5月26日に公開された吉田大八監督作『美しい星』が各所で絶賛されています。
(『美しい星』予告編)
三島由紀夫が1962年に発表された同名の小説が原作ですが、同作は三島作品の中でも異色のSFもの。監督は『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八監督です。
地球に生まれ、普通の人間として過ごしてきた彼ら。それぞれがそれぞれのきっかけで自分が異星人であることに気づき、覚醒していきます。覚醒したのち、「なぜ自分がこの星に生まれたのか」と自問自答し、各々がやるべきことを模索していく本作。
笑いあり、考えどころありの『美しい星』にはどのような魅力があるのでしょうか。
『美しい星』あらすじ
その手で“美しい星・地球”を救えると信じた、とある平凡な“宇宙人一家”の悲喜劇。
“当たらない”お天気キャスターの父・重一郎、野心溢れるフリーターの息子・一雄、美人すぎて周囲から浮いている女子大生の娘・暁子、心の空虚をもて余す主婦の母・伊余子。そんな大杉一家が、ある日突然、火星人、水星人、金星人、地球人として覚醒。“美しい星・地球”を救う使命を託される。ひとたび目覚めた彼らは生き生きと奮闘を重ねるが、やがて世間を巻き込む騒動を引き起こし、それぞれに傷ついていく。なぜ、彼らは目覚めたのか。本当に、目覚めたのか――。
そんな一家の前に一人の男が現れ、地球に救う価値などあるのかと問いかける。
(公式サイトより)
父・重一郎を演じるのはリリー・フランキー。息子の一雄を亀梨和也、娘の暁子を橋本愛、妻の伊余子を中嶋朋子がそれぞれ演じています。
原作からかけ離れた設定とその必然性
小説や漫画などの実写化では「原作と全然違った!」という感想がよく聞かれますが、『美しい星』ではなんと、公式サイトに小説と映画の比較が掲載されています。
例えば、時代設定は小説版が1962年に対し、映画版は2018~19年。
登場人物に関しても、小説版では重一郎・火星人は高等遊民、一雄・水星人は大学生、暁子・金星人は孤高の女子学生、伊余子・木星人は堅実な専業主婦ですが、映画版はまったく異なり、重一郎・火星人は気象予報士、一雄・水星人はフリーター、暁子・金星人は孤高の女子学生、そして伊余子は地球人で、孤独を抱えた専業主婦として描かれます。
特筆すべき点は、小説では人類は核兵器による最終戦争に直面していますが、映画では地球温暖化や異常気象が主な問題となっている箇所です。
何故ここまで設定が変わっているのか。
それはこの映画を観る私たちが2011年の東日本大震災を経験しているからです。
作中にはいまだ封鎖されている福島の非難区域も登場し、その場所だからこそ存在する「あるもの」が出現します。
また、2017~2018年の地球は冬にも関わらず連日夏日。それは、誰もが分かりやすく感じる地球の危機です。
つまり、「地球の危機」が、現代に生きる私たちが目を逸らし続けている環境問題や原発問題に置き換えられ描いているのです。
とは言え、原作小説で三島が伝えようとしたことの本質は変わっていません。三島文学の中では「異色」とも言われている『美しい星』ですが、実は「美」や「アイデンティティ」など、三島が追い掛け続けたテーマが随所に盛り込まれています。
『美しい星』の見どころ
「太陽系連合からのメッセージです!」「だって俺、水星人、らしいよ」「私、金星から来たの」真顔で呟かれるそんなセリフに思わずくすっとしてしまいますが、本人たちは真剣そのもの。物語が進んでいくにつれ、彼らが本当に異星人なのか、それとも“そんなことはあり得ない”という常識を信じるのか、そういったことは取るに足らないことなのだということに気が付きます。
「美しい星」とは地球のことですが、映画『美しい星』にメインで出てくるのは宇宙人たち。
つまり、美しい星に住む「異星人」たちが、それぞれの立場からそれぞれの理念を持って、それぞれがやるべきことを遂行していくのです。
作中、重一郎は環境問題を無視し続ける地球人に対して、あるメッセージを伝えます。
「地球の皆さん、今すぐに行動を起こしてください」
自分はいま、本当に自分がすべきことをしているのか。
壮大でありつつも、鑑賞後にはそれぞれの心に突き刺さる普遍的なメッセージが本作には込められています。
各所から絶賛されている『美しい星』。コメディ要素もありつつ、ただのSFでは終わらない傑作です。
映画『美しい星』
監督:吉田大八
原作:三島由紀夫
出演:リリー・フランキー、亀梨和也、橋本愛、中嶋朋子、佐々木蔵之介
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Text_ Michiro Fukuda
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