秋田ひろむによる小説『虚無病』第一章が公開された。
http://www.amazarashi.com/kyomubyo/
オススメ記事: 《インタビュー》amazarashi LIVE 360° 「虚無病」直前特集 #4〜秋田ひろむインタビュー
小説『虚無病』は、謎の病気「虚無病」が蔓延する世界を描いたディストピア風小説である。
虚無病とは、「無気力、無感動。全ての者が一日の大半を寝て、あるいは座って過ごす」ようになってしまう病気であり、「精神疾患の症状に似てい」て、「”言葉”による感染の可能性を指摘する声が広く伝聞されている」。しかし、「その科学的根拠は希薄で、噂の域を出ていない」。
こうした、”何かよくわからないもの”に覆われた世界の中で、友人同士のナツキ、サラ、ヒカルが生き延びていこうとする様子や、虚無病発生を機に出現した「涅槃原則」との対決などが、サスペンスタッチに描かれる。
物語の中では、これまでの秋田ひろむの小説や歌詞からは一線を画すような暴力描写も見られる。
この点について、秋田ひろむは、MEETIAが行った最新のインタビューでこう答えている。c
「 違う思想同士の人間がいて、主人公はどちらを選ぶかという岐路で、主人公は一つの思想を壊してもう一方の思想を選びます。その”壊す”というところに重きを置いた表現です。」
つまり、比喩として暴力を使っているのだろうが、しかし、そのような強い言葉を用いてまで秋田ひろむが表現したかったこととは、いったい何なのだろうか?
……と、疑問符を一応は打ってみたが、amazarashiの曲を聴いてきた者からすれば、すぐさま一つの答えにたどり着くだろう。
すなわち、「虚無主義に抗え」。
amazarashiのテーマ
amazarashiがアンチ虚無主義をテーマに掲げてきたことは明らかだ。
もっともわかりやすい例を提示しておこう。
『夕陽信仰ヒガシズム』に収録された『穴を掘っている』という曲。
この曲は一見、虚無主義に屈した男の独白のように聞こえる。
たとえば次に引用する歌詞などは直接的だ。
人生そんなもんなのかもね 諦めは早けりゃ早い方がいい
僕は僕を諦めたぜ 生まれてすぐさま諦めたぜ
また、MVの内容も虚無的であるように見える。
樹海という、自殺の名所に設置された、まるで浮遊霊のような大量のプリンタ。
次々プリントされる「死にたい」という言葉を含んだツイートの文章。
しかし、「死にたい」とツイートしていたアカウントを実際に検索してみると、それらのアカウントが、この曲の本当のメッセージをツイートしていることがわかる。
虚無主義に抗え
— 柳田進 (@yanagida789) 2014年10月25日
このように、秋田ひろむの歌詞には陰鬱で、虚無的な男の物語が多いかもしれないが、すべての歌詞に「虚無主義に抗え」というメッセージが込められているのだった。それは初期の『光、再考』の頃からそうであった。
だとすると、小説『虚無病』は、虚無主義との戦いをより力強く、より具体的に描いたものだと解釈できるだろう。
虚無病発生の日
虚無病第一章は三つのパートから構成されている。
・出所不明の観察報告書
・ニュースサイトの記事
・ナツキとサラの会話
観察報告書と記事の内容はこの物語の前提であり、実際に物語が始まるのは、ナツキとサラの会話からである。そのため、うっかりすると読み飛ばしてしまいそうになるのだが、報告書と記事には、虚無病の説明の他にも、重要な事柄が記載されている。
まず、ニュースサイトの記事が書かれたのが2016年10月22日であるということ。
そして、虚無症が突発的に拡大したのが、「先週十五日」であるということ。
つまり、虚無病が発生したのは2016年10月15日である。
これはもちろん、amazarashi LIVE 360°「虚無病」開催の日であり、厚生労働大臣がパンデミックを否定する見解を示したのはそのライブから一週間後ということになる。
おそらくこの日時設定には、次の発言のような願いが込められているだろう。
「amazarashiの音楽を世に広めるという活動も、ある種、感染者を増やすという行為かもしれません。」
そしてもうひとつ、見落としてしまいそうで重要な事実がある。
小説『虚無病』第一章の観察報告書は、実は、虚無病発症から一年経過した時点での報告書だということである。
報告書とニュースサイトの記事を、時系列と逆に並べているのは、この小説の最初のトリックである。
それを踏まえた上で、もう一度、観察報告書を読み直してみよう。
すると、次の箇所が持つ意味の重さに気づくはずだ。
「厚生労働省からの(つまり国からの)この疾患への定義づけが待たれている状況である」
この箇所は、虚無病患者たちが一年間、政府からほとんど放置されていたことを示唆する。
これまでの秋田ひろむの歌詞には、世界への違和感や怒りが込められていることが多かった。それらの違和感や怒りは、あくまで個人的なものであった。そして、小説『虚無病』も、公開された第一章を読む限り、何かに対する違和感や怒りが込められているような雰囲気がある(第一章の最後の言葉は「この世界はつまらない」)。
だが、小説『虚無病』は、より具体的な政府への批判を含意する。
この点において、本作は、これまでの秋田ひろむの歌詞と比べると、決定的にユニークであると言える。
デタッチメントからコミットメントへ?
amazarashiは、「青森県在住の秋田ひろむを中心としたバンド」という情報以外のプロフィールを一切出さず、本人の姿も公開せず活動してきた。ライブにおいても、ステージの前にスクリーンが張られ、そこに映し出される映像やタイポグラフィーの向こうで演奏するというスタイルを取ってきた。
それは曲に集中して注目してもらうためのひとつの手段であったわけだがーーその成果の充実ぶりは、ディスコグラフィーを見れば明らかだろうーー、別の言い方をすれば、世界と一定の距離を取りながら活動してきたともいえる。
その距離は、縮まり始めているのではないか?
秋田ひろむは、これまでよりもいっそう積極的に世界と関わろうとしているのではないか?
世界とのかかわりについて、作家の村上春樹は、自身の作風の変化と重ねて次のように語っている。
「まず、アフォリズム、デタッチメントがあって、次に物語を語るという段階があって、やがて、それでも何か足りないということが自分でわかってきたんです。そこの部分で、コミットメントということが関わってくるんでしょうね。(『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』新潮文庫、p84)」
そう、コミットメントである。
秋田ひろむは、世界に対して新たなコミットメントを示し始めているのである。
前述のインタビューで、秋田ひろむはこう答えている。
「 以前はどう這い上がろうかっていう意志で動いてたんですが、今はどういう人生にしたいかという意志でやってます。」
今、amazarashiは次のステージへと移行している。
そんな予兆を感じ取れる小説『虚無病』第一章である。
続く章は、10月12日にリリースされるミニアルバム『虚無病』初回限定生産版に完全版として付属されているので、ぜひともライブ前に読了されることをおすすめする。
そして、小説『虚無病』と『amazarashi LIVE 360° 「虚無病」』がどのようにリンクするのか、期待を持って見届けようではないか。
ライブチケットはすでにSOLD OUTしているが、当日は全国の映画館でライブ・ビューイングが行われる。amazarashiのライブを一度でも観たことがある者なら、彼らのライブが映画館でのライブビューイングに適したものであることが、容易に想像できるだろう。
ちなみに、ライブ・ビューイングに行くと、会場限定のオリジナルチケットホルダーがもらえるので、ファンとしてはこちらも見逃せない。
amazarashi LIVE 360°「虚無病」ライブ・ビューイング
【日程】2016年10月15日(土)17:00 START
【会場】全国各地の映画館
※開場時間は映画館によって異なります。
【料金】3,800円(税込/全席指定) ※LV限定チケットホルダー付
※3歳以上有料/3歳未満で座席が必要な場合は有料となります。
※LV限定チケットホルダーはLV当日映画館にてお渡しいたします。
■amazarashi OFFICIAL HP http://www.amazarashi.com/
主催:ホットスタッフ・プロモーション
企画:レインボーエンタテインメント、ライフ
協賛:ソニー・ミュージックレーベルズ
配給:ライブ・ビューイング・ジャパン
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