今や日本を代表するラッパーとなったANARCHY。実は20代の頃から描いていた夢の1つが映画を撮ることだったという彼が、監督へ初挑戦した半自伝的映画『WALKING MAN』が公開を迎えた。野村周平を主演に迎え、人と話すことも苦手な少年がヒップホップに出会い夢を持つことで成長していく物語。映画製作に関しては右も左も分からない素人であるANARCHYが、自らメガホンを取ってまで伝えたかったこととは。
Photo_Yohji Uchiyama
Text_Sota Nagashima
「映画は究極のアートだと思う」
――映画拝見させていただきました。感動しました。
ANARCHY : みんなそう言ってくれるんですけど、本当ですか?(笑)
――もちろんです(笑)! 最後にはやはりホロリときました。
ANARCHY : ホロリと流れ…かけた?
――流れ…ました!(笑)
ANARCHY : アハハ(笑)。ありがとうございます。良かった、それはきっと届いてるね。
――早速ですが、ANARCHYさんは25歳の頃から描いていた夢の一つが、35歳になったら映画を撮る事だったそうですね。何故25歳の頃に、そして35歳になったらやろうと思っていたのでしょうか?
ANARCHY : フワッといつか映画作りたいなぁと考えていたんですよね。絶対にいつまでというよりは、その時が25歳でじゃあ10年後の35歳には映画作ろうかぐらいの感覚で。どんな映画を作りたいかとかも無かったし、でも映画も好きなんで。
――その頃、ANARCHYさんはどんな時だったのでしょうか?
ANARCHY : やっとファーストアルバムが出たぐらいの時ですかね。
――なるほど。このままラップを続けていって、先の未来に映画があったらいいなというような感覚だったのでしょうか?
ANARCHY : 映画って一生のバイブルになるものが人それぞれあったりしますよね。この映画で人生変わったとか。音楽もそうだと思いますけど、それの究極な気がして。目で見て、耳で聴いて、映画の主人公が履いているスニーカーが欲しくなったり、そういうカッコイイなという感情もあれば、泣けたりもする。色々な感情にできるアートな気がします。自分だけではできないものだし。25歳の時の僕にはできるイメージは全然なかった。色んなヒップホップの映画とかを見て、カッコイイなこんな映画作ってみたいなという甘い考えでした。
1人のラッパーが映画を撮るまでの道のり
――それが実際に今回映画を撮ることになったわけですから、すごいですよね。映画製作にあたって、まず最初に漫画家の髙橋ツトムさんに相談したそうですね。それは何故ですか?
ANARCHY : 元々、髙橋ツトムさんのファンで、すごい良いストーリー作るなって思っていて。映画のような漫画を書くんで、すごい興味があって。26,7歳ぐらいの時に自分のアルバムを持ってアプローチをかけて、お会いしたいですとラブコールを送ったら、じゃあ来いよって言ってくれて。それで知り合ってからは、何かあればすぐ相談しています。音楽に詰まったなと思ったら、ご飯お願いしますって会いに行って、こんな曲作ればとかアドバイスをくれる。だから、物作りに対してアドバイスをくれるお兄ちゃんが髙橋ツトムだったんですね。だから、34歳の時、あぁもう35歳になるなぁと思って。迷わずとりあえず髙橋ツトムのとこに行って、「映画作りたいです」と伝えました。
――映画の話よりずっと前から親交があったんですね。
ANARCHY : はい、もう10年以上は仲良くさせてもらってますね。
――漫画家の方に音楽の相談もしているっていうのはすごいですね。
ANARCHY : あの人が言ってくれて書いた曲もあるし、あの人の漫画を読んでタイトルをつけた曲もある。
――実際に映画を作りたいと話した時、髙橋さんはどんな反応でしたか?
ANARCHY : は?って。何言ってんだお前ぐらいの(笑)。
――(笑)
ANARCHY : でも、マジなんですよって熱意を伝えたら、30分もしないぐらいですかね。じゃあ分かった手伝ってやるよって言ってくれて。すぐ脚本家の梶原阿貴さんに連絡してくれて。それで始まりましたね。
――今の話だと、わりとトントン拍子で進んでいったように感じますが、映画化までに2年ぐらい歳月がかかったんですよね?
ANARCHY : 僕が髙橋ツトムのとこに行った時は手ブラだったんですよね。ホンもない、スポンサーもいない、どうやって映画作るつもりやねんって言われるぐらいの状態で行った。でも、いいホンがあれば、その映画を作るために俺は頑張るって熱意だけは話して。ホン作るのに半年ぐらいかかって、1回目のものができてもそこからまたあぁしたい、こうしたってやってる内にもう1年ぐらい経っていて。
――なるほど。
ANARCHY : 僕は素人なのでチームがないんですよね。カメラや美術、証明、配給も知らない。何もない状態でホンだけが出来上がった。大口を叩いていたんで、何とかするためにそこから色んな人に話を持っていって、どんどん仲間が集まってきました。素人が映画を作ると言って、そんな簡単に乗っかってくれる訳じゃないから、何度かはつまずくこともありました。その時に相談しようと思ったのが、以前から知り合いだった蜷川実花さんでした。あの人も元はカメラマンだったから、映画を撮るときどうやって始めたのかなと思って。現状を説明しつつ色々相談したら、プロデューサーを紹介してくれて。「アナーキーだったらできるよ」って背中を後押ししてくれた。
――有難い言葉ですね。
ANARCHY : はい。そこから、ちょっとトントンと進むようになっていって。カメラマンや照明など、チームの座組ができました。俺は映画の知識が無いので、みんなの気持ちを高めたり、みんなが同じ方向を向いて1つにすることしかできなくて。僕が1番素人だけど、やりたいという気持ちは俺が絶対一番強く持っていると思ったから。みんなに力を貸してくださいと言って作った。どんどんやっていく内に、みんな教えたりしてくれて。それこそクランクインした日なんて、何をどう撮ればいいか分からないしパニックでした。やっている内に僕、結構吸収早いタイプなんで(笑)。でも、みんなの助けが無ければ絶対にできなかったですね。
――その手探りながらも進めていく作業は楽しかったですか?
ANARCHY : そうですね。でも、大変なことの方が正直多かった。何も知らない僕が1番頑張らないと、みんなに気持ちが届かないじゃないですか。自分が精一杯やることだけは、気を緩めることをしなかったです。それがちゃんと伝染して、みんな力を貸してくれたのかなと思います。
野村周平を主演に指名した理由
――野村周平さんのキャスティングはANARCHYさん自身のご指名だったんですか?
ANARCHY : 他のキャストの方は色々な人に相談したりしていましたが、周平に関してはもう自分で言いました。主演を決めるのが1番重要だったので。後はこの映画はラップ映画なので、ラッパーがラップ映画作ってラップがカッコよくなかったら、ちょっとそれはダメでしょ。でも、彼は元々遊んでる時から普通にラップやるから、彼ならできるかなと思って。いくら俳優でもステージの上でいきなりラップしろというのは難しいと思うので、多少の練習はしましたけど。それ以外は大してラップを教えたりもしてなく、流石やなという感じでした。
――野村周平さんは普段からの遊び仲間だったという感じですか?
ANARCHY : ほんとうに遊び仲間という感じですね。
――普段遊んでいる時にラップをするというのは、フリースタイルということですか?
ANARCHY : カラオケ流して、俺の曲を歌ってます(笑)。今でもやってくるんすけど、俺に向かって俺の曲歌うのやめてって(笑)。周りの子もよくANARCHYの前でできるよなみたいな、度胸があります彼は。実際ラストのステージでのシーンも多少の教えはしましたけど、すげぇなって思いました。観客もいる中で、普通ステージの上に立たされてラップできないですよ。それは彼が元々持っていた度胸とストリートセンスかなと思います。
――その辺りを期待してのオファーだったんですか?
ANARCHY : 今周りにいる中では、彼しか無理かなと思って。彼も忙しい人ですけど、ANARCHYさんの映画だったらやるって言ってくれたんで。有難いですね。
――ラッパーを主演に起用することは考えなかったですか?
ANARCHY : もちろんそれも考えたんですけど、この映画はラップ以外あまり喋れない子が主人公だったので、その演技はラッパーにはできないと思いました。実際にクランクインして、何も喋らないで、目つき顔つき歩き方で表現するのはラッパーではできなかったと思いました。俳優でも、長台詞より難しい演技だったと思います。しかも、アイツ喋りたがりなんで(笑)。ストレス溜まってたんでしょうね、カメラ回ってない時は喋り過ぎぐらい喋ってました(笑)。編集するまでは簡単っしょとか思ったりもしたけど、実際に編集してると表情の変化が一気に見えたりして、やっぱすごいなと思いました。彼だけじゃなく、俳優陣全てに思いました。
――他のキャストで印象に残ってることはありますか?
ANARCHY : 石橋蓮司さんが現場に入った時は、緊張しましたね。最初ホテルに挨拶をさせてもらいに行って、ど素人ながら映画を撮ることになりました、力を貸してくださいと伝えたら、「俺はラップの世界とか分からないから、君の好きなようにやってよ」と優しい言葉をくれて。他のみんなもですけど、ANARCHYが作りたい映画を作ってくれって言ってくれたから、僕も大船に乗った気持ちで望めました。
――撮影中トラブルとかは特になかったですか?
ANARCHY : 川崎で撮影している時に、川崎の地元の人がどこで撮ってんねんって乗り込んでくるぐらいですかね。それをT-Pablowが止めてくれるみたいな(笑)でも、撮影時間も短く大きいトラブルする暇もなく進んでいきました。
「夢を叶えろじゃなくて、その夢を大事にし、そこから一歩踏み出して欲しい」
――劇中では、「自己責任」というワードが度々登場してきますが、社会に対するメッセージも含まれているのでしょうか?
ANARCHY : 物語前半の「自己責任」は違和感を感じると思うんですよね。その違和感もミソだったりして。そこで自己責任って言う?みたいな。理不尽な自己責任の問われ方をして、物語の後半で夢を選ぶという本当の自己責任を知る。その両極端をうまく描けていると思っています。夢見つけること、選ぶことも、進むことも、諦めることも全て自分じゃないですか。ラッパーって特にそうなのかなと思っていて。
――ANARCHYさんは今作に限らず、音楽でも若い世代に向けてメッセージを込めた活動を多くされていると思いますが、その姿勢はどのように生まれたのでしょうか?
ANARCHY : 大人になったら、諦めちゃうこともあったりする。もちろん30歳、40歳、50歳になっても夢を見つける人はいるし、そういう人たちにもこの映画が刺さればいいなとは思ってます。でも、やっぱり1番葛藤をして、迷っているのって10代20代の子達だと思うんですよね。自分が何者になるのか何ができるかも分からないし、でもやろうと思えば何でもできたりするのもその世代だと思う。後は夢を見つけること自体簡単じゃないし、夢を見つけられない子の方が多いじゃないですか、今は選択肢もたくさんあるし。
――なるほど。
ANARCHY : でも、夢を探している過程も大事にして欲しい。夢って叶えることよりも、大事なものがその中にある。夢を見つけるだけで意味があると僕は思っていて。僕が1番この映画で言いたいことは、せっかく夢を見つけれたなら叶う叶わないとか考えるよりも、夢を見つけれた自分を大事にして欲しいし、それに向かって一歩踏み出して欲しい。それが夢に近付かなくたっていい。その代わり諦めず一歩一歩進めば、絶対その夢に近付ける。たとえそこで夢が崩れたとしても、自分が生きていくための糧になると絶対に思う。夢を叶えろじゃなくて、その夢を大事にし、そこから一歩踏み出して欲しい。それが『WALKING MAN』です。
――『WALKING MAN』というタイトルは一歩一歩進むという意味で付けられたんですか?
ANARCHY : ウォークマンとかかっています。主人公のアトムはウォークマンを見つけることから、夢が始まるので。でも、今言ってくれた通りです。一歩一歩進んでいく、それが成長であって、夢までの道かもしれない。また新しい夢を見つけるかもしれない。この映画を観て何もない人たちが夢を見つけ、次へ一歩踏み出せる勇気を与えられたら、誰に何と言われようと僕がこの映画を作ったことは正解だと思います。
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