ぼくのりりっくのぼうよみは最新作『Noah’s Ark』で、「虚構」「疑い」「偽物」「色褪せる」「ぼやけた」といった、真実の対極に位置するような「不鮮明さ」や「疑わしさ」を感じさせる言葉を多用している。「虚構」「偽物」といった言葉は、都合よく真実を捻じ曲げる昨今の「post-truth」という時代背景を想起させる。ぼくのりりっくのぼうよみ自身、CAMPFIREのオウンドメディアのページを通じてキュレーションメディア問題に言及しており、本作『Noah’s Ark』をオウンドメディアとセットで扱うことで、「post-truth」の時代への一つの応答と受けることができる。
ミーティアは、そんなぼくのりりっくのぼうよみにインタビューを行い、『Noah’s Ark』に収録された個々の楽曲、テーマから、その背景となる「post-truth」の時代に至るまで、話を聞いた。
Interview_Arato Kuju、Sotaro Yamada
Edit_Sotaro Yamada、Michiro Fukuda
https://youtu.be/dlMN-_8dxos
(ぼくのりりっくのぼうよみ『Be Noble』MV。映画『3月のライオン』前編主題歌)
ぼくのりりっくのぼうよみ『Noah's Ark』とpost-truthな世界
――最新作『Noah’s Ark』は、この時代に溢れる情報の波を、旧約聖書『創世記』に描かれる「ノアの方舟」に見立てた作品ですよね。洪水は、時に人の命を奪う暴力的な存在です。情報の波、ひいてはバズ、ソーシャルメディアといったものに暴力性を見出した上でアルバムを制作されたと思うのですが、どうでしょう?
ぼくのりりっくのぼうよみ:そうですね。暴力性というか、「完全に殺されてるな」って思いまして。旧約聖書「ノアの方舟」は水によって命が奪われますけど、今起きてることって、情報によって自由意志が奪われてることだなと思って。それがきっかけでこのアルバムを作り始めました。
――アルバム全体を聴くと、「虚構」や「疑い」など、「不鮮明さ」や「疑わしさ」を感じる言葉が多用されていると感じます。ぼくりりさんにとって、いまの世の中はどう映っているのでしょう?
ぼくのりりっくのぼうよみ:僕たちはいろんな形、いろんな原因で自由意志を喪失していってると思うんです。その原因のひとつが「情報の氾濫」だと思っているんですよね。
情報って、自分で取捨選択して中身を反芻して理解することが大事ですよね。取り入れて、咀嚼して、いろんなソースを調べたり自分の経験と比較したりして、そういう一連の作業が終わって初めて「理解する」ことに繋がる。「1. 情報をインプットする」「2. 咀嚼して理解する」「3. アウトプットする」という作業の、「2. 咀嚼して理解する」が抜けてるなと思っていて。それこそ、アメリカ大統領選とフェイクニュースの関係がまさにそうですよね。こういったポスト・トゥルース(post-truth)な状況って、感情に負けて自由意志や理性が完全になくなってしまっていると思っていて。
(※フェイクニュース……2016年のアメリカ大統領選挙には、出所不明のデマや陰謀論などの嘘のニュースである「フェイクニュース」が影響を与えたと言われている。東欧、マケドニアの若者たちが100以上もの政治メディア風サイトを作り、莫大な広告収入を得ていたことが話題となった)
(※post-truth……客観的な事実ではなく、個人の感情に訴えかける方法が重視されるような状況のこと。「post」は「重要ではない」の意。イギリスのEU離脱や、アメリカ大統領選でドナルド・トランプが大統領に選ばれたことなどが背景にある。2016年、英オックスフォード大学出版局辞典部門によって2016年「今年の単語」に選ばれた)
あんまり音楽に興味がない
――アルバムと並行して、オウンドメディア『NOAH’S ARK』もリリースされました。post-truthという時代背景を踏まえると、ものを考えるためのツールとして、この試みはとても面白いと思います。『NOAH’S ARK』第一回の落合陽一さんとの対談を早速読ませてもらったんですが、すごく面白かったです。そこで聞きたいのが、まず、ぼくりりさんは落合陽一さんの著書『魔法の世紀』や『これからの世界をつくる仲間たちへ』に対して、どんな感想を抱いていますか?
ぼくのりりっくのぼうよみ:いや、もうその通りだなーと思って。こういう風になっていくのかなっていう。落合陽一さんって、ニヒリズムがすごいんですよ。生きる目的はないし、自分がやってることにも特に意味がない、そう諦観した上で、一周回ってだからこそ頑張ろうみたいな。積極的なニヒリズムというか、ツァラトゥストラ的な感じが面白い。
――実際に会ってみて印象は変わりました?
ぼくのりりっくのぼうよみ:本当に無限に言葉が出てきて、「ああ、あああああ」みたいな感じで圧倒されました(笑)。
――ぼくりりさんはミュージシャンで、落合さんは研究者で、通じ合う部分があるとしたらデジタル・ネイチャーっていうところだと思うんですけど、落合陽一さんの言うデジタル・ネイチャーが実現した場合に、音楽の形ってどう変わると思いますか?
ぼくのりりっくのぼうよみ:僕、あんまり音楽興味なくて。自分が作る上ではいいんですけど、他の人の音楽ってあんまり聴かなくなってきましたね。だから、未来の音楽の姿っていうのも考えることがなくて、「どうなるんだろうね」っていう、割と他人事感あります。もとから趣味のひとつで始めただけだったので、これがなくなると死ぬってわけでもないですし。
――では少し話を変えて、人工知能についてはどう思いますか? たとえば、人工知能を本格的に音楽制作に使えるようになったら自分の仕事が奪われてしまう、という危惧はありますか?
ぼくのりりっくのぼうよみ:仕事になってから日が浅いせいもあって、そういうのはないですね。人工知能に「ディテールこんな感じで、カッコ良い曲を作ってください」って入力して自動で5秒くらいで出てくるようになったら、めっちゃ嬉しいなと思います。それでカッコ良いものができるなら全然いいと思いますけどね。
――「こういった曲を聴きたい」って言ったら、各個人の人工知能が好きな曲書き分けたりするようになったりとか。
ぼくのりりっくのぼうよみ:ああ、ソムリエ的な意味でですよね?
――そうです。そうなると、みんなで音楽を聴くということがなくなっていくのかもしれないですよね。
ぼくのりりっくのぼうよみ:どうなんでしょうね。希望的観測ですけど、そこのクロスオーバーみたいなものは人間にしかできないんじゃないかという気もします。人と人との関係って、ちょっと違うじゃないですか。「君はそういうのが好きかもしれないけど、僕の好きなこういうのはどうですか?」みたいな。そういう偶発性やランダム感はまだ出せないのではと思いつつ、でも実情がわからないんで、何とも言えないですけど。
偏見や無意味な常識に捉われてない人に会いたい
――オウンドメディア『NOAH’S ARK』の対談相手はどういう基準で選んでるんですか?
ぼくのりりっくのぼうよみ:普通にもう、会いたい人ですね。偏見や無意味な常識に捉われてない人に会いたいなっていうことです。
なんと。ぼくりりさんと対談させていただきました…!!!とても刺激のある素敵な時間でした。ぜひたくさんの方に読んでいただきたいです(*^^*)
オウンドメディア「Noah’s Ark」#ぼくりりhttps://t.co/pwP32rATjv pic.twitter.com/u4GWJjOSwD
— 紗倉まな (@sakuramana0000) 2017年2月13日
――ぼくりりさんは「情報」を「洪水」に見立てていますが、ある意味では、ぼくりりさんのメディア自体も、「洪水の中のひとつの情報」と捉えることができますよね。
ぼくのりりっくのぼうよみ:自分的にはそういう情報の海の中をサバイブするための船とオールみたいなイメージです。それがもし泥船だったらすぐに溶けて情報の濁流の一部になっていくと思うので、だから船にしたいです!って感じです。僕は割と単純に、自分が話してて楽しいと思えるような人が増えればいいなと思ってて。「人類はこうなるべき」とかそういうのではなくて、単純に僕が好きな世界に近づいていけばいいなという。だから、みんなを啓蒙したいという気持ちも多少はありつつ、もっと大きい部分でそういうことを考える人が周りに増えればいいなと。それって、「周りの人を変える」ことと「そういう考えの人を惹きつける」ことっていう2パターンのアプローチがあると思っていて。その両方が一手にできる手段なのではと思って、メディアをやり始めたっていうところがあります。
――ツイキャスなどを見て、最近のぼくりりさんは「世界を変えたい」っていう気持ちが強くなってきたのかな、と思ったんですけど、そうでもないですか?
ぼくのりりっくのぼうよみ:僕、最近、世界っていうのがよくわからなくてですね。本当に主観でしかないっていうか。自分の見てる景色、自分の見てるTwitterのタイムラインしか世界は存在しえないんだなっていう……。
――でも、主観しかないとしたら、それだけを見ていて本当にものを考えていると言えるんでしょうか?
ぼくのりりっくのぼうよみ:あー、分かるんですけど、認識はできないというか。プレイヤーごとにいろんな世界が無限にあるので。「世界を善くする」の定義もよくわからないし。誰の世界をどう善くするのか……。
――「善い」ってなに?っていう。
ぼくのりりっくのぼうよみ:そうです。そこに繋がっていくので、まあ、追い追い考えればいいかな。とりあえずいま楽しいことをしようって感じです。だから本質的にはクラブに行って「わー」って人たちと変わらないというか、何が楽しいと思うかの差といいますか。そんな感じだなと思うんですけど。
――自分の好きな人を選んで対談していくと、サンプルが偏ってきますよね。それって、「哲学的ゾンビ」を批判しているぼくりりさんの意見とバッティングしないですか?
ぼくのりりっくのぼうよみ:それはすごいありますね。たとえば、僕のメディアの内容をただ僕みたいに繰り返す人を量産するだけなんじゃないかと。その批判はわかるけど、それを言われてもじゃあ何も言わないのが正解なんですか?ってなっちゃうし、そこはある程度諦めが必要というか。
――逆に、全然話が合わなそうな、すごく嫌いな人を対談相手に選ぶのっていうはどうでしょう?
ぼくのりりっくのぼうよみ:それは面白いかもしれませんね。殴り合いみたいな対談。そういうのをやりたいんですよね。
――クラウドファンディングのリターンにも書いてましたね。「尖った話、しましょう」って。
ぼくのりりっくのぼうよみ:予定調和感みたいなのが好きじゃないんですよね。
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