高校生ラップ選手権・初代王者であるT-Pablow(ティーパブロ)。変幻自在なラップスキルは業界内でも有名で、人気番組「フリースタイルダンジョン」でもモンスターとしてラップバトル挑戦者たちを打ちのめしている。しかし、そんな凄腕があるにも関わらず、彼は2012年前後の1年間、活動休止で姿をくらました。その理由の裏側には、とんでもない過去と悲しくなる物語があった。今回は彼の生い立ちとその壮絶な過去を追っていく。
不良からラッパーへの転機はアメリカストリートとの出会い
1995年11月3日、神奈川県川崎市生まれであるT-Pablow。小学生の頃にZeebra(ジブラ)を通じてHIPHOPに出会う。中学生の頃にはグレてしまい、地元川崎では有名な不良グループのリーダーを務めた。「弟と一緒に一度逮捕されたこともある」と自ら語るほど、素行は悪かったようだ。そんなT-Pablowが本格的にラップを始めたのは中3の頃だ。アメリカにある親戚の家に行ったときだった。たまたま触れたストリートカルチャーがきっかけだと言う。何もない所から出される韻の数々に感動し、T-Pablowはリリックを書き始め、ラップ活動を始めたのだった。
ちなみに当時の名前は「K-九」(ケーナイン)であり、当時から自由奔放なフリースタイルを得意としている。
高校生ラップ選手権・初代王者――しかし突然の活動休止!?
ラップを初めて約4か月後――2012年の頃。T-PablowはBSスカパーで開催される「高校生ラップ選手権」に出演し、初の王者に輝く。
そのアメリカギャング風の自由奔放なスタイル、そして力強い韻でラップ界では一躍有名に。
これから全国区で活躍する、誰もそんなストーリーを思い描いていた――そんな矢先だった。T-Pablowは突然の活動休止。
その理由は音楽でやっていく先の見えない“不安”から来た、精神異常だという。結果、第1回高校選手権を優勝後、精神療養のため、沖縄へ放浪することに。現在ではこの沖縄での生活を「綺麗な自然や人々のぬくもりに触れていくうちに、自分の小ささに気付けた」と、色々なメディアで語っている。これが力強い韻の源になっているのかもしれない。
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悲しいきっかけでラップ界に生まれたT-Pablow
沖縄で空白の1年を過ごした後、T-Pablowに悲しい報告が。それは「友人の死」だった。とても辛い報告に、T-Pablowは落ち込むどころか『神様がラップをしろと言っている』とポジティブに解釈する。神のお告げを信じ、2013年に開催されていた第4回高校生ラップ選手権に応募。その時にK-九を改め、現在の活動名義・T-Pablowに変更したのだと言う。これがT-Pablow誕生の瞬間だ。そして第4回高校生ラップ選手権では再び優勝、第4回王者に輝いたのだった。その後、その活躍の勢を止まることなくT-Pablowの名を広めていった。人気フリースタイルバトル番組「フリースタイルダンジョン」20歳という若さでモンスター側の立場で挑戦者達を打ちのめしていく。さらには、2016年8月に開催された第10回高校生RAP選手権in日本武道館に出場したが惜しくも準優勝に。
いつからか自分がなりたくないラッパーになってたんだなと思いました。
負けてよかったありがとうございました。
出展:Twitterより
と自らの敗戦を冷静に振り返る様子もうかがえる。
ラップスキルの高さが認められレーベル契約へ
高校生ラップ選手権を見ていたZeebraが、言葉選びの良さ・固い韻・自由なビートの乗せ方に惚れ込み、T-Pablowとレーベル契約をする。同年3月にコンビレーションアルバム「BAD HOP ERA」を発売し、音楽活動を本格的に開始。
2016年3月には満を持して「BAD HOP 1 DAY」を発表し、さらなる注目を集めている。
第5回目高校生ラップ選手権ではT-Pablowの双子の弟、YZERR(ワイザー)が優勝し、兄弟でHIPHOPユニット「2win」を結成するなど、T-Pablowはこれから日本ラップ界を引っ張っていく中心人物であること間違いない。
そんな彼の活動には、まだまだ目が離せないだろう。
2017年1月11日にT-Pablowとして初となるソロでのEP『Super Saiyan The EP』を発売。
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