amazarashiの新たなプロジェクト「新言語秩序」 とは?
amazarashi(アマザラシ)は2009年11月に活動を開始した覆面ロックバンド。作詞/作曲/ギター/ボーカルをつとめる秋田ひろむがつむぐ楽曲は絶望と希望を歌い、残酷でもあり美しくもある独自の詩世界を切り開きながら、着々とリスナーを増やしつづけてきた。
これまでミニアルバム含め10枚以上のアルバムと5枚のシングルをリリースしている。
そして11月7日、6枚目となる新シングル『リビングデッド』が発売された。
また、11月16日(金)には、amazarashi初となる日本武道館ライブ『朗読演奏実験空間 “新言語秩序”』が行われる。本公演のチケットはすでに完売しているが、全国の映画館でライブビューイング及びディレイビューイングされることが決まった。
実は、新シングル『リビングデッド』と武道館ライブは、秋田ひろむが立ち上げた「新言語秩序」という名のプロジェクトの両翼を担っている。
そこで本記事では、新シングル発売を受け、かつてないほど大がかりで野心的なこのプロジェクトの概要を紹介し、来る武道館ライブにリスナーの皆さんと共に備えたいと思う。
まずは、amazarashiのこれまでの歩みを、今回のプロジェクト「新言語秩序」とも密接に関わっている「MV」、「ライブ」、「小説」の3つの観点から振りかえってみよう。
1) これまでの歩み
MV
日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨に例え、僕らは雨曝だが「それでも」というところから名づけられたamazarashiは、「アンチニヒリズム」、すなわち「虚無主義に抗え」というスローガンを掲げ、意欲的に音楽活動を展開してきた。
その彼らの音楽につねに寄り添いつづけてきたのが、映像だ。最新の映像表現を開拓するamazarashiのMVは、このバンドの大きな魅力の一つになっている。
『夏を待っていました』MV
たとえば、映像作家YKBXの手掛けたMV『夏を待っていました』(2010年)は、そのセルルック3DCGアニメーションや演出が評価され、第14回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門で優秀賞を受賞している。
また、TVアニメ『東京喰種√A』のED『季節は次々死んでいく』(2015年)のMVは、レーザーカッターが生肉から文字を切り出すという世界初の試みに挑戦し、その肉を女性がむさぼりつづける衝撃的な映像を披露した。
さらに、『エンディングテーマ』(2016年)のMVは、やはり世界初となるリアルタイム人面プロジェクションマッピングに挑戦し、人間の命の終幕を最新技術によって鮮烈かつ繊細に描きだしてみせた。
先日公開されたばかりのMV『リビングデッド 検閲済み』でも、極めて実験的な試みがなされている。後述するように、このMVは「検閲」バージョンと「検閲解除」バージョンの二段構えとなっているのだ。
『リビングデッド 検閲済み』MV
amazarashiのMVは最先端を走りつづけている。
ライブ
音楽と映像という二つのエンジンを搭載したamazarashiがトップギアで爆走する場が、ライブである。
2011年6月に渋谷WWWで開催された初ライブ以来、ステージの前面に半透明のスクリーンを張り、そこに映像を投影するというスタイルを、このバンドは一貫してつづけてきた。音楽に映像の力を掛け合わせることによって、比類のない圧倒的パフォーマンスを繰り広げてきたのだ。
近年このスタイルはますます進化をとげている。たとえば、2016年10月に幕張メッセイベントホールで行なわれたライブ『amazarashi LIVE 360°』では、360°の全方位からステージを観覧できる画期的なスタイルが打ちだされた。中央のステージを巨大なLEDモニタで囲い、すべての側面に映像を出力させたのだ。こうして、360°どこからでも観客が映像を見ることが可能になった。
「朗読演奏実験空間 “新言語秩序”」と命名された11月16日の武道館ライブでも、秋田ひろむ曰く、「言葉と映像と光を駆使」した演出が計画されているという。
amazarashiは音を奏でるのみならず、光をも放つのである。
小説
amazarashiの活動は音と光をまたぎ、言葉にも及ぶ。
これまで秋田ひろむは『しらふ』『スターライト』『花は誰かの死体に咲く』『虚無病』『メッセージボトル』の5本の小説を発表してきた。
10月23日には、6本目となる新作小説『新言語秩序』がオリジナルスマホアプリ上で公開された。こちらは11月6日に第4章が更新されているので、未読の方は是非チェックしてもらいたい。
この小説は武道館ライブ『朗読演奏実験空間 “新言語秩序”』において、ストーリーの軸をなすことがアナウンスされている。
前述した『360°ライブ』においても、直前に発表された小説『虚無病』のストーリーに沿って演目が進行していたことは記憶に新しい。
もともと秋田ひろむの書く歌詞は「文学的」と称されてきた。その彼が初めて出した小説が『しらふ』だ。
2011年にリリースされたamazarashi初のフルアルバム『千年幸福論』に同梱されたこの小説は、「僕」が日々の鬱屈を吐露する一人称の語りによって構成されていた。ところが『スターライト』では一転して、秋田ひろむは幻想的な星めぐりの物語を展開してみせる。さらに、『花は誰かの死体に咲く』ではありふれた現実世界を、『虚無病』では暗澹たる虚構世界を描き、『メッセージボトル』ではふたたび現実に依拠した自伝的小説を書いている。
(秋田ひろむの小説5作)
こうして、小説という領域においても、秋田ひろむは様々な模索を繰りかえしながら、確実に進化しつづけてきた。
amazarashiは音楽、映像、言葉の各領域における表現を磨きながら、それぞれのレベルを高めてきたのだ。そして11月16日には、武道館という巨大なハコが彼らに用意されることも決まった。
amazarashiの次の一手は何か?
皆の期待が膨らむなか、その期待をも上回る、思いがけない一手が打たれた。それがプロジェクト「新言語秩序」だ。
プロジェクト? そう不思議に思った(今も思っている)リスナーも多いだろう。以下、鋭い問題意識に裏打ちされたこの野心的試みについて、詳しく見てゆきたい。
2) プロジェクト「新言語秩序」とは何か
amazarashiの新章スタート
秋田ひろむは今回のプロジェクト立ち上げに際し、次のように述べている。
前回の「地方都市のメメント・モリツアー」でバンドとして一つの大団円を迎えてしまったと僕は感じました。amazarashiをはじめたときに目標にしていた音楽と表現に一先ずではありますが、到達したのです。なので今回の武道館公演は、僕らが今できる表現を全て注ぎ込んだ記念碑であり、これからのamazarashiを占う試金石です。
『朗読演奏実験空間 “新言語秩序”』より
過去に抗いつづけてきたamazarashiの抵抗は、ひとまず区切りを迎えた。これは彼らの幼年期の終わりと言っていいかもしれない。
これから新たなamazarashiが始まるのだ。
この変化はすでに前年には萌していた。そのことを敏感に察知していたファンもいたはずだ。ぼくもまた、2017年12月に行なわれた秋田ひろむによる単独弾き語りライブ『理論武装解除』のレポートにおいて、次のように書いている。
かつて「才能不在」と歌った秋田ひろむの天才は、この日、完全に開花した。いや、正確にいえば、すでに咲き誇っていたその才能を、この日ほど彼がまざまざと見せつけたことはなかった。
(中略)
来年4月から始まるライブツアー「地方都市のメメント・モリ」では、amazarashiはおそらく従来通りの編成に戻っているだろう。しかし、そのパフォーマンスのクオリティは過去とは比較にならないほど上がっているはずだ。音楽と映像がかつてないほどの相乗効果を発揮し、その魔法のようなケミストリーから誕生する新生amazarashiを見られるのが、今から楽しみでならない。
(「amazarashi弾き語りライブ『理論武装解除』スタア誕生」)
実際には、「地方都市のメメント・モリ」はバンドに大団円を、いわば「始まりの終わり」を告げる公演として位置づけられることになったが、「新言語秩序」において、いよいよ「新生amazarashi」が全貌を現すことになる。
「新言語秩序」のテーマ
プロジェクト「新言語秩序」のテーマは「言葉」、より正確にいえば、「言葉狩り」だ。秋田ひろむは次のように述べている。
「新言語秩序」は言葉のディストピアの物語です。ディストピア物語では、権力や大きな企業が支配する監視社会がよく描かれますが、今回問いかけたいのは一般市民同士が発言を見張りあう監視社会です。そしてそれは、現在のSNS上のコミュニケーションでよく見る言葉狩りや表現に対する狭量さをモチーフにしています。昨今感じる、表現をする上での息苦しさから今回のプロジェクトを立ち上げました。
『朗読演奏実験空間 “新言語秩序”』より
巨大な権力者による一方的な監視ではなく、一般市民同士による相互監視を、秋田ひろむは問題視している。
たとえばツイッター上では、誰かのつぶやきが前触れもなく突如拡散され、不特定多数の者から批判の集中業火を浴びせられることは、決して珍しくない。炎上するネタはないか嗅ぎまわるハイエナのような者どもがウヨウヨいるのではないかと錯覚させられるほどだ。炎上を恐れてツイートを自粛する者も多いだろう。
かく言う自分も他人の目や言葉を恐れるあまり、タイムラインを開くのが怖いときがままある。言葉狩りに屈している。そう言われても、返す言葉はない。
amazarashiがこのような状況を憂えて立ち上げたプロジェクトこそが、「新言語秩序」だ。しかも、それはリスナー参加型の双方向的なものだという。
「新言語秩序」プロジェクトはリスナー皆さんで作る参加型のプロジェクトです。僕らは今までの集大成である言葉と映像と光を駆使しメッセージを届けようと試みます。そこに皆さんの意思が介入し、一つの結末へと向かいます。
傷つけられた言葉。嬉しくて嬉しくてたまらなかった言葉。そういう『言葉』の積み重ねで僕らは形作られています。是非この抵抗運動に参加して、この言葉達の行く末を見届けてください。
『朗読演奏実験空間 “新言語秩序”』より
抵抗する方法
では、具体的にどうやってこの「抵抗運動」に参加すればよいのだろうか? 「検閲」を解除することによって、である。
「新言語秩序」プロジェクトは「検閲」と「検閲解除」の二層から構成されている。いや、表裏と言ったほうがよいかもしれない。
ぼくらの前にはまず、表の顔が差しだされる。しかし、その顔は大部分が黒く塗りつぶされており、表情が隠されている。裏にある本当の顔に日の光をあてるには、「検閲解除」して黒塗りを落とす必要がある。
武道館ライブも、ニューシングル『リビングデッド』所収の『独白』も、『リビングデッド』MVも、すべてがこの「検閲」と「検閲解除」の表裏をもっている。そして、いずれもリスナーが抵抗運動を展開する闘技場となっている。
たとえば、現在スマホアプリ上で公開中の小説『新言語秩序』でも、最初ぼくたちが目にするのは、黒塗りの文章だけだ。内容を詳しく知るためには、「検閲解除」ボタンを長押しして、その黒塗りを除去しなければならない。
また、スマホアプリのほか、YouTubeでも公開中の『リビングデッド』MVは、すでに検閲されているため、秋田ひろむの歌詞がすべて「テンプレート言語」に置き換えられている。
「テンプレート言語」とは、小説『新言語秩序』に登場する自警団「新言語秩序」によって、過激な要素を排して骨抜きにされた言葉のことだ。
たしかに、「テンプレート言語」からは暴力的だったり卑猥だったりする表現が注意深く取り除かれている。それは汚らしいものに関わろうとせず、自らの潔白を主張する。
だが言語というのは本来荒々しく、猥雑なものだ。「テンプレート言語」は、いかがわしさを拭きとられた夜のように、言語に備わっているはずの魅力を完全に喪失している。言葉を駆使してあがきつづける秋田ひろむの歌を聴くためには、アプリで「検閲解除」ボタンを長押ししなければならない。ボタンを押す選択はぼくらに委ねられる。
これが、「「新言語秩序」プロジェクトはリスナー皆さんで作る参加型のプロジェクトです」と秋田ひろむの言う所以(ゆえん)である。11月16日の武道館公演においても、スクリーン上に施された検閲をこのアプリによって解除することが期待されている。
小説、ライブ、音楽、MVという各メディアを横断する今回の試みは、その壮大さゆえに、「プロジェクト」という名称にふさわしいと言えるだろう。
ところで、ぼくたちはこのプロジェクトをインタラクティブ(双方向的)なアートやゲームのようなものとみなすべきだろうか? ここで立ち止まって考えてみなくてはならない。これはゲームなのか、と。このゲームをクリアすれば、相互監視社会を憂える秋田ひろむの不安は解消されるのか、と。いや、そもそも、相互監視社会そのものが解消されるのか、と。
最後に、「新言語秩序」プロジェクトを通して秋田ひろむが提起した問題について、真剣に考えてみたい。以下、やや難しい事柄を扱うので、共に考えたいという方だけ、お読みください。
現代史との接点
「新言語秩序」という名称自体は、ジョージ・オーウェルの有名なディストピア小説『1984年』に出てくる「ニュースピーク」(新語法)にヒントを得ている可能性がある。だが内容的には、「ニュースピーク」は小説『新言語秩序』における「テンプレート言語」により近い。どちらも平準化され、規範化され、去勢された言葉だからだ。
ところで『1984年』が書かれた背景には、ソ連のスターリンによる独裁政治があるといわれている。この小説は歴史的に極めて深刻な問題を射程に捉えているのだ。したがって、『1984年』からの影響を感じさせる小説『新言語秩序』にも、さらにはプロジェクト「新言語秩序」にも、やはり深刻な問題を読みとるべきだとぼくは思う。
『1984年』
秋田ひろむが監視社会のタイプを二つに分類したのは、まさに慧眼である。彼はこう述べていた。「権力や大きな企業が支配する監視社会がよく描かれますが、今回問いかけたいのは一般市民同士が発言を見張りあう監視社会です」。つまり、巨大な権力者による監視(マクロ的監視)と、一般市民たちによる相互的な監視(ミクロ的監視)の二種類だ。
20世紀最大の思想家の一人ミシェル・フーコーは、『監獄の誕生』という本のなかで、非常に興味深い指摘をしている。彼によれば、フランス革命以後の近代ヨーロッパ国家においては、一望監視システムと呼ばれる機構が整備されてきたという。具体的には、監獄、学校、病院などにそのシステムが顕著に見られる。それは人々を監視し、処罰し、矯正する役目を負っている。一望監視システムは最初マクロ的監視によって人々を服従させる。だが、やがてミクロ的監視によって人々が自ら服従するよう仕向ける機構へと、洗練されてゆくという。
『監獄の誕生』
『1984年』とも関係する、スターリン政権下のソ連から例を挙げよう。1930年代のソ連では独裁体制が厳しく敷かれていた。これは巨大な権力者による監視社会(マクロ的監視)といえる。ところが、その権力が肥大化するにつれ、監視社会の様相も変化しはじめる。一般市民による監視(ミクロ的監視)が徐々に強化され、密告が横行するようになるのだ。
当時、物言う作家たちは「二枚舌」や「イソップの言語」と呼ばれる裏表のある言葉を作品のなかで用いることによって、つねに言い逃れの道を用意し、監視の目を逃れ、この困難な時代を乗り切ろうとしていた。しかし、監視社会は決壊し、悲劇が起こる。
1937年、人類史上稀にみる大虐殺がソ連で行なわれた。作家をはじめ、数多の一般市民が犠牲になった。現代史の授業で習った人もいるだろう。教科書では「大粛清」と書かれるが、これは「大虐殺」を意味している(「虐殺」はしばしば「粛清」や「浄化」というキレイな言葉で表現されるのだが、これはぼくたちが無自覚に使っている「テンプレート言語」ではないだろうか)。
問 世界史上有名な悲劇と、日本の1ロックバンドの1プロジェクトを比較するのは、大袈裟だろうか?
答 はい。
問 最期まで言葉で抵抗した作家たちの声を、秋田ひろむの声に重ねるのは大袈裟だろうか?
答 …はい。
問 では、市民が互いを監視しあっていたソ連社会を、世界中の言葉を監視しあうSNS(ソーシャル・ネットワーキング・システム)と比較するのは大袈裟だろうか?
答 …。
事の大小にかかわらず、問題の本質は一致している。監視と抵抗だ。なるほど、「新言語秩序」プロジェクトは日本の1ロックバンドの1プロジェクトに過ぎない。それはゲームのように楽しむことさえできる。しかし、秋田ひろむはただリスナーを楽しませるためだけに、このプロジェクトを立ち上げたのではないと、ぼくは信じる。それはもっと大きく、高く、深い。
もともとぼくにとってamazarashiの歌はカッコイイ歌ではない。娯楽でもない。作業用などでは断じてない。それは自分との対話であり、友からの慰め、叱咤であり、傷であり、抱擁である。ぼくは世界一amazarashiを必要としていた。そこに歌われる挫折も嫉妬も苦悩も、自分の右手のようによく知っている。知っていると思っている。そう思っている人は、「ぼくは世界一amazarashiを必要としていた」という言葉をきっと笑わないはずだ。
だからこそ、amazarashiの今回のプロジェクトの重さを、問題提起の深刻さを、それとできるかぎり同等の深刻さをもって受け止め、そのうえで、この問題を共に考えたいのだ。
「監視と抵抗」は、より比喩的に、「重力と跳躍」とパラフレーズすることもできる。そうすれば、『リビングデッド』所収の『月が綺麗』のテーマとも重なってくるだろう。たとえ空を自由に飛べずとも、跳ばねばならない。この意志こそが、「抵抗運動」を燃え上がらせる最大の薪(まき)ではないだろうか。
〈リリース情報〉
amazarashi New Single『リビングデッド』
発売日 2018/11/7
・初回生産限定盤 [CD+新言語秩序バリケードテープ]
AICL-3590
2,300円(税込)
1.リビングデッド
2.月が綺麗
3.独白(検閲済み)
4.リビングデッド -instrumental-
5.月が綺麗 -instrumental-
・通常版
AICL-3592
1,280円(税込)
1.リビングデッド
2.月が綺麗
3.独白(検閲済み)
〈ライブ・イベント情報〉
amazarashi Live『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』LIVE VIEWING
2018年11月16日(金)19:00開演
全席指定 3,600円
amazarashi Live『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』DELAY VIEWING
2018年11月25日(日)19:00開演
2018年11月26日(月)19:00開演
※2018年11月16日(金)公演の再上映となります。
全席指定 3,600円 ※限定チケットホルダー付
LIVE VIEWING & DELAY VIEWING 特設ページ
シークレットゲリラショップ
2018年11月10日(土)
10:00~20:00 ※8:00に整理券を配布予定
都内某所 ※11月6日にオリジナルスマホアプリ『新言語秩序』にて「検閲解除」して公開
限定デザインのアイテムのみを扱うショップ。限定アイテムはショップでの販売が先行して実施され、在庫が残った場合のみオンライン販売も実施する。オンライン販売の際は、限定Tシャツ “101 Wearable Lyrics” は、サイズとカラーのみ指定でき、歌詞はランダムで発送される。好きな歌詞を選ぶには、ショップへの来場が必要となる。各種アイテム詳細は後日特設サイト上で公開される予定。
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