映画『パーティで女の子に話しかけるには』ってどんな映画?
12月1日に公開された映画『パーティで女の子に話しかけるには』。どんな映画なのか一言で説明すると、「パンク少年が宇宙人の女の子と恋に落ちる映画」なのだが、これが面白い。まずは予告編を。
(映画『パーティで女の子に話しかけるには』冒頭部分と予告編)
あらすじはこちら。
セックス・ピストルズ、ラモーンズ、ヴィヴィアン・ウェストウッド…
1977年、ロンドン郊外。音楽だけに夢中だったぼくは、48時間後に別れなければならない相手と恋におちてしまったパンクなのに内気な少年エンは、偶然もぐりこんだパーティで、反抗的な瞳が美しい少女ザンと出会う。大好きなセックス・ピストルズやパンクファッションの話に共感してくれるザンと、たちまち恋におちるエン。だが、ふたりに許された自由時間は48時間。彼女は遠い惑星へと帰らなければならないのだ。大人たちが決めたルールに反発したふたりは、危険で大胆な逃避行に出るのだがーー
(『パーティで女の子に話しかけるには』オフィシャルサイトより)
ジョン・キャメロン・ミッチェルというカルト作家
さて、”ジョン・キャメロン・ミッチェル”という名前を聞いてピンとくる人がどれくらいいるだろうか。恥ずかしながら筆者は忘れてしまっていたが、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の監督だと聞いて、10年以上前の記憶が蘇った。
(映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』予告編)
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』は、性転換手術をした東ドイツ生まれのロックシンガーが夢と愛を求めてアメリカ中を旅する物語。性転換は失敗し、股間に「怒りの1インチ(アングリーインチ)」が残り、愛していた人に裏切られ……という話だが、痛くて切なくて、どうしようもないくらいにピュアな映画。観る人をかなり選ぶだろうが、世界中に熱狂的なファンを生み出した。1997年にオフ・ブロードウェイで上演されロングランを記録し、2001年に映画化され、数々の映画賞を受賞。日本でも三上博史、山本耕史、森山未來などの主演で何度か舞台化されている。
ジョン・キャメロン・ミッチェルは、ぶっ飛んだ作風の裏に哲学的な主題を据えることが多い。たとえば『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の土台はプラトンの『饗宴』だった。
そんな彼の最新作が『パーティで女の子に話しかけるには』。原作は、ポストモダンを代表するイギリスの小説家、ニール・ゲイマンの小説『壊れやすいもの』に収録された「How to Talk to Girls at Parties」。この短編小説をもとに、話を大きく広げた物語がこの映画だ(原作で描かれるのはパーティの一夜のことだけ。つまり半分以上がジョン・キャメロン・ミッチェルのオリジナル)。
エル・ファニングがひたすらかわいい。
主人公のパンク少年「エン」を演じたのは、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』でトニー賞を受賞したアレックス・シャープ。また、ニコール・キッドマンが、キャリア史上もっとも意外な「パンクロッカーたちのボス」的な存在で出演している。
しかしなんと言っても、ヒロインの異星人「ザン」を演じたエル・ファニング(『ネオン・デーモン』『20センチュリー・ウーマン』など)。
彼女がひらすらかわいい。そしてちょっとエロい。
おそらく本人も自覚していない性欲の高まりに従ってエンに身体を触らせる「不完全な性交渉」や、「バターの匂いがする」と言ってエンの顔を舐めるシーンなどは、その唐突さもあいまってドキッとさせられる。これらのシーンは、静かだけれど相当なインパクトがあり、鑑賞後もしばらくのあいだ頭に残り続けるだろう。
意味不明だけど、笑ってしまう異星人とのやりとり
で、そんなかわいいエル・ファニングとパンク少年のラブストーリー、しかもタイトルが「パーティで女の子に話しかけるには」なんていうイカしたものだから、おしゃれな映画かと思って観てると、かなり面食らう。本作は「パーティで女の子に話しかける」ために主人公が悪戦苦闘する映画ではない。もっと斜め上をいく奇妙な映画だ。
特に、画面に異星人が映っているときはかなりシュールな画になる。
奇抜な衣装と意味不明な動き、謎のタイミングで発せられる奇声、ボケてるんだかマジメなんだかよくわからないリアクション。シュールすぎて、笑っていいのか、突っ込んでいいのかわからない展開多数。
しかし、よく考えてみれば、異星人の論理が地球人に理解できると思う方がおこがましいのかもしれない。この映画が持つ奇妙なコミカルさは、異星人と地球人の”わかりあえなさ”を表現している。
と同時に、それは思春期の異性へ向けたまなざしの比喩でもある。ある年齢の少年少女にとって、異性とは異星人と同じくらい理解不能な”別の生き物”だからだ。
もっとパンクして!
「異星人と恋に落ちる」というその理解不能さにふさわしく、本作はジャンルわけも難しい。
音楽とファッションが彩る青春映画という面ではダニー・ボイル『T2(Trainspotting)』を彷彿とさせるし、恋愛SFとしてはリドリー・スコット『ブレードランナー』も連想される(2049ではなく、一作目の方)。「異星人」を「カルト」とみなすならば(実際にカルト的な描写もある)、園子温『愛のむきだし』との近さもある。
ではこの映画のジャンルは何だろう? 恋愛、SF、コメディ、それとも音楽映画?
答えは、そのどれでもあるし、どれでもない。なぜならこの映画の底に流れているのは、”〇〇とはこういうもの”という既成概念に揺さぶりをかけるパンクの精神だからだ。
「もっとわたしにパンクして!」
これはエンとザンが初めて会ったときの、ザンのセリフ。
繰り返すが、本作は「パーティで女の子に話しかける」ために悪戦苦闘する映画ではない。しかし、描かれている内容はすべて何かのメタファーなのだと考えてみると、様々な解釈ができそうだ。「パーティ」とは何なのか。「異星人」とは何なのか。この映画における「女の子」に「話しかける」とはどういう意味なのか?
これらが何のメタファーなのかは、実際に映画を見て自分なりに考えた方がいいだろう。
そのうえで「もっとわたしにパンクして!」がどういう意味なのか考えてみると、このパンクでキュートで奇妙な映画は、哲学的な問いかけや社会批評をしているようにも見えてくる。
パンクのモットーはDIY。素晴らしいオリジナル楽曲。
最後に、音楽の素晴らしさにも一言触れなければならない。
パンクとはジャンルではなくアティテュードのことだ。ジョン・キャメロン・ミッチェルによれば、「パンクのモットーはDIY(パンフレットより)」。というわけで、サントラも8割はオリジナル。これが実にイイ。
この映画のために組まれたThe Dyschordsというバンドが演奏する楽曲は、イギー・ポップのようでもあり初期のリバティーンズのようでもあり、パンク発祥の地で鳴らす音楽にふさわしい。また、サントラの最後に収録されたXiu XiuとMitskiによるエンディングテーマは非常に美しい。エンドロールでは歌詞も表示されるが、本作のある登場人物からのアンサーとして聞くと、泣ける。この曲が最後にあることで、映画中盤でのシュールで笑えるシーンの余韻はすべて吹っ飛び、切なくて愛しい気持ちになる。
Spotifyを貼り付けるので、映画を見ても見ていなくても、ぜひ一度聴くべき。
おすすめは9曲目の『Climb Over Me』と11曲目の『I Found A Reason』(これはヴェルヴェット・アンダーグランドの楽曲)、14曲目『Nobody’s Baby』、15曲目の『Requiem』、そしてラストの『Between the Breaths』です。超イイ。
作品情報
『パーティで女の子に話しかけるには』
製作総指揮:
監督・脚本:ジョン・キャメロン・ミッチェル
出演:エル・ファニング、アレックス・シャープ、ニコール・キッドマンほか。
原作:ニール・ゲイマン
Text_Sotaro Yamada
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