恵比寿映像祭の革新的アートを紹介
恵比寿映像祭とは、2009年から恵比寿で毎年1回開催されている、映像とアートの国際フェスティバルのことだ。展示、上映、ライブ・パフォーマンス、トーク・セッションなどが連日行なわれる。
今年は「トランスポジション」すなわち「変わる」ことをテーマに、2月8日から2月24日まで様々なイベントが行なわれた。本記事では、その模様をレポートする。特に、デヴィッド・オライリーのゲーム『エヴリシング』をフィーチャーしたい。
また、今年6月には日本科学未来館で、メディア芸術祭という、より規模の大きな催しも開かれるので、その予習になれば幸いだ。
イメージの劇場
メイン会場は恵比寿ガーデンプレイスである。センター広場へつづく階段を下ってゆくと、不思議な音が聞こえてくる。目の前にはサーカス小屋のようなテントが張られている。さわひらき『platter』だ。
このインスタレーション作品はサーカスや見世物小屋を模しているのだが、展示されているのは空中ブランコや蛇女などではない。イメージだ。『platter』は人間の心象風景や記憶を劇場化する。
夢や記憶の欠片が混濁し、様々に組み合わさり、シュルレアリスム的なイメージが形成される。奇怪なイメージの群れが舞台を闊歩し、レトロなラッパ型スピーカーから響くノスタルジックなリズムがそれに生命を与える。
『platter』を後にして、右折すると、東京都写真美術館が見える。1階ホールでは、ジャパンプレミアとなる『ウロボロス――ガザから始まる実験的トラベローグ』(バスマ・アルシャリフ監督)や、アジアの短編アニメーションを集めた『トランスポジションのアニメーション――DigiCon6 ASIA』など、15本の映像プログラムが連日上映されていた。
『ウロボロス――ガザから始まる実験的トラベローグ』
(画像出典:恵比寿映像祭)
『トランスポジションのアニメーション――DigiCon6 ASIA』(上掲画像は見里朝希『マイリトルゴート』)
(画像出典:恵比寿映像祭)
また、2階から4階の展示室では、牧野貴による抽象的映像作品、カロリナ・ブレグワによる複数のスクリーンを用いた映画、デヴィッド・オライリーによるゲーム『エヴリシング』などが展示された。今回は特に、最後に挙げたオライリーに注目してみたい。
デヴィッド・オライリー、世界の法則を探求する
デヴィッド・オライリーは1985年生まれの映像作家だ。短編CGアニメーション監督として世界的によく知られている。ベルリン国際映画祭短編部門グランプリを獲得した『おねがい なにかいって』(2009年)の他、『RGB XYZ』(2008年)、『黒い湖』(2010年)、『The External World』(2011年)などを制作してきた。
2010年にはラピュタ阿佐ヶ谷で彼の短編アニメーション5作品が一挙に上映されており、日本でもファンを獲得している。
(画像出典:第10回ラピュタアニメーションフェスティバル)
そのオライリーが近年はゲーム制作に乗り出している。2017年には、先端技術、芸術、文化のフェスティバルであるアルスエレクトロニカにおいて、彼の『エヴリシング』が大賞を受賞した。
『エヴリシング』は革新的と評される。なぜなら、第一に、そこには決められた物語や結末が存在しないからだ。プレイヤーは何の制約も受けずに、自由にフィールド上を動き回ることができる。第二に、プレイヤーは人間以外の万物に変容するからだ。動物や植物はもちろん、昆虫、粘菌、原子にまで変容し、海底から銀河系を縦横無尽に往き来することができる。
展示会場で筆者も実際にプレーしてみたが、草地で石ころになったかと思えば、ミクロの世界へジャンプして微生物にもなれる不思議な高揚感は、他では得難いものだ。
『エヴリシング』トレーラー
それにしても、なぜオライリーは短編アニメーションからゲームへと活躍の場を移したのだろうか。その理由の一つは、あるインタビューでも語っている通り、ゲームのほうが市場が広いという金銭面にあるようだ。
「デビッド・オライリー最新作、生命の本質にアクセスする環世界ゲーム《Everything》ドミニク・チェン対談」
だが、より本質的な理由は別のところにある。もともと自然界の非主観的な法則性に関心を寄せていたオライリーにとって、非主観的な数学的システムを基盤とするゲームは、自らの問題意識を具体化するための格好の表現手段となるからだ。
もっぱら短編アニメーションを制作していた時代にも、彼は厳格なルールを自らに課していた。『おねがい なにかいって』をご覧いただきたい。
『おねがい なにかいって』
2009年に発表されたCG作品であるにもかかわらず、1990年代初頭に制作されたかと見紛うほど造形は荒く、音声は人工的で、総じてあからさまな作り物感を露呈している。世界初の長編フルCGアニメーション映画『トイ・ストーリー』がすでに1995年に公開されていることを勘案すれば、『おねがい なにかいって』が意図的に「拙く」作られていることは明らかだ。
しかし、これこそがオライリーの定めたルールなのである。彼は自身の論考『アニメーションの基礎美学』(2009年)において、『おねがい なにかいって』に採用したいくつかの法則(決まり事)を説明している。
オライリーによれば、3DCGアニメーション制作には制約がほとんどなく、自由すぎる。そのため、一定のガイドラインを作らなければ、芸術作品を生みだすことができないという。なぜなら、彼がいうには、真の芸術作品は自ら定めた法則に貫かれていなくてはならないからだ。
彼は主に技術的な制約(ルール)を自らに課すことで、真の芸術作品に一貫しているという法則に自らの作品を支配させることに成功した。その結果、あのいかにも作り物めいた作品が誕生したのだ。
同様のルールで制作された『The External World』
では、このプロセスを経て彼が目指していたものとは何か。それは、『アニメーションの基礎美学』で述べていた彼自身の言葉を借りれば、「完全なる人工物でまったくリアルではないものでも、情動を伝達することはできるし、映画としての真実性を保つことはできる」という事実を証明することだ。「映画としての真実性」とは、真の芸術作品がもっている特性に他ならないだろう。
芸術作品には一貫した法則がなければならないと、オライリーは考えている。だから彼は自らの短編アニメーションにおいて、技術的なレベルでその法則を作りあげたのだ。そして、私たちが生きているこの世界には一貫した法則が存在していると、彼は考えている。プレイヤーが森羅万象を往き来できる『エヴリシング』というゲームは、その法則を探求する試みといえる。
つまり、オライリーは芸術作品から世界全体へとフィールドを拡大させながら、まさに一貫した実践(一貫した法則の探求)を行なっているのである。
恵比寿映像祭は先進的な表現に出会える稀有な場だ。本記事で革新的なアートに興味を持たれた方は、今年6月に開催予定のメディア芸術祭(於:日本科学未来館)に足を運んでみてはいかがだろうか。
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