「文庫X」(ぶんこエックス)をご存知だろうか?
2016年、東北のある書店が行った面白い試みが書店・出版業界を中心に話題を呼び、その後ジワジワと波のように全国各地の書店へと広がっていった。その波が2017年の今、業界を越えて音楽の分野にまで広がり、スゴいことになっている。
いったい、何がスゴいのか?「文庫X」とは何なのか?
文庫Xとは?
2016年7月21日のこと。岩手県盛岡市にある「さわや書店フェザン店」が「ある試み」を行った。
それは、本の「表紙、タイトル、内容を隠して売る」という斬新な試み。
本には特製カバーがかけられ、さらにビニールで覆われている。そのため内容を確認することもできない。わかるのは、値段(税込810円)とページ数(500pを超える)と、この本が小説ではないということ。「表紙、タイトル、内容」は本を売るためのもっとも重要な要素であるのに、なぜそれらを隠して売ろうとしたのだろうか?その理由は、「先入観にとらわれずに読んでほしい」という思いだった。
表紙の代わりにかけられた特製ブックカバーには、「どうしてもこの本を読んでほしい!」という書店員のアツすぎる想いが込められた手書きの文字が、びっしりと裏にまで並ぶ。
申し訳ありません。僕はこの本を、どう勧めたらいいか分かりませんでした。どうやったら「面白い」「魅力的だ」と思ってもらえるのか、思いつきませんでした。
だからこうして、タイトルを隠して売ることに決めました。
この本を読んで心が動かされない人はいない、と固く信じています。
小説ではありません。小説以外の本を買う習慣がない方には、ただそれだけでもハードルが高いかもしれません。
それでも僕は、この本をあなたに読んでほしいのです。
(「文庫X」表紙より一部抜粋)
するとこの想いが伝わり、企画開始から2週間で約200冊を売り上げると、その後も爆発的に売り上げを伸ばす。
そして「文庫X」は徐々に全国の書店に広がり、約650の書店にも並ぶことに。
2016年末に「文庫X」の正体がオフィシャルに明かされてからも売れ続け、現時点で30万部以上も売れる大ヒットとなっている。
文庫Xの正体ーー『殺人犯はそこにいる』
では「文庫X」の正体は何だったのか?それがこれ。
ジャーナリスト、清水潔による『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』。
本書は、栃木県足利市と群馬県太田市という隣接する2つの市で1979年から1996年にかけて起こった未解決事件(5人の幼女が行方不明になり、のちに4人が死体となって発見された)を扱ったノンフィクション。それぞれ別の事件だと思われていた5つの事件に連続性を見出し、真犯人にせまった迫真の一冊。
徹底した調査報道によって、当局による不当な捜査やずさんな証拠、虚偽の自白強要、司法による重要な事実の隠蔽などが明らかにされおり、読んでいると言葉を失うほど悲しくなり、恐ろしくなる本。それでいてページをめくる手が止まらなくなる。
そして何より恐ろしいことが、未だにこれらの事件の犯人は世間に放たれているということ。
ちなみに著者の清水潔は、真犯人と思われる人物をほぼ特定しているし、本人に接触してもいる。まだ書けない事実がたくさんあるらしいが、色々な事情によって公表できないという……。「これは映画か小説か?」と思うような信じられない事実が詰まっている。
これこそまさにジャーナリズム、というべき稀有な一冊で、清水潔の「一番小さな声を聞け」というポリシーが強く印象に残る。
本書は、すぐれたジャーナリズム作品に与えられる『新潮ドキュメント賞』や、『日本推理作家協会賞(評論その他の部門)』などを受賞している。
じわじわ広がる「文庫X現象」
『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』はそれじたいかなり優れた書籍だが、こうした重厚な書籍が「大ヒット」するほど一般の人たちの元まで届くのは難しい。
そこで「文庫X」だ。
本書が文庫化された際、書店発の新たな企画が話題となり、上述したように、「さわや書店フェザン店」を中心に多くの新しい読者を獲得。「文庫X」展開前に出版社が想定していた部数を大幅に上回るヒットとなった。
書店発の企画として、従来とは異なる流通の形を生み出した「文庫X」。良いものが中央だけでなく地方からどんどん生まれている昨今、この試みは多くの示唆に富み、様々な分野へと影響を与えている。
このような「文庫X現象」とでもいうべき現象が、ジワジワと波のように広がり始めている。
たとえば、2017年夏には新潮社が毎年行うフェア「新潮文庫の100冊」に、「ヤバい本」の一冊として『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』が選ばれた。「新潮文庫の100冊」に選ばれるのはほとんどが古今東西の小説であり、こうした重厚なノンフィクションが選ばれるのは珍しい。
また、『現代用語の基礎知識2017』には「世相語」として「文庫X」が掲載。いち書店の試みが日本で唯一の新語年鑑に掲載されるのも異例だ。
文庫X現象は音楽へーー歌手Xがデビュー
そしてさらにスゴいのが、書店や出版業界、本という概念を越えた領域にまでこの「文庫X現象」が届き始めた点である。
なんと、文庫Xならぬ「歌手X」が現れたのだ。
本書『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』にインスピレーションを受けたあるミュージシャンがいる。
その正体はまだ明かされていない。現在わかっていることは、性別が女性ということ。
彼女は、母親が群馬県出身ということからこの本を手に取り、あまりにも衝撃を受け、自分のやりきれない感情を整理するために曲を作ったのだそう。
その後、「文庫X」という形で本書を世に広めようとしている書店があることを知り、せめて「さわや書店の人には聴いてもらいたい」と、さわや書店フェザン店に一枚のCDを送った。
この曲を聴いたさわや書店のスタッフが「これは文庫Xの歌だ!」と感銘を受けた。音楽に、「文庫X」の世界を強く感じたからだ。そして書店でこのCDを売らせてくれないかと彼女に申し出る。
「歌手X」は、はじめは戸惑い、OKしなかったそうだ。なぜなら、この曲はそもそも自分の気持ちを整理するために作った曲で、多くの人々に聴かせる曲ではなかったから。
しかしさわや書店フェザン店のアツい想いは彼女にも伝わり、「文庫X」と同じやり方ならと了承されることに。
こうして「歌手X」として、「文庫X」を模したような手書きのジャケットを用意し、さわや書店フェザン店で販売することになった。
すると3ヶ月で300枚以上の売り上げを記録し、口コミなどを通してその存在が周囲に知られることになる。
そして評判が評判を呼び、9/16、AKB48のTeam8などが出演する『IBCまつり2017 in アピオ』のステージに出演することが決定した(@岩手産業文化センター アピオ 屋外特設会場)。
約3万人が集まるこのイベントで、「歌手X」の正体が明らかになるーー。
地方の書店が始めた試みは、県境や会社の枠を越え全国に広まり、さらに「本」という枠さえ越えて「音楽」にまで波及している。
すべてのカルチャーはゆるやかに繋がりあっている、ということを改めて気付かせてくれる興味深い現象だ。
音源の一部がYouTubeにアップされたので、ぜひともチェックを。
力強い歌声と、痛みを感じさせる歌詞が、『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』の著者である清水潔の「一番小さな声を聞け」というポリシーに通じる。
(文庫Xの歌『願い』『私の涙で咲いた花』)
さわや書店オフィシャルサイト
さわや書店フェザン店公式Twitter
清水潔Twitter
Text_Sotaro Yamada
SHARE
Written by