中井貴一・佐々木蔵之介主演。映画『嘘八百』のロッキー感:再起して夢を取り戻すおじさんたち
1月5日に公開された映画『嘘八百』。骨董と千利休を題材にした渋さ、個性的で平均年齢の高い「おじさんアベンジャーズ」的なキャスティング、随所にあふれる笑いなどで、「初笑いにぴったりの映画」と話題だ。確かに笑いの要素は強く、コメディとして面白く鑑賞できる映画なのは間違いない。しかし本記事では、「男たちが夢を取り戻す熱い映画」という視点で紹介してみたい。
まずは予告編をチェック。
(映画『嘘八百』予告編)
あらすじは以下の通り。
千利休を生んだ茶の湯の聖地、大阪府堺市。ラジオの占いに導かれるようにしてやって来た「古美術獺(かわうそ)」の小池則夫(中井貴一)は、古い屋敷の蔵に眠っていあ利休ゆかりの茶碗を発見。大物狙いで空振りばかりだったが、ついに目利きの本領発揮、掘り出し物のお宝獲得……と喜んだのも束の間、ニセモノと気付いてガックリする。
屋敷の主になりすまして則夫を騙し、まんまと百万円をせしめたのは、落ちぶれた陶芸家の野田佐輔(佐々木蔵之介)だ。佐輔を追って彼のアパートに上がり込んだ則夫は、自分たち二人が過去に同じ相手に騙されたことを知る。20年前、今や大手美術商となっている樋渡(芦屋小雁)とグルの大御所鑑定家、棚橋(近藤正臣)にニセモノをつかまされ、信用を落として何もかも失った則夫。そのニセモノを作ったのが、樋渡らに利用されてあくどい商売の片棒を担がされた佐輔だった。
佐輔の腕を見込んだ則夫は、二人で手を組んで樋渡と棚橋に一泡吹かせることを提案。本物よりもすごい利休の茶碗のニセモノを作り、大金を巻き上げるのだ! 果たして、家族から国まで巻き込んだこの大勝負の行方はーー?
(公式パンフレットより引用)
『百円の恋』のコンビふたたび
本作の監督は武正晴。脚本に足立紳と今井雅子。と聞いてピンと来た人もいるかもしれないが、武×足立コンビと言えば、安藤サクラと新井浩文が主演した『百円の恋』のタッグだ。2014年に公開された本作は、日本アカデミー賞をはじめとする数々の賞を総ナメにしたこの年一番の話題作。アカデミー外国映画賞の日本代表にも選ばれ、’10年代を代表する映画になった。
(映画『百円の恋』予告編)
不器用でどん底生活を送っていたひきこもりの女がボクシングを通して変わっていく様は感動的で、多くの人々の心を熱くさせた。そんな『百円の恋』の2人がふたたびタッグを組んだとなれば、それだけで観るべき映画なのは間違いないわけだが、今回は骨董? 千利休? 『百円の恋』の肉体的なイメージからはちょっと遠く感じる。『百円の恋』は、ED曲で尾崎世界観が「痛い」と連呼せざるを得なかった(クリープハイプ『百八円の恋』)痛みのある映画だったが、果たして今回は?
痛みを隠して生き続けるおじさんたち
「豪華なキャストがボケまくる、笑える映画」という視点で紹介されている『嘘八百』。
たしかに、中井貴一、佐々木蔵之介をはじめ、友近や塚地武雅、芦屋小雁、近藤正臣、坂田利夫、木下ほうかといった面々が、味わい深い演技とテンポの良いボケ&ツッコミで終始笑わせてくれる。特に塚地武雅のキャラクターは強烈で、彼が喋るたびに劇場では笑いが起きる。
そんなコメディ映画にも、やはり痛みがあった。
中井貴一演じる小池則夫は空振りばかりの古美術商。佐々木蔵之介演じる野田佐輔は落ちぶれた陶芸家。どちらもかつては未来に夢を見て、しかし大きく挫折し、その後の人生を本意ではない形で過ごしている。夢破れ、家族との関係も悪化。それでも生きるために、自分の痛みを隠しながら(あるいは痛みから目をそむけながら)生きている2人。
映画の冒頭ではこの2人にどんな痛みがあるか気付かないが、物語が進むにつれて、彼らの抱える痛みが明らかになる。映画全体に通底するコメディタッチとのギャップが、彼らの痛みをより強く印象付ける。
夢は、必ずしも叶うものではない。そして社会で生きるためには、叶わなかった夢に執着するのではなく、諦めたかのように振舞わなければならないことが多々ある。この映画の主役である2人のおじさんは、夢を諦めたかのように振る舞い、痛みを隠さなければならない人生を過ごしていた。
では、どうやって痛みを隠すか?
内容においては「詐欺」という手段で描かれているが、本作がコメディタッチに描かれていることも、この問いの答えになりうると思う。つまり、痛みを隠すために笑いが必要とされているのだと。
大人は、多くの場合、痛みを隠して生きているものなのだ。
そう考えると、本作には、笑いよりも泣きの要素を見出すことの方が自然かもしれないという気がしてくる。
再起するおじさんたち
そんな「痛みを隠して生きるおじさんたち」が、偶然の導きによって出会ってしまう。そして、失った夢を取り戻そうとする。彼らの目的は「本物よりもすごい利休の茶碗のニセモノを作り、自分たちをハメた奴にひと泡ふかせる」こと。
作中で、佐々木蔵之介演じる佐輔が作陶(陶器を作ること)するシーンは、彼の言葉を借りれば、『ロッキー』が黙々とトレーニングするシーンを彷彿とさせる。ピークを過ぎたおじさんボクサーであるロッキー・バルボアの憂いある戦う姿と、イカサマ古美術商&落ちぶれ陶芸家の姿は重なり合う。どちらも再起を賭けた自分との戦いを戦っているからだ。
つまり本作は、夢と自分自身をもう一度取り戻すために、男たちが再起を賭けて戦う映画なのだ。
(ということは、『百円の恋』と同じテーマが根底にある)
嘘八百でしか伝えられない真実
存在しない利休のニセモノ茶碗を作るという行為と、それを売ろうとする行為は、嘘に嘘を塗り固めた行為でもある。本作の主人公たちは、敵よりも上等な嘘で戦う。
しかし、本作における「嘘」はむしろ、「虚構」という言葉に置き換えた方がいいかもしれない。
一世一代の嘘八百を並べて鑑定家や文科省の役人を騙す則夫(中井貴一)の姿は、一見するとおかしみのあるニセモノのスピーチだが、実は、痛みを隠して生きて来た佐輔(佐々木蔵之介)の心情を代弁する真実の言葉でもある。
このシーンは、嘘=虚構がもっともリアルな真実を伝えるという、フィクションの本質に迫るシーンだと言える。
映画とはひとつの大きな嘘=虚構であり、嘘=虚構でしか伝えられない真実がある。そうした暑苦しい議論を、軽やかなコメディタッチで描いた『嘘八百』。
おじさんたちの過去に想いを馳せながら感傷的に観ても、フィクションの在り方を考えながら真剣に観ても、豪華キャストのテンポの良いやり取りに笑いながら観ても楽しめる映画なので、おすすめです。
作品情報
『嘘八百』
監督:武正晴
脚本:足立紳、今井雅子
出演:中井貴一、佐々木蔵之介、友近、森川葵、前野朋哉、堀内敬子、坂田利夫、木下ほうか、塚地武雅、桂雀々、寺田農、芦屋小雁、近藤正臣
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