2016年10月、文学ムック『たべるのがおそい vol.2』が刊行された。
本誌は小説、翻訳の物語文学だけでなく、短歌やエッセイも大きく取り上げているのだが、今回のvol.2では活動ジャンルを超えてのクリエイターの共作も話題となった。
(『たべるのがおそい vol.2』<地図−共作の実験>という特集のひとつにやくしまるえつこと円城塔による『星間文通』がある。)
やくしまるえつこはSFと純文学の分野を股にかけ幅広く活躍している円城塔と短編小説『星間文通』を共作した。
この『星間文通』は(基本的に)二段組みのレイアウトが採用され、片方がラジオのパーソナリティ、そしてもう片方がリスナーの語りとなっていて、作品内でふたりの語り手が対話を織りなすつくりになっている。しかし、このラジオのパーソナリティとリスナーは千光年の距離で隔てられていて、それは同時に千年の時間の隔たりも意味している。
光の速さで片道千年、往復二千年。
ぼくら人間の時間間隔で考えると、それは控えめにいってはてしない時間だ。単純にひとひとりが生き死にするにはちょっと広すぎるし、文明が芽生えるにはちょうどいいかもしれず、それが滅びるにはやや短い気もする。ただ、千年あればいろんなことが起こりうるということは十年前にはこの世になかったiPhoneにでも聞いてみればすぐにわかる。
ふたりの声はおそらく互いに届かない。
いや、届いているということが想定されていないといったほうがいいだろう。しかし『星間文通』という物語を語る声はそこから生まれてきた。白い文字の本文の背景は真っ黒に印刷されていて、そしてうっすらと、星座が描かれている。夜空の星々はそれぞれが他の星とのつながりを自覚してなどいない。しかし、その星の輝きを見るものたちの想像力によってひとつの像を結ぶ。暗闇を切り裂く視力と、星間を跳躍する声。それは今回の円城塔との共作に限ったことではない。やくしまるえつこの活動全般、そして思想において一貫されている。
(共作のパートナー・円城塔による『シャッフル航法』。やくしまるえつこは朗読を発表している。特定の語彙の配置を変えることで機械的に物語が生成されるような作りの作品。)
父親が科学者だというやくしまるえつこは、自身がプロデュースする<相対性理論>のみならず、その活動のコアには科学という思想が感じられる。
たとえばこんな話が数学にはある。
1963年のことだった。数学者スタニスワフ・ウラムはある学会に出席していた。非常に長く退屈な論文講演にすっかり飽きてしまったウラムは、手元にあった紙の上に退屈しのぎで素数を並べてみたという。するとそこになにかしらの規則があることにウラムは気づいた。このウラムによって発見された素数が描く絵は現在では『ウラムの螺旋』として知られている。
やくしまるえつこはこれから着想を得て、『ウラムの螺旋より』という楽曲を発表している。
もともとひとの手によってつくられたものではない機械的な(そしていってみれば「冷たい」)自然科学の法則を機械的な方法でなく、人力で音楽化し演奏したことにやくしまるえつこの非凡なユーモアがある。コインの表と裏のように近くにありながら決して交わることのない「無機」と「有機」の隔たりをやくしまるえつこは軽々と超越してしまう。
機械的なリズムに、意味をなさない機械的な発声と打楽器が乗せられただけのように聞こえる『ウラムの螺旋より』ではあるけれども、どれだけ「人間らしさ」という装飾がはがされようとも、やくしまるえつこの声そのものが「なにかひとつでしかない」というありかたを拒むような独特の雰囲気を持っている。
(『ウラムの螺旋より』のMV。よく耳する音楽とは明らかに違う、異質なリズムで曲は機械的に進展するが、やくしまるえつこの声がどこか有機的に響く。)
そして2016年、やくしまるえつこはバイオテクノロジーを用いて作った楽曲『わたしは人類』を発表した。そして大臣認可のもとこの楽曲をDNA変換して人工合成し、染色体に組み込んだ遺伝子組み換え微生物の培養も開始した。
やくしまるえつこがいうに、この楽曲は「人類滅亡後の音楽」というコンセプトがあるという。そしてこのようにも語っている。
「人類滅亡後の音楽」とわかりやすく言っていますが、この文明のうえにいない生命体であれば読み解き方は絶対的に違うわけで、そこに興味があったんです。こういうコードや配列があるとなったときに、それにどういう音が割り当てられるのか、あるいは色として認識するのか、形として、文字として、はたまた新しい何かとして。そんな風に読み解かれるごとに機能が出現していく、誕生していくと思うと、とても楽しいです。
引用:http://wired.jp/special/2016/dear-synechococcus/
ここには「この星の人間以外の何者か」へのやくしまるえつこの眼差しがあらわれている。しかし、彼女は自身の音楽をそういった存在に対して決して「届けよう」とはしていない。自身の作品がいつの日か感じかたも捕えかたもちがったかれらの身体を経験することで、21世紀現在の人間が知りえるものではない「ちがうなにか」への進化を求めている。
(『わたしは人類』。KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭の公式テーマソング)
止めて 止めて 止めて
止めて 止めて 止めて
進化を止めて
止めて 止めて 止めて
止めて 止めて 止めて
止めないで
というこの曲のサビがやくしまるえつこの音楽そのものをいいあらわしているように感じられる。
以上、やくしまるえつこが活動を通じて行っている「越境」について述べてきた。
ちなみに短編小説『星間文通』ではラジオのパーソナリティははるかかなたのリスナーに対してこんなことばを投げかける。その引用でもって、この記事を締めくくりたい。
ハロー。放送をお聴きのみなさまこんばんは。ニーハオ。ダンケシェーン。折にふれてお伝えしているように、すこし前に巨大な星が爆発した余波はまだ続いていて、ここにもいろいろな遺失物が漂着し続けています。
引用:円城塔×やくしまるえつこ,『星間文通』,たべるのがおそいvol.2(p68)
Text_Machahiko WAKAME-ZAKE
ブログ:カプリスのかたちをしたアラベスク
やくしまるえつこ / 音楽家。「相対性理論」「やくしまるえつこ と d.v.d」など数多くのプロジェクトのほか、生体データから人工衛星まで用いた作品を次々に発表。 イラストやドローイング作品、朗読、ナレーション、CM音楽や、楽曲提供など、様々なフィールドで活動。
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