日本のヒップホップのパイオニアとしてラップを積み上げてきたZeebraやTwiGy。整備され始めたヒップホップの道を天衣無縫に駆け上がったDABO。
そのDABOとのビーフでも注目を集め、「上の世代」に反抗するストリート育ちのラッパーが現れた。それが漢 a.k.a. GAMI(かんえーけーえーがみ)だ。
漢a.k.a. GAMIとは?
1978年新潟生まれ、新宿育ち。2002年MS CRU(現:MSC)のメンバーとしてEP『帝都崩壊』でデビュー。B-BOY PARK 2002 MCバトルで優勝。2005年、アルバム『導~みちしるべ~』でソロデビュー。同年、日本最大級のフリースタイルバトルの全国大会ULTIMATE MC BATTLE(UMB)を立ち上げる。2012年に自身のレーベル「鎖グループ」を立ち上げ、2015年に9年振りとなるMSCの新作EP『1号棟107』をリリース。テレビ朝日『フリースタイルダンジョン』に強豪ラッパー“モンスター”として出演中。
(MSC『1号棟107』より、『新宿2015』MV)
ヒップホップ・ドリーム
アメリカに比べて日本のヒップホップは「おぼっちゃま育ち」だとはよく言われる。
ライムスターの三人は早稲田大学の音楽サークル出身だし、Zeebraも慶応幼稚舎出身だ。すこし考えてみればそれは無理のないことだと気づく。ニューヨークで生まれたばかりの音楽を遠く離れた日本で身近な文化として享受するためには、当初それなりの資本や環境が必要だった。
そんな日本のヒップホップ=おぼっちゃま育ち論、を圧倒した存在が漢a.k.a. GAMIなのだ。漢が自身の生い立ちからDABOやレコード会社とのビーフまでを赤裸々に語った自伝が『ヒップホップ・ドリーム』(2015年)だ。
正真正銘のストリート育ち
漢a.k.a. GAMIの本名は川上国彦。1978年6月7日生まれ。GAMIと名乗るのは高校時代の友人から川上の「上」をとって「ガミちゃん」と呼ばれていたことに由来する。母の故郷・新潟で生まれ、新宿で育つ。父はいくつかの別荘を持ち、ハワイや東南アジアの国々に海外旅行へ行く裕福な幼少期を過ごした。
「なんだ、正真正銘のおぼっちゃま育ちじゃないか」
そうつっこまれるかもしれないが、漢が中学二年生のときに状況は一変する。新潟の叔父の会社が倒産し、多額の保証を負っていた漢の父もそのあおりを食らう。父と母は別居し母親と暮らすようになったものの借金の取り立てに悩まされる日々へと突入する。母はキッチン・ドランカーに、父とは疎遠になっていく。
(漢が所属するラッパーグループMSCの『矛盾』という曲に当時のことを書いたリリックが出てきます。3分49秒あたりのリリック「洗たく物もベランダに干せない程取り立てが立て続けに鳴らすインターフォン」)
多感な時期である中学二年生に突然奪われた恵まれた家庭。そんな漢を救ったのは新宿という街だった。
北新宿や高田馬場は歌舞伎町のベッドタウンみたいな場所でいろんな素性の家族が住んでいたから、子どもながらに相手の家庭事情に踏みこまないという暗黙の了解があった。暴力団の子ども、右翼の子ども、母親が夜の世界で働く子ども、母子家庭の子ども……複雑な事情を抱えたヤツらがたくさんいた。だから俺も「叔父の会社が潰れて俺の家も巻き込まれて大変だよ……」なんて友だちに相談せず普通を装っていた。(p21)
公園にたまり、小学五年生のときに万引き――と呼ぶには度を越した集団窃盗で、初めて警察にお世話になる。一緒に取り調べを受けた友だちは小学五年生なのに自分の名前の漢字を知らなかった。ホームレスにお菓子を奪い取られ、立ちんぼのお姉ちゃんたちと警察の逃走劇を眺め、「そうやって新宿を見て、感じて、経験することで俺なりのゲトーとストリートの定義ができていった」と漢は語る。ストリートに根差した日本のラッパーが生まれる原体験はここにあった。
漢は不良ながらもアメフトに打ち込み、音楽には疎い高校生だった。高1のとき、同級生からいきなり「ラップやんない?」と誘われる。それが漢とヒップホップの出会いだった。同級生につけられたMCネームが気に入らず自分でつけたMCネームこそ、民の怒りを表す神様、不動明王を表す梵字の読み「カーン」からとった「漢」だった。
最初のうちはなんとなく遊びでラップをしていたが、MICROPHONE PAGERのかっこよさに魅かれ、徐々に日本語ラップにハマっていった。ラップにハマるとともに違和感も持つようになる。
いくら雑誌で「ストリートのラッパー」だと紹介されても、リリックやインタヴューなんかの発言を読めばすぐにわかる。実際は大学生だったり金持ちだったりで、俺が経験してきたようなストリート出身、つまり「不良」ではなかった。さらには、リスナーも業界もその矛盾に薄々気がついているのにごまかして黙認しているようにも見えた。日本語ラップはメジャーであってもアンダーグラウンドであっても矛盾が蔓延っていて嘘くさい。そのことに俺はすぐに気がついた。(p54-p55)
そこから漢は自分なりのラップのルールを設けた。
ひとつはできるだけ会話に近い言葉でラップすること。もうひとつは自分の身の回りのことや生活についてラップすること。(p55)
これを突き詰めやがて「ラップは「リアル」でなければならい」とのルールを仲間たちと共有するようになる。これがDABOとの大規模なビーフを起こすきっかけとなる。
DABOとのビーフ
漢は20歳過ぎからサンフランシスコやアムステルダムを行き来し「観葉植物」を買ってきて売りさばくストリート・ビジネスに手を染め、その儲けでヒップホップのレーベルを立ち上げようと考えていた。2000年、地元新宿の仲間であるTABOO1、PRIMAL、O2、GOそして漢の5人で『MS CRU』(現:MSC)を結成する。MSは新宿を縦に走る明治通りに由来している。そして2002年にはMS CRUとして1st EP『帝都崩壊』でデビューし、B-BOY PARKのMCバトルで般若を倒して優勝を果たし、漢の名前は広く認知されることになる。
一方、2002年にDABOが『恋はオートマ』という曲をリリース。そのMVのなかで車を運転しているように見えるシーンがあった。しかしDABOは運転免許を持っていなかった。さらに『恋はオートマ』の直後に出したアルバム『HITMAN』のジャケットではDABO自身がモデルガンを構えている。
「ラップは「リアル」でなければならい」とのルールを厳密に守り、フリースタイルバトルで「刺す」とラップした相手に対し実際に刺すために襲撃事件を起こすほど言葉を重んじていた漢やMS CRUにとって、それは許しがたい「フェイク」だった。漢は『幻影』や『FREAKY風紀委員』などでDABOのディスを繰り返し、DABOも『WANABEES CUP2002』や般若をフィーチャリングした『おそうしき』などの曲で反撃した。
特に『FREAKY風紀委員』は日本のヒップホップのディス・ソングの名曲(!?)として名を残すだろう。
免許もねえのにハンドル握ったオートマ車は廃車
外見一見パッと見いかつく決めても噂のふだつき一突きで脅す
(MSC『FREAKY風紀委員 feat. DJ BAKU』)
漢のルールの是非はともかく、DABOの特徴をかみ砕いたそのリリックは迫力があるもののどこか笑えるユーモアがある。
漢とDABOは般若が取り持つ形で和解しているが、ビーフは漢がアルバム『導~みちしるべ~』をリリースするまでおよそ二年半に渡り続いた。
漢とDABOのビーフは「日本のヒップホップのリアルとは何か」ということをヒップホップに関わる者たちが考え直さざるを得ない事件だった。
(和解した二人の関係は良好で、最近もDABOは漢の番組『漢たちとおさんぽ#28〜バレンタインモンスター編〜』にゲスト出演している)
漢a.k.a. GAMIの今後の「リアル」
所属していたレコード会社との確執などを乗り越え、漢は現在、自身が立ち上げたレーベル「鎖グループ」の代表を務め、人気MC番組『フリースタイルダンジョン』に出演するなど、ヒップホップの枠を広げる活動を行っている(なんと鎖グループから漢のLINEスタンプまで出している)。
俺は自分の目で見て経験してきた「リアル」を歌にしている。そういうラップの力で新宿のフッドで生き残ってきた。俺は代弁者じゃなくて、当事者だ。いま再び確信を持って言える――新宿スタイルはリアルな歌しか歌わねえ。(p230)
アーティストを抱えるレーベルの代表であり、結婚し現在二児の父となった漢が今後どのような「リアル」を歌っていくのか注目したい。
(漢の代表曲のひとつ『紫煙』)
(MSC『新宿アンダーグラウンドエリア』。ビール瓶でイランの額をフルスイングする新宿ストリートのリアル)
アーティスト情報
漢 a.k.a. GAMI(かん えーけーえー がみ):
鎖グループ代表にして大日本帝国・東京は新宿をリプレゼントするラッパー。新宿拡声器集団MSCのリーダーにしてフリースタイルMCバトルの代名詞UMBの発案者。日本のヒップホップをさらに面白くしていくエンターテイナー。
(9SARI GROUP 公式サイトより抜粋)
漢 a.k.a. GAMI Instagram
9SARI GROUP公式サイト
書籍情報
漢 a.k.a. GAMI『ヒップホップドリーム』
新宿スタイルはリアルしか歌わねえ──
マイク1本で頂点を競う純粋なるヒップホップの精神とそれを裏切るシーンの凶暴で陰惨なる現実。ビーフや騙し合いが渦巻く世界でラッパーは何を夢見るのか?日本語ラップを牽引するカリスマによる自伝的「ヒップホップ哲学」の誕生!
単行本:244ページ
出版社:河出書房新社 (2015/6/24)
(Amazonより抜粋)
Text_Madoka Mihoshi
Edit_Sotaro Yamada
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