田舎と都会、2つの場所を行き来する若者の想い。
デュアラーという言葉を知っているだろうか。Dual:デュアル(2重)、つまり、2つの異なる地域をベースとしたライフスタイルをおくる人のこと。最近では都会と田舎に拠点を持つ者を指し、2019年のトレンドキーワードとして話題となっている。本企画では、自身の可能性をさらに拡げるべくデュアルライフを選択した若者たちにフォーカス。都会にはない自分の居場所を田舎に見つける者、田舎にはないアドバンテージを都会で有効活用する者。彼らの考え方を知ることで、現代のシティカルチャーの在り方を見つめていく。
今回は東京と愛媛を繋ぐべく「みかん農家の道」を歩み始めた、ある1人の男の子の話。
Photography_Yuki Aizawa
Interview & Text_Sota Nagashima
Edit_Shu Nissen
筆者が東京で若松優一朗という男に出会ったのは、もう何年も前になる。タイトで洗練された装いに黒い長髪をなびかせ、スケートボードで颯爽と街を走り抜ける姿。所謂”スケーター”と聞いて想像するラフなストリートのスタイルとはまた違うスマートな雰囲気が新鮮だった。そんな都会的な印象の彼が、家業のみかん農家を継ぐ夢を語った時、そのギャップに驚かされたことを鮮明に覚えている。これまで地元・愛媛のみかんの魅力を東京で伝える活動をしてきた彼は、この春より本格的な”作り手”となるべく愛媛にも拠点を置き、新たなスタートを切る。小さな町で野球ばかりに明け暮れていた少年は、東京、海外生活、スケートボードとの出会い、様々な経験を経て少し逞しくなって帰っていった。
授業で聞いた言葉が、離れた「地元」を意識させてくれた。
――今日はありがとう。まず、優一朗の生い立ちから聞きたいんだけど、どんな町で生まれたの?
若松 : 愛媛県の宇和島市にある吉田町というところで生まれました。田舎の村ですね。小学校の同級生は男7人女6人の計13人。今ではもっと少なくなって、1クラス2,3人ぐらい。吉田町は5つの村に分かれているんですが、それが一緒にならないと1つの小学校が成り立たないぐらい小さいんです。今の日本の田舎ではわりとよくある話だと思います。そこに高校を卒業する18歳までいました。
――その後、大学進学で上京?
若松 : 千葉の鴨川にある大学へ入学しました。本当は洋服の専門学校へ行きたかったんですけど、大学は出といた方がいいという田舎特有の風潮に従った感じでしょうか。野球ばっかりしていたので、スポーツ推薦で入学しました。でも、大学野球部の初日の練習で監督と喧嘩してしまって。単純にルールが間違っていることを指摘しただけなのに、それが正解不正解とか関係なく監督の言う事は絶対みたいな雰囲気が大きかった。すごくショックだったし、結局退部することになって、この先やっていけるのかと将来が不安になりました。でも、落ち込んだことでスイッチが入ったんですよ。次の日から誰よりも朝早く起きて、授業は何一つ聞き逃さないようにノートを取り、学年でかなり上位の成績を取るようになりました。僕がたまたま入った大学の学部は、観光業について学べるところだったんです。
――その頃勉強したことが今のやりたい事に繋がってると。
若松 : そうですね。地域活性化についての授業で耳にした「本当は観光資源がいっぱいあるのに、その価値に気づかず幸福感を得られないまま働いてる人たちがいる」という内容が、自分の地元のことと繋がった。愛媛のみかんはすごく美味しいのに、働いている人たちは楽しく夢を持った感じではないんですよね。自分の家もみかん農家なのですが、親に農家を継げと言われたことはなかった。愛媛を離れてでも、安定した職業に就くことを望まれるぐらいでしたから。
――ご両親からもそう言われてたんだね。
若松 : 地元の農家の方々は、自分たちが作っているみかんというものがどれだけ価値を持つものか分かってない人が多い気がしたんです。その頃から観光業と繋げてみかん農業も盛り上げることができないか、将来的に地元で農業しよう、みかんで食べていこうと考え始めるようになりましたね。
あらゆる仕事は、いつか地元を盛り上げるために選んだ。
――カナダに留学もしてたんだよね?
若松 : 19歳から20歳にかけて行ってました。観光業は世界各国が力を入れている産業の一つだから、英語の授業で良い成績を残せば留学で学べるプランが大学にあったんです。カナダでの生活が、これまでの考え方を180度ひっくり返してくれましたね。野球部では自分の意見を言うことが許されなかったけど、向こうの人たちは自分の言いたいことをはっきり言う。自由で良いんだ、自分の意見をちゃんと言って良いんだって気づきがあった。スケートボードもそこで始めるようになりました。
――東京に来たのはいつ?
若松 : カナダから帰国してからです。ずっとアパレル業界への憧れもあったので、渋谷のセレクトショップで働きはじめました。東京で初めてスケートする友達ができて、自然と友達の輪が広がっていきましたね。しばらくしたら洋服には満足した部分があって、その後はスケートボードが好きだった延長でスノーボードもできる長野のスキー場で働いたり、沖縄の石垣島にあるホテルで働いたり、オーストラリアへワーホリに行ったりもしました。都会に憧れつつも、やっぱり自然を欲してきた人生だったのかも。
オーストラリアでのワーホリ時代。ファームで働きながら、空いた時間はメルボルンの名スポットでスケートに明け暮れていたという。
――そんなに転々としてたんだね。全部思い付くがままに動いてたの?
若松 : 地元のこと、自分が愛媛に帰ったときのことは常にイメージしてました。地域を活性化させる、そして自分自身を飽きさせない。この2つを満たすために考えていたことが、「喫茶店と民宿を作る」ということでした。洋服屋を辞めてからの仕事は全てそれを意識して選んでいました。
――喫茶店と民宿?
若松 : 地元の人も集まれて、東京から来た人とも交流ができる場があったらいいなって思ったんです。東京で音楽をやっている友達とは、喫茶店が完成したらそこでライブをしてくれって話をよくしています。民宿にはスケートパークも併設する予定です。地元の人たちは、外から来た人たちの「みかんって良いよね」という生の声を聞くことができて自信を持てるんじゃないかな。今はまだ作る側と買う側が顔を合わせない環境だけど、それらを繋げる場所にしたい。自分が作ったみかんを誰が食べてるとか、物々交換の時代にあったようなお金じゃない部分で幸福感を得られることって大事だなと思うんです。
――なるほど。
若松 : 喫茶店をやりたいからコーヒーの勉強をしようとコーヒー屋でも働き始めて、コーヒーカルチャーが有名だからワーホリはオーストラリアを選んだ。石垣島のホテルで働いたのも民宿をやりたいと思っていたからですね。後は「TRANSIT」というファッション系のイベントなどでケータリングをする会社でも働いていました。去年、「RAW TOKYO」という青山ファーマーズマーケットの隣でやっているイベントで、みかんのケータリングカーを出したのですが、「TRANSIT」で勉強させてもらったノウハウを活かして出店していました。
“みかんブランド”は、スケーターらしい自由で身軽な発想から生まれた
――「RAW TOKYO」ではどんなケータリングカーを出していたの?
若松 : ケータリングで知り合った友達と一緒に出店したのですが、実家から大量にみかんを送ってもらって、キッチンカーを借りて、レイアウトを組んで、メニューからカップ、そのカップに貼るステッカーまで自分で作って、Tシャツなども作って物販もやりました。
――DIYだね。Tシャツの他にもアパレルは作っていたの?
若松 : 元々<Tangerine>というブランドとして活動していたんです。東京でシェアハウスをしている時に服を作っている友達と出会って、「東京で知り合ったカフェとか、好きなお店にみかんをおろしたいと思っている」と話したら、ブランド化したら?と言われたのがきっかけでした。元々洋服が好きだったこともあるし、ブランド化して洋服なども作ったりすれば、また違う方向から愛媛のみかんを知ってもらえると考えて。英語でみかんって意味の<Tangerine>というブランドを始めました。みかんとアパレルグッズを買えるオンラインサイトを立ち上げて、そこで最初に作ったのが、オレンジ色の刺繍をした白のトランクスでした。
写真左がTangerineのファーストアイテムの白トランクス。このサイトでは、アパレルとともに、みかんも販売。品種の説明も詳細に記載されている。
――なんで白いトランクス?
若松 : 白は紳士の色だし、ヒップホップでも綺麗な白いTシャツやナイキのエアフォースを汚さず使うのがクール、みたいなカルチャーがあるじゃないですか。トランクスには、縁の下の力持ちみたいな意味を込めています。ジャケットは無くても生活できるかもしれないけど、アンダーウエアは必要。みかんも表向きには必要って言われないかもしれないけど、絶対に誰かを幸せにできるものだと思うから。
Tangerineの最新アイテムのフォトTシャツ。もちろん写っているのは若松家で作られたみかん。
農業って楽しいんだって、周りに思わせること
――東京でそこまで幅広く活動できているのに、それでも愛媛に戻りたい理由は?
若松 : 物を売るまでの過程を考えたとき、表には出てないかもしれないけど、裏には必ず人の努力があるし、一番すごいのはモノを作っている人だと思うんです。自分も愛媛でみかんを作る人になりたい。東京でみかんを売ることを経験したことで、より作りたいという気持ちが明確になりました。農業を通して地域そのものを巻き込むためには、まずは自分が農家として一人前にならなければという考えが大前提にあります。東京や海外での感覚を、愛媛で言葉でだけ話しても、形になっていなければ周りも信用してくれない。喫茶店や民宿も言ってるだけじゃなくてとりあえずやってみる。そのやっている最中に改善点も見えてくるだろうから。
――ご両親には安定した職業に就きなさいと言われてきたって話してたけど、今はなんて言われているの?
若松 : 東京で友達がみかんを買いたがっているから送ってくれないかと言ったら、家族はめちゃくちゃ喜んでくれました。しかも、それをしっかり対等な値段で買ってくれることにも驚いたみたいです。知り合いにはお歳暮みたいに無料で送ったりしているから、その感覚が無いんですね。本当はちゃんとお金になるということを東京にいる僕に逆に気付かされた、と。だから僕が愛媛に戻って農業をやると言っても反対しないし、東京でそれだけ売れるなら農業やっても希望はあるんじゃないかと、むしろ納得して喜んでくれたんです。
――実際に今、愛媛のみかん産業はどんな状況なの?
若松 : 大正時代とか、愛媛県全体の収穫量が日本のみかんの半分近くを占めていた頃もありました。戦後、地元の宇和島による愛媛みかんが国内生産1位だった時期もあったり、当時は作れば作るだけ売れていたみたいなんです。でもその後、衰退していってしまった。祖父と祖母はその両方の時代を経験して苦しい思いをしたからこそ、息子に農業をやらせようとはしなかったんですよ。実際に僕の父親は農家を継がなかったし、その考え方は僕が生まれても同じでした。みかん産業の衰退の背景は農家の高齢化と後継者不足。周りの農家も本当にお爺ちゃんお婆ちゃんだらけです。70、80歳ぐらいの人たちが、20kgの荷物をトラックに運んで、たまに落としたりこぼしたりなんかしていて。それを見るのがすごく悲しい。若者はこんなにも力で溢れているのに、なぜこの人たちはこうまでして農業をしているんだろうと。実際、本人たちは慣れてるだろうし、そこまで苦とは思ってないのかもしれないんですけどね。でも、若者が集まっている東京のスーパーに普通にみかんが置いてあって、何の苦労もなく手に取れるわけじゃないですか。背景を知っていると、それが異様な光景に思えてくるというか。そういう状況を見てやっぱり売ってるだけじゃなくて、作らなきゃと思うようになったんです。
――具体的にはこれから東京と愛媛でどんな活動をする予定?
若松 : 東京では好きなカフェとかレストランに卸したり、あとはやっぱり直接知り合った人や友達にも買ってもらえたらいいなと。後は、オーストラリアで働いていたカフェのオーナーが日本人で、そこはオレンジジュースがあってもみかんジュースはないので、そういうお店にも置いていきたいですね。オレンジジュースってさっぱりして飲みやすいけど、みかんジュースは濃厚ですごく甘みがあるから別物なんですよ。将来的には自分が作ったみかんを瓶詰めして、いいデザインでパッケージしてオーストラリアへ輸出し、そのカフェや周りにも出せるレベルに持っていくのが目標です。ただ、「JA(農業協同組合)」とは切っても切り離せない関係にあるのが、日本のみかん産業なんですよね。
――というのは?
若松 : まだ経験したことではないですが、例えば自分が地域の主体となって何かをしようとしたときに、JAから離れていると周りは付いてこない。要するにJAと関わりを持っていなかったり、その土地のやり方をしっかり理解してないと地域と密着できない部分があるんですよ。そこから外れて自分がやりたいことだけやっていても、地元で暴走してるやつになるだけで地域活性化にはならない。だから、国がやっている昔からの流れと自分の新しい価値観を上手く繋げながらやっていきたい。地元に戻ったら1年間「みかん研究所」に通って勉強しようと思っています。家族の農業を継げば普通にみかんを作れるようにはなるんですけど、昔からの伝統も学びつつ、みかん研究所では最新のみかん農家としての在り方も勉強もできるので。
――1年後が楽しみだね。最後に、優一朗が今後活動する中で1番大事にしたいことって何だろう?
若松 : 自分が東京と愛媛を繋ぐことで、結果的に農業って楽しいんだって、周りに思わせることです。地元の人には仕事としてやっているという事実だけじゃなくて、自分たちが作っているみかんがどれだけ大事なものかを理解してもらって、みんなが自信を持って楽しんでもらえるような世界を作る役割のひとつを担いたいと思っています。
<若松優一朗>
1993年生まれ。愛媛県宇和島市吉田町出身。城西国際大学、観光学部、ウェルネスツーリズム学科を卒業。自身の傾倒するスケート/ファッションカルチャーのエッセンスを詰め込んだみかんアパレルブランドTangerineを手がける。現在は、愛媛県が運営する「みかん研究所」にて最新の栽培技術を勉強中。
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