5月6日に発売された雑誌『ダ・ヴィンチ』6月号に、クリープハイプの尾崎世界観(おざきせかいかん)が短編小説を寄せている。
タイトルは『エゴサーチねるとん』。
「男を、読む」をテーマに書き下ろされたショートショートで、SNSで発信される言葉を真っ向から受け入れる男の短い物語が描かれている。
リード文によると、私小説とのことだが、果たして……?
【メディア情報】
本日発売!『ダ・ヴィンチ 6月号』特集「あの人と本の話」にて尾崎世界観インタビュー&短編小説掲載!https://t.co/o0QETvyb9F— クリープハイプ (@creephyp) 2017年5月6日
もしも、SNSで自分をディスった相手と対面できるとしたら?
尾崎がエゴサーチの鬼であることは、ファンの間では有名だ。熱狂的なファンになると、「尾崎さんエゴサ用」とアカウントに明記したり、「尾崎世界観さんエゴサしてください!」とツイートしていたりする。
実際にそういったツイートは尾崎のエゴサーチに引っかかっている。
彼はラジオやライブなどで、Twitterで見つけた腹の立つツイートに言及することがある。多くの場合、彼はそれをネタのように話すので、聞いているこちらは笑ってしまう。
しかし、本人にとってそれらのツイートは、笑いに変えないとやってられないほど腹が立つものでもあるだろう。わたしたち一般人はエゴサーチをしてもそう滅多に自分について言及されたツイートを発見できないので、真に尾崎の気持ちを理解するのは難しいが、匿名で悪口を言われたら、誰だって腹が立つ。どんな奴が言っているのか見てみたい、その発言主と会ってみたい、そんなふうに思うのではないだろうか。
では、もしもそれが可能になったら?
そんな「もしも」からこの小説はスタートしている。
それが『エゴサーチねるとん』。
ここから冒頭部分が読めるので、まだ読んでない人はぜひチェックしてから、以下の文章を読んでほしい。
さて、怒りからスタートしているのに「ねるとん」という言葉を合わせるところが尾崎らしくてお茶目なのだが、それはそれとして、尾崎世界観の新しい小説である。
作家としてもミュージシャンとしても、尾崎が抱える主要なテーマのひとつに「自意識」がある。本作はまさにそのテーマをネタとして扱った作品といえる。
太宰治と尾崎世界観の共通点
日本文学において自意識といえば、太宰治の名前が必ずあがってくるだろう。
自意識の高さやそれを描き切ろうとする意志において、太宰と尾崎には共通点がある。
よくネット上で見かける意見だが、もし太宰が現代に生きていたら、彼はエゴサーチの鬼になっていたかもしれない。太宰の作品を読んだことがあり、太宰の人柄を知っていれば、この意見には妙に納得させられる。沈鬱な青白い顔で、ひたすらスマホの画面をシャッとやってエゴサーチし、気に食わないツイートを見つけては酒を飲み、それをネタに短編小説を量産しただろうと思う。
事実、それに近いような形で書かれた小説もたくさんある。たとえば『女生徒』は、読者から太宰に送られた日記形式の手紙を元に自意識のゆらぎを描いた作品だった。また『親友交歓』は、友達ヅラして訪ねてきた古い知り合いが酔って太宰に悪態をつく様を淡々と描いた作品であった。さらに、芥川賞で自分を落とした川端康成に対して文芸誌上で「刺す」と書いたこともあった。
クリープハイプに親しんでいるファンなら、太宰のこうしたエピソードには親近感を持つのではないか。
たとえば『社会の窓』では、自分たちに向けられる文句に対する怒りのアンサーになっている箇所がある。
曲も演奏も凄く良いのになんかあの声が受け付けない
もっと普通の声で歌えばいいのにもっと普通の恋を歌えばいいのに
でもどうしてもあんな声しか出せないからあんな声で歌ってるんなら
可哀想だからもう少し我慢して聴いてあげようかなって余計なお世話だよ
(クリープハイプ『社会の窓』より)
(クリープハイプ『社会の窓』MV)
ちなみにライブでは「余計なお世話だよ」のあとに「バーカ」という言葉が付け加えられる。
太宰の「刺す」と、尾崎の「余計なお世話だよ(バーカ)」は、怒りの種類と表現方法が似ている。
たぶん太宰と尾崎が同時代に生きていたら、友達になっていたのではないか、そんなくだらない妄想もしてしまうわけだが、それはそれとして、自意識の高さやそれを主要なテーマとして抱えている点で、二人には共通点がある。
さらに、怒りをスタートにしている点でも二人は似通っている。
太宰治最初期の短編『道化の華』にはこんな箇所がある。
僕はなぜ小説を書くのだろう。困ったことを言い出したものだ。仕方がない。思わせぶりみたいでいやではあるが、仮に一言こたえて置こう。「復讐」
(太宰治『道化の華』より)
『エゴサーチねるとん』の主人公も、原動力は、復讐に近い怒りだ。
「表現者に安らぎを。傍観者に恐怖を。あいつらを絶対に許さない」
(尾崎世界観『エゴサーチねるとん』より)
自意識と怒り。
太宰治と尾崎世界観には、芯の部分で通底しているものがあるわけだ。
では、尾崎世界観は現代の太宰治なのだろうか?
結論を言うと、実は全然ちがう(期待していたひとごめんなさい)。
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