自伝から読み解くラッパーの素顔
第1回 Zeebra 『ZEEBRA自伝 HIPHOP LOVE』
Zeebra(じぶら):
東京を代表するヒップホッパー。93年にK DUB SHINE(けーだぶしゃいん)、DJ OASIS(でぃーじぇいおあしす)とキングギドラ結成。97年に『真っ昼間』でソロデビュー。2014年、より良いクラブとクラブカルチャーの創造を目標と風営法の問題点に正面から向き合うため『クラブとクラブカルチャーを守る会』を設立。その活動が認められ、渋谷区から「渋谷区観光大使ナイトアンバサダー」に任命される。現在、Zeebraが企画し司会を務める番組『フリースタイルダンジョン』がテレビ朝日とインターネットテレビ「AbemaTV」にて放送され、若い世代を中心に空前のMCバトル人気となっている。
!!Recommended song!!
『Street Dreams』(2005年)
(Zeebraの代表曲のひとつ『Street Dreams』。まずはコチラをチェック!)
俺がNO.1ヒップホップドリーム
不可能を可能にした日本人
これが俺のスタイル 俺のヴァイブス
ぜってえ誰も真似できねえ俺のライフ
日本のHIPHOPの顔ともいえるZeebraがオーガナイザーを務める「フリースタイルダンジョン」(テレビ朝日系)が昨年9月よりスタートしたことをご存知の方も多いだろう。
フリースタイル(即興ラップ)バトルを盛り上げる一発逆転可能なルール、リリック(歌詞)のテロップを入れトラックに日本のHIPHOPのクラッシックソングを使用し曲名を表示するなど、HIPHOPになじみの薄い人でもわかりやすいように構成された番組は大ヒット。
この番組でフリースタイルを初めてちゃんと観たという人もたくさんいるはずだ。
「フリースタイルダンジョン」という名前は、オーガナイザーを務めるZeebraが所属していたヒップホップグループ、キングギドラの曲の名前に由来している。
Zeebraは2008年、ラッパーデビュー20周年を機に自伝を上梓した。
その名も『ZEEBRA自伝 HIPHOP LOVE』という読むこちら側がちょっと照れてしまうほどストレートな書名で。
オレはミュージシャンじゃない。オレはヒップホッパーだ(6p)
書名に違わずストレートな出だしで自伝は始まる。
1971年東京に生まれた横井英之(よこいひでゆき)が自らをZeebraと名付け、ヒップホッパーとしての活動を赤裸々に語った「未完の物語」である本書は、出版当時、特に2つの点で話題となった。
Dragon Ashのkj(降谷建志:ふるやけんじ)に対するdisソング『公開処刑』について言及した点と、33人が死亡したホテルニュージャパン火災事件で実刑に処された実業家の祖父・横井英樹(よこいひでき)について語った点だ。
・『公開処刑』の真相
もともとZeebraとkjは良好な関係だった。
「オレは東京生まれHIPHOP育ち、悪そうなヤツはだいたい友達」という日本語ラップのなかで最も有名なヴァース(フレーズ)を生み出した『Grateful Days』(Dragon Ash featuring ACO, Zeebra 1999年)で共演し、同曲はヒップホップで初のオリコンチャート1位を獲得した。
Zeebraがkjに不信感を抱いたのはまず『Grateful Days』と同時発売された『I LOVE HIPHOP』を聴いたときだった。
ぶっちゃけ聴いて、「えっ?」ってちょっと思った。「そこまで言っちゃうの?」みたいな。しかもそれが意図されていたのか、偶然だったのか、判断つかないんだけど、オレの曲と共通する部分がかなりあった(182p)
(Dragon Ash『I LOVE HIPHOP』のMV。今となっては「さあ始めよう大きな宴」というリリックが皮肉に聴こえる……)
私も『I LOVE HIPHOP』を初めて聴いたとき、「そこまで言っちゃうの?」と思った。
サビの部分はイギリスのロックバンドThe Arrowsの『I Love Rock’n Roll』をほぼそのままサンプリングしており、「I Love Rock’n Roll」を「I LOVE HIPHOP」に歌い替えているものの、トラックもラップの仕方もHIPHOPではなくロックと呼んだほうがしっくりするものだった。
Zeebraの不信感が決定的になったのは、Dragon Ashが2000年に『Summer Tribe』を発表したことだった。
聴いてもらえば一般リスナーが「Zeebraの新曲を間違えて買ってしまったのかしら?」と思ってしまうほど、kjのラップはZeebraのラップにそっくりであり、リリックの内容もZeebraのソロデビューシングル『真っ昼間』を彷彿とさせるものだったのだ。
そこでZeebraは再結成したキングギドラの楽曲『公開処刑』(2002年)にて「覚悟決めるのはオマエだkj」と名指しで痛烈に批判した。「ライオンが自分の子を谷底に突き落とす、みたいな感覚」で「いい加減気づけよ(198p)」という思いを込めてこの曲を出したと本書で触れている。
といっても本書が出版されたのは2008年。『公開処刑』リリース時より8年が経過しており「もう終わったことだと思っている」「和解してもいいのかなって思っている」と穏健な態度を示しているが、2016年現在でも両者が和解したとの発表はなされていない。
1999年に行われたDragon Ashの全国ツアー横浜アリーナ公演で『Grateful Days』をkjとZeebraが並んでラップする姿が今も目に焼き付いているファンのひとりとして、両者が和解し新たな音楽を生み出す日がいつか来ることを楽しみにしている。
・祖父、横井英樹への想い
Zeebraは前妻と離婚した際、幼い息子ふたりを引き取り、母方の祖父である横井英樹の家に身を寄せ祖父母から子育てのサポートを受けていた(その後モデルの中林美和と再婚し2女を儲け、現在四児の父)。
横井英樹は戦時中繊維工業で成功し日本有数の実業家となった人物として知られる。
ところが1982年、横井氏が社長を務めるホテルニュージャパンで33人の犠牲者を出す火災事件が起きる。
出火の原因は宿泊客の寝タバコだったものの、消火設備の不備や人命を軽視した対応が明らかになり横井氏は業務上過失致死傷罪を問われ禁錮3年の実刑判決を受けた。
火災事件当時、Zeebraは慶應義塾幼稚舎に通う小学四年生。「殺人犯の孫」と呼ばれ傷ついたこともあったそうだ。
日本有数の富豪から受刑者へと転落した祖父の影響を強く受けていることを本書で明かしている。
じいさんがやったことの何かをオレが穴埋めすることはできない。でも、もしもじいさんが世の中に対して、作った負があるとするならば、別の何かでプラスにできないだろうかということは考えている(125P)。
もしかして、じいさんが刑事被告人にならないで、生涯を終えていたら、オレも日本のヒップホップ・シーンのことは置いといて、自分だけ成功すれば、それでいいやって思ったかもしれない。公のために何かしたいっていう意識はその“負”から生まれている気がする(127p)。
そう祖父への想いを語ったのち、レーベルの設立やソロデビュー、初めての全国ツアーの苦労についてなど、Zeebraがヒップホップ・シーンの開拓に尽力した経緯が記されている。
「『ボンボンにヒップホップができるのかよ』って言われたら、冗談じゃねえっていう思いはある(272p)」
「オレの場合は一般的な2世とはまたちょっと違う部分もある。嫌われ者の2世だから(273p)」
とZeebraは言う。確かにその通り。
10歳までの彼は日本有数の実業家の孫で、別荘がいくつもある生活をしていたが、その生活は一瞬で崩れたのだから。
しかし彼の育ちの良さは自伝でも随所に表れる。
私がおもしろく感じたのは「レコード屋さん」「イベント屋さん」など〇〇屋さんという言葉が頻出するところ。
四児の父でもあるので幼児語がぽろりと出てきてしまったのかもしれないが、品のよい言葉遣いのなかで生活してきたからこそ出てくる言葉ではないかと思った(ちなみにレコード屋さんは「レコ屋」と呼ぶのがB-BOYのあいだでは一般的)。
また、自分だけが売れればいい、という意識がほとんどなく、日本のHIPHOP自体を底上げしたいとZeebraが強く思っていることは自伝全体から伝わってくる。
だからこそ、『I LOVE HIPHOP』という大上段に構えたタイトルの曲をリリースし、しかも楽曲に先行の日本語ラップへのリスペクトが見受けられないことに憤ったのだと思う。
KjがZeebraをリスペクトしていることはインタビューなどで公言していた。
KjがZeebraの影響を強く受けすぎて『Summer Tribe』を発表しただけならば『公開処刑』のようなdisソングをZeebraは作成しなかっただろうと思う。
HIPHOPに対して愛がないのにその名を利用したことを「公開処刑」したのだ。
メロディに言葉をあわせる歌と違って、リズムに言葉を置くラップは同じ長さの曲でも3倍から6倍の文字数を載せることができる饒舌な音楽。饒舌に語られるリリックの裏側を毎回ひとりのラッパーにスポットライトを当てて自伝から読み解いていきます。続く!
Text_MADOKA MIHOSHI
SHARE
Written by