書店員Xからの手紙
前回の記事(『書店員Xからの手紙(前編)文庫Xの成功は感性の衰退を象徴する』)では、「文庫X」という企画がどのようにして生まれたか、その経緯と意義を詳しく追った。仕掛け人である「さわや書店フェザン店」の書店員である長江貴士(ながえたかし)さんの声を通して、ジャーナリスト清水潔によるノンフィクション『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』(以下、『殺人犯』と表記)の衝撃や、なぜこの本を「文庫X」として売る必要があったかなど、この企画の本質に迫った。その上で、「文庫Xの成功は我々の感性の衰退を象徴する」という長江さんの言葉を引用し、ある種の問題提起をした。
今回の記事は、「文庫X」が起こした現象にフォーカスを当てていく。
Text_Sotaro Yamada
『殺人犯』から「文庫X」へ
「文庫X」は、長江さんがはじめに予想していた以上の成功を収めた。
「文庫X」が始まった時、初回の入荷は60冊だったそうだ。しかしその60冊はたったの5日で売り切れ、2016年10月だけで「文庫X」は1713冊も売れた。同月に売り上げ2位だった文庫は78冊だったことから、「文庫X」がいかに異様に売れていたかが想像できる。一日の平均売れ数が70冊という期間もあった。つまり月間売れ数2位の文庫本を一日で抜いてしまうペースなのだ。
こうして「文庫X」は成功した。それはちょっとした「現象」だった。
やがて全国650以上の書店にも広がりを見せ、『殺人犯』は約30万部も売れる大ヒットになるわけだが、一方で、長江さんにはこんな想いもあった。
「文庫Xが話題になっている状況はダメだ」
現実を変えなければならない
「文庫X」とはそもそも、先入観を乗り越えるためのひとつの方法だった。『殺人犯』という本の価値や性質から必然的に導かれた形が、表紙やタイトルや内容を隠して売る=「文庫X」だったわけで、単に書店のセールスを伸ばすためや宣伝のために企画されたものではない。だから、「文庫X」として話題になるだけでは、この企画は本当の意味で成功とは言えなかった。長江さんはこのように語る。
長江 : 「僕らの願いは、『殺人犯』という作品が多くの人の目に触れ、そのことによって、一冊の本が僕らの生きている現実を変えていくことです。だからどこかで「文庫X」という企画にピリオドを打ち、『殺人犯』により注目が集まる状況を生み出さなければならないと思っていました。そんな想いから、僕らは「文庫X開き」を企画しました。これは2016年12月9日に行われたもので、「文庫X」の中身が『殺人犯』であることを明らかにするイベントでした。当日は20社以上のマスコミの方にお集まりいただいて記者会見を行い、岩手県では解禁時刻に設定した17:30からすべてのテレビ局が「文庫X」を取り上げてくれました。また、著者の清水潔氏をお呼びし、僕が聞き役としてトークイベントも行わせてもらいました。そしてその日を以って「文庫X」という企画は終了ーー僕らはそんな風に、自分たちでこの企画を終わらせたつもりでいました。しかし、「文庫X」は決して終わりはしませんでした」
「文庫X」から生まれた歌
「文庫X開き」のあと、『殺人犯』はさらに売り上げ部数を伸ばし、「文庫X」の名前も広まっていく。長江さんも各媒体で記事を書いたりインタビューを受けたりし、『書店員X 「常識」に殺されない生き方』という本を出版するに至った。
こうした広まり方は当事者の想定を上回るものだったが、さらに斜め上をいく展開が訪れる。
2017年4月、「さわや書店」に、ある手紙が届く。手紙にはCDが同封され、こう書かれていた。
文庫Xを読んで作りました。
なんと、手紙の差出人は、『殺人犯』に影響されて音楽を作ったというのだ。そのCDを聴いた時の衝撃を、長江さんはこう語る。
長江 : 「僕らは仰天しました。歌声や歌詞から、溢れるような力強さと想いを感じたからです。辛く悲しい出来事があった時、その経験を忘れてしまおうとしたり、記憶を捨ててしまおうとしたりすることがあると思います。この歌は、そういう悲しみを抱えたまま生きていく覚悟を持つまでの苦悩や葛藤を切り取った歌だと感じたんです。捨てたり、忘れてしまったりする方が楽なのかもしれない、でもそれらとうまく折り合いをつけることできちんと前に進んでいけるーー、そういう希望を感じさせてくれる歌だと思いました。また、「文庫X」を読んだ人には、まさにその世界観が直感的に伝わるような歌でもあります。絶望や喪失感と直面せざるを得なかった人々の具体的な背景を「文庫X」を通じて知った上で聴くと、その世界観はさらに広がりを見せるのではないでしょうか。悲しみの先にあるささやかな希望を垣間見せてくれる、一筋の光のような歌です」
そしてこの歌を多くの人に聴いてほしいと思い、「文庫Xの歌」として売り出すことを手紙の差出人(歌手X)に提案。はじめは「多くの人に聞かせるために作った曲ではない」ことや、「事件が未解決であること」などを理由に断られたそうだが、説得の末、「歌手X」の承諾を得る。そして一ヶ月後から、「文庫X」と同じように、正体を明かさず、オリジナルジャケットを用意して、「文庫Xの歌」として店頭販売することになった。
すると「文庫Xの歌」も反響を呼び、三ヶ月で約300枚を売り上げる。「文庫X」は「本」という概念を越え、音楽と結びついた。
反響はさらに広がり、この「文庫Xの歌」をもって「歌手X」はメジャーデビューすることになる。
そして先日、岩手県で開催された『IBCまつり2017』のステージに「歌手X」が登場。その正体が明らかになった。
歌手X=橋爪ももとは?
そんなわけで、「文庫Xの歌」を歌っていた「歌手X」は、橋爪もも(@HasidumeMomo)さんでした!(ブログ→https://t.co/nTFECYVRxE)昨日のIBCまつりでその歌声を聴かれた方もいると思います。驚きましたよね!あのビジュアル、あの喋り、そしてあの歌声!
— さわや書店フェザン店 (@SAWAYA_fezan) 2017年9月17日
歌手Xの正体は、橋爪もも。
ロックを基調に、ダークな歌から繊細なバラードまでを主に弾き語りで歌うシンガー。その音楽性は「哀愁ロック」と言われる。ロリータ衣装は自作で、BELLRING少女ハートやSTARMARIEなどの衣装製作・提供も行う。
哀愁ロック、ロリータ、弾き語り、というベクトルの全く整わない要素のギャップが魅力だ。
橋爪ももは、『殺人犯』を読んでひどく落ち込み、気持ちを整理するためにいくつかの曲を書き始めたという。そのうち最後にできた2曲を、「文庫X」と出会わせてくれた『さわや書店フェザン店』へ送る。その後の展開は先ほど記した通り。
橋爪もも
【2017.10.25
メジャー1stSingle『願い』発売決定!】
店舗予約受付開始!文庫Xを読み書いた曲を、岩手のさわや書店さんへ送ったことが始まりでした。
ご縁で出来たこのCDを、手にして頂けたら幸いです>_<。https://t.co/nIPgtaKbDzpic.twitter.com/JIvCKF1SI7— 橋爪もも*newシングル発売決定! (@HasidumeMomo) 2017年9月28日
(文庫Xの歌『願い』視聴用映像)
こうして、長江さんたちが発した「文庫X」の想いは多くの人に伝わり、その想いを受けた人が、さらなる想いを、今度は音楽という形にして発することになった。強い想いが繋がり書店や本という概念を飛び越えて広まっていくこの過程は、言うなれば文化が生まれる過程でもあり、ダイナミズムがある。
どのような文化も、その発端は誰かの強い想いだ。清水潔のジャーナリズムと執念の取材、それを広めようという書店員・長江さんの強い想いが重なり合うことで「文庫X」が生まれ、それを読んだミュージシャンが音楽を作った。
こうした「想いの連鎖」こそが、「文庫X」最大の魅力であり功績ではないだろうか。
まだ何も終わっていない。
しかし、忘れてはならないことがある。事件は終わっていないということだ。長江さんはこう指摘する。
長江 : 「橋爪さんがメジャーデビューすることになったというのは、僕たちが感動させられた歌がより多くの人に聴いてもらえる可能性が高まるという点で非常に喜ばしいことです。しかし、『殺人犯』で描かれている事件は、まだ終わっていません。終わっていない以上、可能な限り想いを連続させて、この事件を、そして現実を少しでも変えられる力を大きくしていくことこそが何よりも大事なことだと思っています。橋爪ももさんの歌のお陰で、「文庫X」を、そしてこの事件やそれを取り巻く現実をより多くの人に知ってもらえる機会をいただくことができました。そのことに、何よりも感謝したいと思っています」
先入観を乗り越えること。現実を変えること。
この2つが「文庫X」という概念のキモであった。それらは少しずつ改善の兆しを見せているが、まだ何かが解決したわけではない。「文庫X」が成功し、『殺人犯』が売れ、「文庫Xの歌」がメジャーシングルとなる、それは素晴らしいことだが、同時に、始まりでしかない。こうした想いの連鎖が止まることなく広がり、『殺人犯』の事件が解決すること、あるいはこれに準じた事件や、本書で明らかになった問題が改善されることが、「文庫X」の真の意味での成功だ。
現実を変えることはできるだろうか?
それは長い道のりだろう。世界から不正や悪を根絶させることはほとんど不可能だし、悲しみが消えることもない。犠牲者は永遠に帰って来ないし、遺族の傷が癒えることもない。
しかし、現実を変革するどんな偉大な一歩も、はじまりは個人の小さな一歩なのだ。
何かが変わる時、元を辿ればそこには誰かの強い想いがある。
ところで、本記事『書店員Xからの手紙(前後編)』は、書店員Xである長江さんからのメールをもとに書いたものだった。だとしたら正確なタイトルは「書店員Xからのメール」ではないか?と思った人もいるかもしれない。
しかしこれにはもちろん理由がある。「手紙」とは比喩だからだ。
「書店員Xからの手紙」は、ミーティア編集部に届いたメールでもあるし、「文庫X」という企画そのものでもあるし、橋爪ももというアーティストの楽曲でもある。
それは、様々に形を変えて届き続ける、長江さんの「想い」のことなのだ。
書店員Xからの手紙は、いまだ届き続けている。
さわや書店オフィシャルサイト
さわや書店フェザン店公式Twitter
清水潔Twitter
橋爪ももオフィシャルサイト
橋爪ももTwitter
橋爪ももブログ『生乾き日記』
SHARE
Written by