ヒトリエ。
ボーカロイドシーンを牽引したwowaka(Vo. & Gt.)を中心に、イガラシ(Ba.)、ゆーまお(Dr.)、そしてミーティアでは漫画連載『地球物語』でおなじみのシノダ(Gt.)が集まり2012年に結成されたロックバンド。
そんなヒトリエからニューアルバムが届いた。6曲入りの新作のタイトルは『ai/SOlate』(アイソーレート)。ひとつの言葉に複数の意味を込めることの多いヒトリエだが、またしても意味深なタイトルだ。ひと通り楽曲を聴いてみると、すでに公開され話題になっていた『アンノウン・マザーグース』を中心に、ヒトリエらしい、しかしそのレンジを広めるような楽曲が集まっていた。
幸運にも、リリース前にインタビューする機会を得たので、いろいろな話を聞いてみた。すると、彼らがこのアルバムで次のフェーズへ向けた第一歩を踏み出していることが明確に感じられた。彼らの語ってくれた刺激的な内容をどう文章にすればいいか。考えたあげく、ややトリッキーに感じられるかもしれないが、漫画『スラムダンク』について書くことから始めてみる。
Interview&Text_Sotaro Yamada
Edit_Satoru Kanai
なぜ『スラムダンク』なのか?
いや、実のところ『黒子のバスケ』でも『DEAR BOYS』でもどちらでもいいのだが、とにかくバスケットボールの話から始めたいのだ。
『ai/SOlate』というアルバムのタイトルを見たとき、元バスケ部の筆者は、ほとんど自動的に「アイソレーションだな」と思った。「アイソレーション」とは、得点能力の優れた選手に1対1(1on1)の攻撃を仕掛けさせるため、他の4人がコートの半分を空けることである。コートの左半分に4人の選手が固まるので、空いた右半分で自由に1on1ができる。この1の選手に圧倒的な攻撃力がある場合のみ成立する作戦だ。
たとえば、漫画『スラムダンク』で初めてアイソレーションが登場するのはインターハイ予選の湘北対陵南戦。圧倒的な攻撃力を持つ陵南の新戦力「フクちゃん」こと福田吉兆が、湘北の「不安要素」桜木花道に対してアイソレーションで1on1を仕掛ける。これによって試合の流れが陵南へ……。詳しくは『スラムダンク』を読んでもらえばいいのだが、ヒトリエのアルバムに『アンノウン・マザーグース』が収録されていてタイトルが『ai/SOlate』なのだとしたら、バスケ的にこれはもう疑う余地なく完全に、wowaka(Vo. & Gt.)という圧倒的な攻撃力を持つエースの力を自由に発揮させたアイソレーション的アルバムなのだ。
具体的に見ていこう。まず、制作はどのように行われたのか。『IKI』以前のヒトリエの制作スタイルは、wowakaの要求にメンバーが応え、それを受けてwowakaが「OK/NG」を判断する、という流れで進んでいった。それが『IKI』によってwowakaとメンバーの関わり方が変わり、「並走しているような感じ」に変化したそうだ。
では今回はどうだったのか。
「なんか、前に戻ったかな? wowakaがすごい作り込むようになったから」と語るシノダ。しかし、彼があっけらかんと語ってしまえることには理由があった。
「でも文面で起きてることは確かにそうだけど、実感としては全然違うよね。言わなくても通じ合うようになったというか。やり取りが少なく済んでる分、言わなくてもわかり合えてる部分が増えたかなと思う(ゆーまお)」
「ゆーまおが言うように、文面としてはそうなるけど、伴ってる安心感と信頼感は全然違うものになっている。新しい音のアプローチとか新しい心の挑戦がすごく入ったアルバムじゃないかなと思います(wowaka)」
wowakaから出た「安心感と信頼感」という言葉、これがキーワードだ。アイソレーションとはエースにフリーで勝負させる作戦であると同時に、メンバー間の信頼関係が強固なものでなければ成立しない作戦でもある。もしシュートを外したとしても、センターがリバウンドを取ってくれる。もしスティールされても、速攻を出されないようにガードが相手の攻撃を止めてくれる――。それは個の強さの上に成立する信頼関係であり、そのような信頼を勝ち得たチームだけが取れる作戦なのだ。
では、なぜヒトリエはアイソレーション的アルバムを完成させることができたのだろうか。ヒントは『IKI』の制作とツアーにある。長い導入部を経て、ここから本格的なインタビューへと進む。
自分を確認できた『IKI』
アルバム『IKI』は、「他者に対する歩み寄り」や「解放感」、「よろこび」といったムードが込められたものだった。そのアルバムを伴ったツアーを完走して、どんな変化があったのだろうか。
「『IKI』のツアーは、アルバム制作で得た解放やよろこび、生きている実感、自分がどういう人間で何をやりたいのか、そうしたことをもう少し現実味のある何かとして確かめていくツアーでした。お客さんたちと現場で具体的な空気の交換を通して、アルバムに込めたことが実感として確かなものになった半年間でしたね。ファイナルの新木場はエモかった」(wowaka)
ライブ後のwowakaのツイートは感動的だった。以前、ライブレポの際にも引用したが(ヒトリエ『IKI』が私たちの「第六感の向こう側」に届く時)、このインタビューでも再びあのツイートに登場してもらおう。
母さんが新木場見て感動したって言ってくれた。音楽、やっててよかった。
— wowaka (@wowaka) 2017年5月9日
wowakaは、「母親が東京まで観にきてくれて、ライブを見て“感動した”って言ってくれたんですよね。そんなことを言われたのは初めてだったから驚きました。いま話しててもエモくなっちゃうんだけど……、頑張ってきてよかったなと思いました」と、いまにもあふれ出しそうな「エモ」をおさえつつ新木場ファイナルを振り返った。
よろこび、生きている実感、自分が何者であるのか。『IKI』というツアーはそれらを確認していく作業で、その試みは大成功のうちに終わった。しかしその後ヒトリエは、ライブの本数を減らす。「今年の夏は制作に徹しようと思ったんです。いろんなものをシャットアウトして、ただただものを作る時間をつくりたかった」というwowakaの言葉に、「そんな話、居酒屋でしたよね」とイガラシも、当時を懐かしむようにうなずく。
「『IKI』であんなに人と関わり合って喜びを得たにもかかわらず、今度はその逆に自分から振ってみたんですね。2〜3ヶ月こもって打ち込んでいたのが『アンノウン・マザーグース』であり今回のアルバムの楽曲たちなんです」(wowaka)
“こもって制作する”というところもアルバムのタイトル『ai/SOlate』と繋がっているのだろうか。そろそろインタビューの核心に近付いてきたようだ。
「それもありますね。『ai/SOlate』は、改めて僕がやってきたこと、やりたいことに立ち返ってみたんです。「ひとりアトリエ」を縮めて「ヒトリエ」になったというバンド名の経緯にもあるように、一人から始まったものがメンバーそれぞれの存在や解釈や意味を経て、誰か一人のお客さんに刺さっていく。僕にとっての音楽ってそういうイメージなんですよね。自分が受け取ってきた音楽の感動もそういう種類のものだった。孤立無援の強さってあると思うんですよね。それを自分は圧倒的に信頼していて。“誰も味方がいない”という感覚は、程度の差こそあれ誰しも持っているものだと思うんです。僕はそういうものを原動力に音楽をつくってきた。そのことを、『IKI』というアルバムとツアーを経ることで確認できた」(wowaka)
その孤独をもって、何のために音楽をやるのか?
“味方がいない”感覚を原動力として音楽をつくってきたwowaka。では、その孤独をもってして、何のために彼は音楽をやるのか。
「それが次に向き合った課題で、答えは人間でした。もっと人間と関わりたいし、なんとかして自分も人間になりたい。“人と人とのあいだに起きうる何か”の正体を実感として確かめたい。それって何だろうと考えたら、僕にとっては“愛”だったんです。“愛”という言葉を意識的に使ったのは、日常においても歌詞においてもこれが初めてだと思います。それが『アンノウン・マザーグース』だった。人と付き合うなかでうまれる喜びとか怒りとか、あらゆる感情の球体を宇宙にまで広げたい。そんなイメージです。そして、それを一言で表すなら“愛”だと思って」
ヒトリエにとって“愛”はこれまで「逆再生」(『インパーフェクション』)されたり「忘れかけ」(『生きたがりの娘』)られたりするものだった。しかし今回は正面にこのテーマが据えられている。『アンノウン・マザーグース』は次のような歌詞ではじまる。
“あたしが愛を語るのなら その眼には如何、映像る?”(『アンノウン・マザーグース』/wowaka)
「だから“愛”がやっと見つかったということで、『ai/SOlate』なんですよね。“ようやくやってきた愛”。しかも、孤立無援のIsolateと、ようやくやってきた愛としてのai/SOlateが一緒に言えたことで、これはやっぱり表裏一体のものなんだなと腑に落ちた。孤立無縁のIsolateでも、人との関わり合いのなかでうまれてくる“愛”を探す戦い、それこそをやっていく、という意思表明ですね」
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