大塚 愛が2年9ヶ月ぶりのシングル『私』をリリースする。本作は、ドラマ『嫌われる勇気』の主題歌で、「過去や未来、他人の評価に捉われず、私をもっと生きよう」というテーマで制作されたという。
大塚 愛といえば、ピンクのギターを片手に歌う『さくらんぼ』を思い浮かべる人も多いだろう。2003年にリリースされた同曲は、今でもカラオケでは定番ソングとして歌われ、甲子園では応援曲としても使われている国民的ヒットソングだ。
あれから14年。当時「もし遠い未来を 予想するのなら」とキュートに歌った女の子は、あの頃の遠い未来にいる現在の「私」をどう語るのか? 今だから言える昔のこと、女性としてこの時代を生きること、さらには、「良い年の重ね方」や「魅力的な男性とは?」まで、大人の魅力に溢れた綺麗すぎる大塚 愛にインタビュー!
Interview & Text_Sotaro Yamada
(大塚 愛『私』MV。胸を張って街を歩きたくなる、大人カッコ良いMV)
大塚 愛が「私」を語る
――新曲『私』聴かせていただきました。とても前向きで、背中を押されるような曲だと思いました。まず聞きたいんですが、今の大塚 愛さんにとって、「私」を語ることはどのような意味を持つんでしょうか? というのも、大塚 愛さんは10数年のキャリアを持ち、誰もが知っている曲を何作も生み出したミュージシャンです。そういった国民的ヒットソングをたくさん生み出したキャリアのある人が「私」という言葉をタイトルに持ってくるのは、とても興味深いと思いました。
大塚 愛:まずはやっぱり、ドラマに沿える曲になるように意識しました。蘭子さんの歩んできた人生を反映できたらなあと。(※『私』は、ドラマ『嫌われる勇気』のエンディングテーマ。蘭子さんとは、香里奈演じる主人公・庵堂蘭子のこと)
――脚本ができてから曲を作り始めたんですか?
大塚 愛:一話だけもらいました。
――原作読んでどう思いました?
大塚 愛:「アドラー心理学」って言われると、読むのがすごい大変な本なのかなと思いますけど、すごく読みやすかったです。対話で始まっておもしろかったですね。
――「他人の評価に捉われず、私をもっと生きよう」というテーマは、たとえドラマがきっかけだとしても、過去に「他人の評価に捉われ」て「私」ではない「私」を生きていたことがあるからこそ出てくるのではないかと思いましたが、この考えについてどう思いますか?
大塚 愛:もちろんそういう時もあったし、気にしないで尖ってやってた時もありました。「どっちか」ではなく、「どっちも」だった、という感じです。
――「他人の評価に捉われ」ていたのは、具体的にどういうところでしょう?
大塚 愛:ドラマの中で、子供が「ショートケーキ食べたい」っていうシーンがあるんですね。ショートケーキは残り一個しかないという状況なんです。そんな中、蘭子さんは平気でそのショートケーキを食べちゃうんです。……私だったら食べられない。どちらかと言うとあまり争いたくないタイプなんですよね。譲ってしまう。
――「私」ではない「私」を生きていたという感覚はあまりないですか?
大塚 愛:「私」じゃないってわけじゃないんですけど、デビュー当時にやってた作品がちょっと振り切れてたんですよね。自分のコンセプトとしては、どれが本当の大塚 愛なのか、どれが大塚 愛の中心なのかわからないことが面白いと思ってたんです。だから、主軸として「これをやれば大塚 愛」っていうのをあえて持たないで、「なんなんだろうこの人?」って見られたいと思ってました。リリース曲に合わせてプライベートでもモードを変えてましたし。
――役者みたいに?
大塚 愛:そうですね、そういう生き方をしてたので、ある意味「私」じゃない生き方と言えばそうかもしれないですね。そういう意味では今の方が「私」らしく生きてますかね。私、「こういう人だよね」って言われるのが嫌なんです。わかってると思われるのが嫌。「あなたが見てるのはその方向から見えるこの一面だけだよ」って思います。私は面じゃなくて球体だよって。
――デビュー当時は自分の一面だけを見られて勘違いされて、嫌な思いをたくさんしましたか?
大塚 愛:いや、いっぱいいろんな面を見せたはずだったし、リリース作品もあえてバラバラにして色々使い分けたはずなんですけど、みなさんが好んだのが、ある一定のジャンルのものだけだったんですよね。
――いきなり売れすぎたんですかね……? インパクトもかなり強かったし。
大塚 愛:どうでしょう。でも確かに、わかりやすくて個性が強い楽曲ではありましたよね。
勘違いの魔法が解けて、大塚愛を見つめなおした
――リスナー(あるいは視聴者)側からすると、初期の大ヒットでイメージがある程度刷り込まれたというのはあると思います。でも、今回インタビューにあたって改めて大塚 愛さんのディスコグラフィーを振り返ってみたんですが、実は大塚 愛さんの楽曲って、かなり多ジャンルに渡っていることに気がつきました。特にその傾向は2010年〜2011年以降に顕著な気がします。これほど変化するということは、過去の自分に対する不満のようなものがあるのではないかと推察したんですが、どうでしょう?
大塚 愛:まったくその通りですね。
――昔の自分を否定しますか?
大塚 愛:否定というか、私は大塚 愛ではないということに気づいたんです。つまり、大塚 愛というアーティストを作っているのは私で、職人的にいろんな自分を使い分けていたけど、人間としての私自身は、その大塚 愛ではないと。アーティストとしての大塚 愛と、一人の女の子としての大塚愛が離れていってるような感じです。
元々、声にコンプレックスがあって、自分は歌う人ではないと思ってたんです。誰かに歌ってもらおうと思って書いた曲が初期の頃の作品なんですね。自分が歌うと思って書いてない。声に自信がない、ビジュアルも自信がない、頑張ってやらなきゃって音楽の世界に入って、この世界に入ってプロの方とお会いして、レベルが違い過ぎることにだんだん気づいていくんですよね。そしたらすごい恥ずかしくなって。勘違いの魔法が解けてしまったんですね。
――それが、2010年くらいだったと。
大塚 愛:そうですね。
――なぜ、「勘違いの魔法」に気づけたんですか? 誰もが気づけるわけではないと思います。
大塚 愛:いつそのスイッチが入ったのかはわからないですけど、やっぱりプロの世界に入ってプロの人たちと関わって、客観的に自分の作品を見ていくと、違いが明らかなんですよね……。でも、だからデビューできたのかな、とその時は思いました。エイベックスに入れたのも、「全然ウチの会社っぽくないって思ったから、きみ採ったんだよ」って言われたんです。だから私はデビューできたのかもしれない。
――そうなんですか……。でも2000年代を思い返した時、間違いなく、誰しも大塚 愛さんの曲を3~4曲は頭に思い浮かべると思います。
大塚 愛:えーっ、本当ですか?
――2000年代に一定の年齢に達していた人で大塚 愛を知らないなんて人、見たことないですよ。でも大塚 愛さんにとっては、当時やってたことが自分の芯のテーマではなかったということですよね?
大塚 愛:うーん、でも、やるからには売れたいっていうのが初期の頃の1番の目標ではありました。しかも一発屋じゃなくて、安定して売れたい。それは低いレベルでかもしれないけど、一応、満たされた。その先にあったのが、母親になることです。娘に会いたい、娘を自分ひとりでも育てていける経済力が欲しい、ずっとそう思いながらやってきました。
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