劔樹人(つるぎ・みきと)の漫画『今日も妻のくつ下は、片方ない。 妻の方が稼ぐので僕が主夫になりました』が、しみじみと良い。読むとほっこりしてきて、作者のことを好きになる。そして、なぜだか自分の周りにいる大切な人をもっと大事にしたくなったり、自分にとっての幸せってなんだろう?って考えたり、少しだけ前向きな気持ちになったりする。
コミックエッセイの新刊出します。ブログに描いていた家事マンガ「男の家事場」が書籍化!
「今日も妻のくつ下は、片方ない。 〜妻のほうが稼ぐので僕が主夫になりました〜」40Pくらい書き下ろししてます!6/23発売です! https://t.co/QtXVOdFM0g— 劔樹人 ’17 (@tsurugimikito) 2017年6月13日
劔樹人とは?
劔樹人は、エレクトロダブバンドあらかじめ決められた恋人たちのベーシスト。ロックバンド・神聖かまってちゃんのマネージャーも務め、入江悠監督による映画『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』などに本人役として出演したこともある。おそらく日本で最も有名なマネージャーの一人。
近年はいくつかの媒体で漫画を発表。ミーティアでも『僕らの輝き〜ハロヲタ人生賛歌』を連載中。2017年8月18日時点でなんと45話まで連載。連載開始当初から当サイトの人気コンテンツであり続けている(ミーティア内のアクセスランキングがすべてこの漫画で占められることがある)。
神聖かまってちゃんのマネージャーを退き、コラムニスト・エッセイストの犬山紙子(いぬやま・かみこ)と結婚。これを機に主夫になった。漫画は妻に背中を押されて書き始めたとのこと。
『今日も妻のくつ下は、片方ない。』
本作は、劔が犬山紙子と結婚して主婦になり、妻の妊娠が発覚するまでの日常を描いた漫画。
元々はブログ内にて公開されていたもので、書籍化にあたって40ページほど加筆された。
主夫あるある、育児あるあるではなく、ごく個人的で日常的な出来事と、それに対して作者がどう思ったかが淡々と綴られている。はっきりとした起承転結があるわけでもなく、衝撃的な出来事や「使える」家事ネタがあるわけでもない。あくまで主夫の日常が素直にほっこりするテイストで描かれており、基本的にはそれ以上でもそれ以下でもない。
ただし、よーく読むと非常に行間の多い漫画であることがわかる。そしてその行間から様々なことが読み取れる。
行間から滲み出る愛
作中で、妻の犬山紙子は、ほんのわずかな例外を除くと、後ろ姿しか描かれていない。
このように。
そしてこのように。
顔や表情が見えず、後頭部と背中、そして腕の動きだけで出演する。
にもかかわらず、犬山紙子がやけにかわいく感じられるのだ。
なぜ後ろ姿だけでかわいく感じられるかと言えば、そりゃあ犬山さん本人がかわいいからですよ、という意見は真実かもしれないが一旦おいておくとして、劔樹人の目を通して見た犬山紙子がかわいいからであり、その視線を通して読者はこの漫画を読むからである。
この後ろ姿からは、犬山紙子のキャラクターがはっきりと輪郭を持って伝わり、二人の関係性や、作者の妻に対する気持ちが伝わってくる。
あとがきには次のようなことが書かれている。
いかに行間に情緒を込め、読む人に想像の余白を残せるか。マンガだけど俳句に近いチャレンジに果敢にも挑んでいたんです。
(劔樹人『今日も妻のくつ下は、片方ない』p145)
「行間」という言葉が使われているが、その行間がもっとも効果的に表現されているのが、妻の描き方なのだ。
この後ろ姿には奥行きがある。
そこには作者の、妻に対する眼差しがあり、読者が自分にとって大事な人をこの後ろ姿に投影できるような余白がある。そして、妻の目が読者ではなく劔本人にのみ向けられている点にも注目すべきかもしれない。
これらを考慮すれば、この行間には、言葉や絵では表現しきれない妻への愛が込められていることがわかる。
「俳句に近いチャレンジ」とは言い得て妙で、読者はこの余白によって、作者が抱いている妻への愛を多角的に感じ取ることができる。
愛に溢れたタイトル
これから書くことはちょっと蛇足の予感がするし、もしかしたら単なる筆者の個人的な性癖(?)を暴露することになるかもしれないけど、『今日も妻のくつ下は、片方ない。』というタイトルからして、ものすごく愛が溢れていると思う。
そもそも、くつ下は両方あることが前提なので、揃ってないくつ下を目にする機会自体が普通はほとんどない。しかも好きな女性のくつ下ならなおさらだ。それを見ることができるのは、特別であることの証である。
また、くつ下がばらけるほど無造作に脱ぎ捨てる妻の、夫に対する安心感と甘え。
(「女の安心感」ほど男にとって価値のあるものがあるだろうか。いや、ない)
その安心感と甘えを喜んで受け止めて、もう片方のくつ下を探す時の喜びと、ほんのちょっとの面倒くささ。
(その面倒くささは、心地良い)
そしてそれを、あろうことか自分の本のタイトルにしちゃうところ。
これって、愛でしょ?
(誰かわかって)
新しいライフスタイルのすヽめ
「主夫」という概念自体は、とりたてて珍しいものでも新しいものでもない。
しかし、実際に主夫をやっている人がどれくらいいるかというと、ちょっと見つけるのが難しい。やはり男は外で仕事をして、それなりの収入を得てこないと恥ずかしい気がしてしまう。そんなものは古臭い固定概念だとわかってはいても、現実的には様々な障害がある。
そうした障害を打ち崩すには何が必要だろうか。
もちろん制度的には政治や経済が大きな役割を果たす。しかしその制度を決める人々の意識のレベルで大きな役割を果たすものは、カルチャーではないだろうか。
たとえば社会学関連の書籍を探せば、主夫をテーマにしている書籍はたくさん見つかるだろう。
しかし、そうした学術的で科学的な書籍と同じくらいに、いやもしかしたらそれ以上に、こうした気軽に読める本は社会に必要とされている。
本書は、ごく個人的なことをまとめた本ではあるけれど、結果的に新しいライフスタイルの提示になっている。このような本がもっと世の中に流通して、彼のような生き方が当たり前に人生の選択肢のひとつになれば、すごく素敵だなあと思う。
セットでオススメ:犬山紙子『私、子ども欲しいかもしれない』
実は本書『今日も妻のくつ下は、片方ない』には、姉妹本ともいうべき本がある。
それが妻・犬山紙子の妊娠・出産エッセイ&インタビュー本『私、子ども欲しいかもしれない。 妊娠・出産・育児の”どうしょう”をとことん考えてみました』。
🐕本日発売です🐕
子ども、産んで大丈夫?
仕事と両立できる?
私、子ども欲しいかもしれない。:妊娠・出産・育児の〝どうしよう〟をとことん考えてみました https://t.co/8KjqLTOx60 pic.twitter.com/LKyJD28Trw— 犬山紙子 (@inuningen) 2017年6月23日
この本は、子どものいる人/いない人、妊娠中の人、専業主婦、仕事をしながら子育てをしている人、同性愛者、などなど、様々な人へのインタビューを通して、作者が「子どもを産むべきか、産まないべきか」について考えたもの。インタビューの他にも、約100人へのアンケートや、自らの妊娠が発覚してからの日記などもある(ちなみにこの日記がめちゃくちゃ面白い。短い文章で面白いものを書く時の手本になる)。
妊娠・出産に関する多くのリアルな声や、当事者にならないと知ることのない知識や事情がたくさん詰まっていて、かなり読み応えがある。『今日も妻のくつ下は、片方ない。』と『私、子ども欲しいかもしれない』は偶然にも同じ日に刊行されたらしいが、こちらは「ほっこり」と言うよりは「切実」という言葉が似合う。
あまりこういう言い方はふさわしくないかもしれないが、はっきり言って、かなり「有用な」本でもある。きっと男性こそ読んだ方がいいだろう。結婚に興味がない男性、子どもを持つつもりのない男性にこそ、この本は大きな価値を持つ。ここに書かれている内容を知っているか知らないかで、他人への気遣いのレベルが変わる、そう思えるほど多くの情報が詰まっている。
そしてこうしたリアルな声や作者の悩みが、後半にいくにつれて重大な人生の気づきへと変わっていくわけだが、その重要な気づきへと至る過程は感動的ですらある。「子どもを産むべきか、産まないべきか」という当初の疑問は、より本質的な問いへと変わっていく。
すなわち「私にとって幸せとは何か」と。
そしてこの本は、わたしたちがみんなかつては子どもだったという、当たり前すぎてつい忘れてしまいがちな真実を思い出させてくれもする。
……あれっ?
劔さんの本を紹介する記事だったのに、なんか犬山さんの本の紹介の方に熱が入っちゃった。
でも、『今日も妻のくつ下は、片方ない。』の紹介の仕方としては、このやり方はたぶん間違っていない。この二冊は表裏一体なのだ。
ということで、やはりこの二冊、セットで読むのがオススメ。
ベタベタした愛情表現がひとつも書かれていないのに、ふしぎと、良質な純愛映画を一本見るよりも豊かな愛に触れたような感覚になる。
また、どちらも従来の価値観を見直し、新しいライフスタイルについて考えるきっかけになる。
そしてそれ以上に大事なことは、この二冊の本が、読者それぞれの人生におけるその人だけの幸せの尻尾をつかまえるヒントを与えてくれることだ。
劔樹人と犬山紙子、二人ともそれぞれの本の終盤で、同じようなことを書いている。その言葉がすべてを象徴している。
劔樹人「人がどうであろうと 人にどう思われようと その時、その場所で 自分の幸せを決めてゆく」
犬山紙子「どんな選択をしても、それぞれ幸せになれる道があるよね」
良き。
上の引用で記事を終わりにしようと思ったけど、劔さんのブログに書いてあった言葉があまりに素敵すぎたので、そちらを引用して終わりにしようと思いますね。
この半生、自分みたいな者にとっては出来過ぎだったような気もするが、結局思い描いた夢も、立派なことも何ひとつやり遂げていない気もする。
それでも、この子に命を繋げたことを思うと、それだけで良かったと思うのだ。
(ブログ『劔樹人の「男のうさちゃんピース」』2017年6月21日「少しずつ大人になって、寂しさを知る」より)
書籍情報
劔樹人『今日も妻のくつ下は、片方ない。妻の方が稼ぐので僕が主夫になりました』
音楽を生業としていた僕は、2014年にエッセイスト・タレントの犬山紙子と結婚し、
兼業主夫になった。慣れない家事の、難しさと面白さ。
くだらなくて笑える、小さな幸せ。
でも僕は――「妻に稼いでもらっている」「音楽では食っていけない」。
もやもやと過ごしていたある日、妻の妊娠が発覚し…?
夫婦で補いあったら、妻が稼いで、僕が家事。
「ヒモと言われたら気にするけれど、それでも我が道を行く。」
手さぐりの家事から日常の幸せをつまみあげる、
ゆるくて時々ヒリつく主夫コミックエッセイ。
(Amazonより抜粋)
犬山紙子『私、子ども欲しいかもしれない』
「子ども欲しいけど、実際どうなの?」人気コラムニストが
育児体験者の話を聞いて考える、「出産・育児」のリアル。
保活、育児分担、二人目問題…母親の本音炸裂!
(Amazonより抜粋)
著者情報
劔樹人Twitter
劔樹人ブログ「男のうさちゃんピース」
犬山紙子Twitter
犬山紙子Instagram
犬山紙子ブログ
Text_Sotaro Yamada
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