おじいちゃん、死んじゃったって。
数々のヒットCMを手がけてきた森ガキ侑大の長編映画監督デビュー作『おじいちゃん、死んじゃったって。』が、11月4日に公開される。『第30回東京国際映画祭』の日本映画スプラッシュ部門に出品され、11月10日から12日にかけて開催される『第11回田辺・弁慶映画祭』の招待作品にも選ばれるなど、すでに公開前から話題を呼んでいる本作。いったいどんな映画なのか?
まずは予告編をどうぞ。
(映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』特報)
あらすじは以下の通り。
彼氏とのセックスの浅中(※ママ)に祖父の訃報の電話を受けた春野吉子(岸井ゆきの)。そのことにぼんやりとした罪悪感を抱きながらもあわただしく進んでいく葬儀の準備。久しぶりに集まった家族たちもなんだか悲しそうじゃない。
失業を秘密にする父・清二(光石研)、喪主を務める叔父・昭男(岩松了)、その元妻・ふみ江(美保純)とひきこもりの従兄(岡山天音)、高校生の娘・千春(小野花梨)。地元を離れた独身の叔母・薫(水野美紀)、東京の大学に通う吉子の弟・清太(池本啓太)も駆けつけ、祖母(大方斐沙子)は家族の顔もわからないほどボケている。
葬儀が進むにつれ、それぞれのやっかいな事情が表面化し、親たちの兄弟ゲンカがはじまると、みっともないほどの本音をぶつけ合いはじめる家族たちに、呆れながらも流れに身を任せていた吉子はーー。
(『おじいちゃん、死んじゃったって。』公式サイトより)
冒頭で中断されたSEXのゆくえ
あらすじにあるように、映画は主人公と恋人とのSEXシーンで始まり、その最中に「おじいちゃん」の死を知らされる。当然SEXは中断され、葬儀の準備へと慌ただしく巻き込まれていく。冒頭で主人公が抱き始めた罪悪感と死という出来事そのもの、そして死に対する登場人物たちの反応の違和感が軸となり物語は進行する。
こうした流れだけをみていくと、「これは大切な人の死を乗り越える映画なのだろうか」と思うかもしれないが、そうではない。これは死を乗り越える映画ではなく、死を受け入れる映画なのだ。
その象徴として、作中でSEXが描かれる。
本作の主人公は女性である。つまり、本作におけるSEXとは「何かを身体の中に受け入れること」を意味する。SEXが冒頭で中断されたことと、中断の理由が祖父の死であるということ。このふたつのファクターは、本作において非常に大きな意味を持つ。主人公が死を受け入れられていないことのメタファーだと考えることができるからだ。
そして冒頭で中断されたSEXが、もしこの映画で再開されることがあるのだとすれば、それは映画のなかで何かが大きく変わったときだ。
本作には冒頭以外でSEXのシーンや話題がほぼ出て来ないのでつい忘れそうになるが、冒頭で主人公がSEXをしていたことは、頭のどこかに置きながら観た方がいい。そして中断されたSEXのゆくえがどこにたどり着くのか、それは本作のテーマと深く関わりあっている。
かつて村上春樹は、小説『ノルウェイの森』のなかで「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」と書いたが、映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』にも通ずる部分がある。もちろん『ノルウェイの森』ほど陰鬱ではないのだが……。
素晴らしい役者陣と美しい映像
「優れた映画は役者がイキイキと演技しているように見える」というのは映画解説の常套句だが、本作における役者陣の働きもまた目を見張るものがある。
主要人物すべての演技が素晴らしく、全員に言及したいところではあるが……、主演の岸井ゆきのを始め、『ひよっこ』『貴族探偵』などのテレビドラマ、『帝一の國』『パーフェクト・レボリューション』などの映画に出演し、若手演技派俳優としての地位を確かなものにしつつある岡山天音、蒼井優を彷彿とさせる特異な存在感を放つ小野花梨など、若手役者の仕事に注目してほしい。
そしてやはりと言うべきか、兄弟を演じる岩松了と光石研というベテラン勢の熱演は、さすがだ。
このふたりは、本作における醜さのパートを一気に引き受けており、両名にフォーカスが当たれば当たるほど、人間の醜さがむきだしになっていく。かなり嫌味なキャラクターで、いい年をした大人同士がガキみたいにケンカし合って、観ていて本当にイライラする。
映画全体に言えることでもあるが、このふたりのクズ加減には相当なリアリティがある。こういう田舎のオッサン、よくいる。しかし、ふたりがなぜこんなにも卑屈で嫌味な人間になってしまったのか。状況や会話などから推測してみれば、そこには人生の重みや宿命といった裏テーマが見え隠れしていることに気が付き、その姿に胸をうたれてしまう。
ペーソスとユーモアが漂うやり取りは、すごく嫌な奴らにもかかわらず笑える瞬間もあるし、人によってはこのふたりを観るとハッピーになるかもしれない。
また、映像の美しさも特筆すべき点だろう。
本作は、CMやMVで実績のある森ガキ侑大の長編映画監督デビュー作。なるほど、CMやMV出身らしく美しいシーンも数多い。とくに後半、短いカットを重ねながら景色に溶け込んでいく岸井ゆきのの姿を見せる展開は息をのむ美しさで、こういった演出を大きなスクリーンで観られることも、映画を観る喜びのひとつであることを思い出させてくれる。
映画の構造とYogee New Waves『Climax Night』
ところで、本作の主題歌としてYogee New Wavesが『SAYONARAMATA』という曲を書き下ろしており、これがいつかの角舘健悟(Vo. & Gt.)の言葉を思い起こさせるエモい名曲なのだが(気になる人は「ヨギーズ」で検索)、本記事では挿入歌として使用されている『Climax Night』にも注目したい。
『Climax Night』はYogee New Wavesの代表曲であり、且つもっともポップな曲のひとつ。
(Yogee New Waves『Climax Night』MV)
通常であれば映画やドラマには起承転結があり、転から結の部分がいわゆるクライマックスにあたる。必然的にこの部分は物語の最終部におかれる。本作で言えば、おじいちゃんの葬式シーン(70分あたり)の直後がそれに相当する。そして、そこでYogee New Wavesの『Climax Night』が流れる。
クライマックスに『Climax Night』を流すとは、いかにもベタな感じがしないでもない。しかし、その後も映画は続き、もうひとつもふたつも展開がある。というより、ここから先が映画の本当の見せ所なのだ。
葬式シーンの後に悲しく辛いシーンがあり、そうかと思えば温かいシーンがあり、さらにその後に「みんなぶっ殺しちゃえばいいのに」というセリフまで飛び出し、超現実的なシーンと穏やかで美しいシーンがやって来る。そしてゆるやかに、痛みと希望を残しながら静かに収束していく。
つまり、クライマックスだと思われるシーンの後にもう何回かクライマックスのようなシーンが続くわけだ。何が言いたいかというと、映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』は、起承転、転、転、結という、やや特殊な構成になっているということ。
そして、そのやや特殊な構成をゆるやかで自然に表現するという点からみると、Yogee New Wavesの『Climax Night』という曲は、『おじいちゃん、死んじゃったって。』という映画の構成にとてもよくフィットする。つまり、Yogee New Wavesが聴こえてきたら、それは映画の転換点なのだ。
聞くところによると、Yogee New Wavesの『Climax Night』を挿入歌に採用する案が持ち上がったのは、撮影を終え、編集も佳境に入った段階だったという。その頃には『Climax Night』はとっくに完成しており(MVが公開されたのは2014年4月)、もともと両者に関係性もなかった。しかし、まったく関係のないところで制作された映画と音楽が、まるで運命の糸に導かれるようにして重なり合った。その結果、音楽は映画を、映画は音楽をさらに輝かせ、どちらにとっても必要不可欠なピースとなった。
本作のテーマは家族であり、家族というもののわずらわしさとかけがえのなさが丁寧に描かれているが、その一方では映画と音楽が幸福な結婚を果たしていることにも注目してみたい。
すると、映画の内容がさらにぐっと胸に迫ってくることだろう。
作品情報
『おじいちゃん、死んじゃったって。』
出演:岸井ゆきの、岩松了、美保純、岡山天音、水野美紀、光石研、小野花梨、赤間麻里子、池本啓太、五歩一豊、大方斐沙子、松澤匠
監督:森ガキ侑大
脚本:山崎佐保子
主題歌:Yogee New Waves
11月4日(土)、テアトル新宿ほか全国ロードショー
『おじいちゃん、死んじゃったって。』公式サイト
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Text_Sotaro Yamada
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