「ラフォーレミュージアム原宿」にてIAMASが発信するメディアアート展「calculated Imagination」が開催されました。
そもそもIAMASとは?
IAMASは、岐阜県にある情報科学芸術大学院大学(Institute of Advanced Media Arts and Sciences)の英語の頭文字を取った略称。メディア・アーティスト、エンジニア、研究者など、まさに社会とアート、デザインの未来を背負って立つ才能を多く生み出している場所でもあります。
今回ミーティアではそんなIAMASの卒業生であり、現在は同学校の准教授でもあるクワクボリョウタさんに会場で取材を実施。IAMASとメディアアートの魅力、今回の作品について語っていただきました。2ページ目では「calculated Imagination」に展示されている作品を紹介。ぜひその目でメディアアートの世界を体験してみてください。
クワクボリョウタ、今回の作品「風景と映像」とIAMASを語る
クワクボリョウタさん
――まず今回の作品「風景と映像」 についてお話をいただけますか?
クワクボリョウタ「風景と映像」2016年 撮影:椎木静寧 写真提供:宇都宮美術館(2016年)
クワクボリョウタの「風景と映像」(2016)は、近年展示されてきた「10番目の感傷(点・線・面)」(2010)のリミックス版とも言える作品で、模型列車が“風景”を照らし出すという基本設計は共通している。本作で、2台の列車を光源として映し出される像は、別々に動きながら時に重なり、ダイナミックな映像として立ち現れる。「見る」こと自体を問う作品である。
クワクボ:そもそもこの作品って2010年につくった作品「10番目の感傷(点・線・面)」のいわばリミックスなんです。前の作品では、光源を持った電車が一台走っていて、映った影を電車に乗っているときの風景のように見ることもできれば、上から俯瞰して全体の出来事として見ることもできました。一人称、三人称、意識的にか、無意識的にか視点がどんどん切り替わっていく面白さを表現しようとしたのが一つの作品の趣旨だったんです。今回は、電車を二台にすることで、もうひとつ別の視点が入ってきています。感情移入するとしたら対象が二つになっているので、二人称の視点が入ってきているんですね。普通に電車に乗っている風景として見ようとしてみても、もう一つの別の風景が被さってくるので、単純な感情移入を妨害する。そのことにより、また違った意識のレベルで見れるようなつくりになっています。
クワクボリョウタ「10番目の感傷(点・線・面)」2010年
――今回の作品は見るという行為の面白さがとても満ちた作品だと感じました。クワクボさんは見るという行為に対してどういった印象をもたれていますか?
クワクボ:カメラと違って人が何かを見るときは、常に何かを想起せずにはいられません。想起せずに見るというのは非常に難しいことです。この作品は、二人の人が同じ状態のものを見たとしても、結局まったく違うものを見てしまうというところが面白いと思います。他人というのは絶望的に深いレベルでまったく違うことを認識しているんじゃないか、と。
―何か、別の世界を見ている感じもしました。VR(バーチャル・リアリティ)じゃないですけど、リアルなんだけど別の世界がそこに動いているような違和感、そこに可能性を感じました。
クワクボ:周りのアーティストは新しいテクノロジーを使ったりしていますが、僕は直接的には取り入れていないんです。でも、そういう新しいテクノロジーやメディアが当たり前になっている日常の目線で見る、ということを考えています。今回の作品でも、ヘッドマウントディスプレイをかけたときに面白さと共にある一抹の違和感みたいなもの、そこと何か共通している部分がある気がしますね。
――クワクボさんはIAMASを卒業されて、今は准教授をやられているんですよね。IAMASに入ったそもそものきっかけは何だったんでしょうか?
クワクボ:もともと美術を勉強していたんですけど、その後仕事としてプログラマーをやっていた時期があったんです。プログラミングや電子回路のスキルと美術をどうにかして結び付けられないかなということを考えていて、ちょうどそういうことをやっているIAMASを見つけたんです。それが入学したきっかけですね。
――今現在はクワクボさんはIAMASでどんなことをやられているんでしょうか?
クワクボ:今は、学生と一緒に「あたらしいTOY」プロジェクトというものをやっています。アートはどんどん専門化して難しくなっていく傾向と、めちゃくちゃわかりやすくなっていく傾向の二極化してきています。それを繋ぐような事を目指したプロジェクトです。わかりやすいけど深さもあることをどうやったらできるのか、それを考えていますね。
――クワクボさんの作品って過去の作品『ニコダマ』もそうですが「とっつきやすさ」がありますよね。それこそ、小さなお子さんでも気軽に楽しめるというか。「TOY」的な親しみやすさが感じられます。
クワクボリョウタ「ニコダマ」2009年 どんな物体も「生き物化」する目玉型のガジェット
クワクボ:なんでそういうフォーマットを選んでいるかというと、間口を広げるためなんです。アートは本来文脈を背負っているものなので、そこに強く依拠していくとなかなか入り込めなくなってしまいます。なので、より多くの人にメディアアートに触れてもらうために、例えば今回の作品もおもちゃのようなフォーマットを選択しています。
クワクボリョウタ「風景と映像」2016年 日用品が作品として多く使われています。
――学生さんに教える際に大事にしていることはありますか?
クワクボ:IAMASって入ってくる学生の専門がばらばらなんですよ。なので、僕がまったく知らないことをたくさん知っている学生も多いんです。なので、彼ら彼女らがやっていることを、こういうふうに変形したら面白いんじゃないかと伝えたり、別のものと繋ぎあわせてみせたりと、そういったことをやっていますね。
――日本のメディアアートの良い点、悪い点はどんなところにあると考えていますか?
クワクボ:面白いものが多いですね、あとは新しいテクノロジーに対しての態度が非常に楽観的です。そこが、ヨーロッパ人から変わっていると言われる最大のポイントで、それは良い面でもあるし悪い面でもあると思いますね。
――IAMASの学生さんで面白い方はどんどん出てきていますか?
クワクボ:出てきていますね。目先の新しさを求めるタイプではなく、さらに先を見ている学生が多いと思います。一目見て煌びやかなものではないかもしれないですけど、長いスパンでやっていける人が増えていると思います。
――メディアアートはこれからどんどん面白くなっていきそうですね。
クワクボ:そうですね。骨太な学生が増えているのでこれからさらに面白くなっていきそうです。
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