「燃え殻」という、変わったペンネームの作者が書いた小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』が話題になっている。新人の作品にもかかわらず発売即重版決定、大型書店でも品切れが続出。今時、新人の小説がこんなに売れることは珍しい。しかも、糸井重里や大根仁をはじめ、小沢一敬、堀江貴文、会田誠、樋口毅宏、二村ヒトシなど著名人が絶賛しているのだ。
本記事では、「燃え殻」とはどんな人で、『ボクたちはみんな大人になれなかった』とはどんな小説なのかを、かつて「100パーセントの恋愛小説」と呼ばれた現代文学の代表である村上春樹『ノルウェイの森』を参考にしながら読み解いていきます。
Text_Sotaro Yamada
「燃え殻」って?
燃え殻とは、テレビ美術制作会社で働く会社員。Twitterは日報代わりに使っていたそうだが、その叙情的なつぶやきが共感を呼び、フォロワーは10万人を超える(2017年8月現在)。ハガキ職人ならぬ「ツイッター職人」とも呼ばれ、webメディアcakesにて小説連載を開始。『ボクたちはみんな大人になれなかった』と題された小説が人気を集め、この度、書籍化されることになった。
『ボクたちはみんな大人になれなかった』
(小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』PV。ナレーションとBGMをBOMIが担当している)
本作はウェブメディアcakesで連載されていたものに大幅な加筆修正を加えて書籍化したもの。
新潮社によるあらすじは以下の通り。
ある朝の満員電車。昔フラれた大好きだった彼女に、間違えてフェイスブックの「友達申請」を送ってしまったボク。43歳独身の、混沌とした1日が始まった――。“オトナ泣き”続出、連載中からアクセス殺到の異色ラブストーリー、待望の書籍化。
(新潮社webサイトより)
連載当時から人気があり、糸井重里や会田誠などの著名人たちが絶賛していた。
この人の描く島に滞在していると、そこがぼくの知ってる場所だったことに気づいて、懐かしくなったり切なくなったりしてしまう。|雨のよく降るこの星では|燃え殻 @Pirate_Radio_ https://t.co/pUs3JhNCuS
— 糸井 重里 (@itoi_shigesato) 2016年4月12日
実は今1986年が舞台の青春小説を素人として書いていて、でもかなり苦戦していて。この連載読んできたけど、奮起するというよりはめげる。とてもこうは書けない。すごい叙情の統一。→
燃え殻 @Pirate_Radio_ https://t.co/UPVXY4lG3Q”— 会田誠 (@makotoaida) 2016年4月12日
現在もいくつかの章はcakesで無料で読めるし、有料会員登録するとweb版はすべて読めるが、書籍版の方が圧倒的におすすめ。
web版と書籍版、どちらも芯の部分は同じだが、細部と文章の締まりが全然違う。書籍版には素晴らしいラストシーンも付け加えられている。
完全に筆者の主観だけれど、web版は、リード文に書かれているように「燃え殻さんのいちばん長いつぶやき」の域にとどまっているような印象を受けた。元々のカテゴライズも「エッセイ」だった。読みやすい叙情的な文章が続き、心をえぐられる箇所もあって、これはこれで面白いwebコンテンツだったが、書籍化の際に改稿されて、少し違うものになった。
どうなったかと言えば、小説になった。優れた小説になった。
はっきり言って、この小説には読む価値がありまくる。
村上春樹『ノルウェイの森』に通じるもの
読み始めてすぐに「あ、これは『ノルウェイの森』かも」と思った。
『ノルウェイの森』は、村上春樹によって書かれた長編小説で、1987年に講談社から書き下ろしで出版された。村上春樹本人による「100パーセントの恋愛小説」というコピーと、赤と緑の装幀も特徴的なこの小説は、当時の小説単行本売り上げ部数歴代一位になるほどヒット。熱烈な支持者と強烈なアンチを生み出した初期村上春樹の代表作であり、現代文学のクラシックと言っても過言ではない。のちに『青いパパイヤの香り』などのトラン・アン・ユンによって映画化もされた。この映画によってモデルの水原希子が女優デビュー、重要な役所に大抜擢されている。
『ノルウェイの森』と『ボクたちはみんな大人になれなかった』には、いくつか共通点がある。
たとえば、現在から過去を回想し、人生において決定的だったある時期とある女の子についての物語が始まる点。
村上春樹『ノルウェイの森』は、主人公の「僕(ワタナベ)」が、ハンブルグに向かう飛行機の中でビートルズの『ノルウェーの森』を聴いたことによって物語が始まる。
それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの「ノルウェイの森」だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。
僕は頭がはりさけてしまわないように身をかがめて両手で顔を覆い、そのままじっとしていた。
(村上春樹『ノルウェイの森(上)』p7-8 講談社文庫)
燃え殻『ボクたちはみんな大人になれなかった』も、朝の満員電車の中、何の気なしに開いていたFacebookで昔の恋人を発見してしまうところから物語が始まる。
地下鉄の揺れの中、ひとりの女性のアイコンが「知り合いかも?」の文面と共に目に飛び込んできた。車両の揺れにつり革で対応しながら、そのページから目が離せなくなっていた。彼女はかつて「自分よりも好きになってしまった」その人だった。
(燃え殻『ボクたちはみんな大人になれなかった』p11 新潮社)
思い出した時点ですでに両作の主人公は痛みに引き裂かれそうになっており、それを必死におさえようとしているのがわかる。村上春樹の方がより直接的だが、燃え殻の方も「目が離せなくなって」いて、しかもその相手は「自分より好きになった人」だと言う。この導入部で、「今から青年期の喪失と哀しみの物語が始まりますよ」ということがわかる。
他にも、どちらも「僕」と「ボク」という一人称で語られる点。直子(『ノルウェイ〜』)とかおり(『ボクたち〜』)というヒロインとその喪失、それが象徴する青春の痛みと後悔をテーマにしている点。そうしたことを受け入れながら生きねばならない哀しみを描いている点。「緑(『ノルウェイ〜』)」と「スー(『ボクたち〜』)」というもう一人の女の存在、キズキと永沢(『ノルウェイ〜』)、関口と七瀬(『ボクたち〜』)といったバディの存在、などなど、テーマや人物の配置、全体のトーンまで、両作には共通したものがある。
だから、村上春樹『ノルウェイの森』を気に入った読者ならば『ボクたちはみんな大人になれなかった』をきっと気にいると思うのだが、本記事の要点はそこではない。
本記事が強調したいのは、本書が『ノルウェイの森』にどれだけ似ているかではなく、どれだけ似ていないか、である。
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