作品なのかもしれない。
【お知らせ】
坂元裕二さんの朗読劇が収録された「往復書簡 初恋と不倫」が本日発売です!
一生さんと坂元さんの出会いのきっかけになった伝説の朗読劇。
みなさま、よろしければぜひ読んでみてください!
文字で見るとまた違う味わいです。https://t.co/WYg6aKTZo2 pic.twitter.com/bZ5atDSoYd— 【公式】火曜ドラマ『カルテット』 (@quartet_tbs) 2017年6月26日
「君の問題は君ひとりの問題じゃありません。(中略)誰かの身の上に起こったことは誰の身の上にも起こるんですよ(p16)」
「死ぬ人が簡単に交換出来るように、その手紙を書いたのがわたしだったとしても不思議ではないのです。ありえたかもしれない悲劇は形にならなくても、奥深くに残り続けるんだと思います(p59)」
「きっと絶望って、ありえたかもしれない希望のことを言うのだと思います(p72)」
(すべて坂元裕二『往復書簡 初恋と不倫』より)
書籍情報
坂元裕二『往復書簡 初恋と不倫』
単行本: 192ページ
出版社: リトル・モア (2017/6/26)
定価:本体価格1600円+税
Amazonページ
Text_Sotaro Yamada
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