メンヘラの神、ミオヤマザキ
R指定の紹介に文字数を使いすぎてしまった気がしないでもないが、この日の主催はミオヤマザキ。
ライブはまず、ステージに紗幕が降りるところから始まる。その紗幕に、Twitterドラマ『その愛、お金で買いました』の予告が流れる。これはミオヤマザキの楽曲をテーマにした、1話120秒、全10回の連続ドラマのことで、7月15日22時より、ミオヤマザキと出演者のTwitterアカウントで公開される。
【RT求】
ミオヤマザキが送る
《120秒×10話》連続ドラマ
『その愛、お金で買いました。』
powered by CLUB ACQUA7月15日〜毎週水曜・土曜22時
🚨出演者twitterから放送🚨
鈴木勤
岡村いずみ
園田みおん
信江勇#twitterドラマ pic.twitter.com/ydmpYcChUO— ミオヤマザキ (@mio_yamazaki) 2017年7月1日
その後、TVアニメ『地獄少女 宵伽』オープニングに起用された新曲『ノイズ』のMVが映し出され、さらにその映像に「10、9、8、」と数字がかぶせられると、カウントダウンが始まる。満員のオーディエンスが声を揃えてカウントダウンする様はまるで大晦日の渋谷駅前。ミオラーにとって、年が明けることとミオヤマザキのライブが始まることは同じくらいおめでたいことなのだ。
カウントダウンが0になると、1曲目『メンヘラ』がスタート。メンバーは紗幕の奥にいてシルエットが幽かに見える。紗幕にはリリックビデオが映し出される。
ミオヤマザキ『メンヘラ』MV
ミオヤマザキの魅力は第一に歌詞にある。ほとんどすべての曲がmioの歌詞を元に、その歌詞をどう活かすかに注力されて作られている。だから、ミオヤマザキの曲を聴くときはしっかり歌詞を味わいながら聴いた方がいいのだが、いざ文章として目の前に大映しにされると、一気にmioの内面世界に引きずり込まれて心が苦しくなる。『メンヘラ』というタイトル通り、この曲は(というかミオヤマザキの楽曲のほとんどが)メンヘラの心理を描いたものだが、その歌詞はあまりにも本質的なので、メンヘラではない者の心にも響く。というより、程度の差こそあれ、すべての人間にメンヘラの要素はあるのではないだろうか。
その要素が、mioの歌詞を読んだり聴いたりすることによって引き出される。ミオヤマザキの音楽がメンヘラに支持されているのは間違いない。しかし、もしかすると、元々メンヘラだった者がミオヤマザキの音楽を支持しているのではなく、因果関係はむしろ逆で、ミオヤマザキの音楽を聴いたがゆえに自身の中に眠っていたメンヘラが発動して、結果、聴いた人がみなメンヘラになってしまうのかもしれない。そう思わせるほど、ミオヤマザキの曲と歌詞、そしてその歌詞を心に響かせるmioの歌唱力には、強い感染力がある(後述するが、本記事はメンヘラに対して超肯定的な立場である)。
メンヘラ感染力の強い現役バンドとしては、個人的にamazarashiとクリープハイプが圧倒的な強さを持つ二大巨頭だと思っていたが、ミオヤマザキというこのバンド、その意味においてはamazarashiとクリープハイプにまったくひけをとらないし、2つのバンドとの近しさも感じさせる。
と、amazarashiとクリープハイプを並べてみて改めて気づくのだが、両バンドとも、歌詞を書いているのも歌っているのも男であり、女性のメンヘラ心に本当に沁み入ってくれるアーティストの席はまだ空いているのだった。今後数年間は、その席にミオヤマザキが堂々と座ることになるだろう。
ミオヤマザキ 『オカルティック69』 MV
2曲目『オカルティック69』を終えると「ミオヤマザキです。始めます」とmioがクールにミオフェスセミファイナルの開始を宣言。3曲目『正義の歌』で紗幕が落ちると、メンバーの姿が露わに……と思いきや、絶妙な照明効果によってメンバーの顔だけはよく見えない。ミオヤマザキのライブではステージにスポットライトが当たることはほとんどなく、常に逆光になっていて、メンバーの顔が見えるようで見えない状態が続く。最前に行けば顔もちゃんと見えるし、また、ファンと直接交流する特典会を頻繁に行っていることから、ミオヤマザキが顔出しを徹底して避けているわけではないことは明らかだが、曲と歌詞をより深くオーディエンスの心に刻むためにこうした演出がなされるわけだ。
『正義の歌』や『婚活ハンター』では、ヒップホップのフロウに近いメロやジャズの要素、さらにはダンスミュージックとの相性の良さも感じさせるなど、メンバーの音楽的なバックグラウンドの広さも印象的だった。それらの上にmioの歌声が乗ると、聴く者は本当に感情を揺さぶられる。フロアからは「mioさーん!」という声が、単なるファンの声援というレベルに留まらず、ある種の切実さを持って叫ばれ続ける。その声の中には、女の子だけでなく男たちの野太い声も含まれていた。男女を問わずすべてのメンヘラたちの神として、mioは歌い続ける。
MCでmioは、小さい音でオルゴールが流れる中、歌詞の鋭さとさっきまでの歌の勢いが嘘かと思うほどの可憐さで、R指定やオーディエンスへの感謝を素直に言葉にする。まるで別人のような柔らかい雰囲気が作り出すギャップは、彼女の大きな魅力のひとつであるように思う。
新曲『ノイズ』でtakaとShunkichiがセンチメンタルなギターとベースを鳴らせば、ピアノだけを背景にmioが独唱する『鬱鬱』では、ほぼ暗闇の中でたった一筋の光だけがステージ後方から斜めに差し込み、ちょうどmioの口元だけが見えるような演出が施される。素晴らしい照明効果もあいまって、オーディエンスは息を呑んでmioの美しい歌声に聴き入った。
その美しさから一転して、『DV』では、DV男が苛だたしそうに床を蹴り歩く音や食器が割れる音や殴る音などがむごいほどリアルに響き、不倫がテーマの『民法第709条』では、不倫相手の妻から届いた内容証明通知書を読み上げた上で破り捨てるなど、人生経験が詰まりすぎた圧巻のパフォーマンスでオーディエンスを圧倒した。
先ほど、ミオヤマザキのライブではステージにスポットライトが当たらないと書いたが、1曲だけ、あるメンバーの顔に照明が当たる曲がある。それが『童貞ハンター』。
「みなさ〜ん!聞いて下さ〜い!20代になっても未だ童貞だという男達が急増している模様。世の中のアラサー女子。直ちに童貞をハントせよ!」というインパクト大な歌詞で始まるこの曲、中盤にドラムのHang-Chang(ハンちゃん)にスポットが当たる。というのも、Hang-Changというこのドラマー、実は童貞なのだそうだ。自身も曲中に「僕は童貞!」と叫び、フロアは童貞コールに沸く。重い音とダンサブルなメロディ、そして力強い歌声が、この曲を史上もっともスマートな童貞ソング(という分類があればの話だけど)にしていた。サビではオーディエンスが飛び跳ね、童貞たちの怒り(?)がリキッドルームを大揺れに揺らしていた。
さらにその怒りは、こちらもタイトルがインパクト大の『バカアホドジマヌケ死ね』で最高潮に達する。
そりゃ生きてれば、
バカアホドジマヌケ死ね。って
言いたくなる事だってあるよな。https://t.co/336rEcP0o6 pic.twitter.com/UORv6NPb8c— ミオヤマザキ (@mio_yamazaki) 2017年4月11日
おわかりいただけただろうか? 曲中、「バカアホドジマヌケ死ね!」の部分で、オーディエンスが首がもげそうなほど頭を振りまくっているのが。その間、mioは「死ね!」と連呼している。
「死ね!」という歌詞には、たとえば神聖かまってちゃん『夕方のピアノ』の「死ねー!」という叫びを連想させられたが、この曲には、彼らの曲とはまた違った衝撃がある。貼り付けたツイートからぜひリンク先のYouTubeを見てほしいが、『バカアホドジマヌケ死ね』には、ある種の清々しさがある。それはこの曲がオーディエンスに対して、この日までに溜まった感情のゴミをすべて吐き出す手助けをしてくれるからだ。
ミオヤマザキのコンセプトは、mioがよく口にする「明日もどうにか生き延びよう」の一言に尽きる。スレ(ライブ)で負の感情を吐き出せば、明日も生き延びることができるかもしれない。そういった願いがこの曲に込められているような気がする。だとしたら、「死ね!」という言葉は、他者ではなく、死にたくなるような毎日を生きなければならなかった今日までの自分に向けて放たれる言葉なのかもしれない。
ラストは、『山崎美央』。ポエトリーリーディングとしてもおそらく最高レベルで、声と言葉への感情の乗せ方が異様に上手い。mioという人はきっと、声優も役者もナレーターもできるだろう。とにかく才能を感じさせる。サビに抜け感もあるこの曲で、ミオフェスセミファイナルは幕を閉じた。
ミオヤマザキ、スタジオライブの様子。『山崎美央』は8:30〜。鳥肌が立ちます。
美しさとメンヘラ
ミオヤマザキがステージに残したものが何だったか、この日のスレ(ライブ)からずっと考えているが、それは「美しさ」だと思う。このバンドには、メンヘラだの歌詞が過激だのと色々な評価の仕方があるが、何よりも「美しい」という言葉が似合うのではないか。
そしてその美しさは、メンヘラであることと無縁でないように思われる。
メンヘラとは何だろうか? ネットで検索すれば、「心の病気を患った人」だの「2ちゃんねるのメンタルヘルス掲示板にいるような人」だの、「くそくらえよ。(『正義の歌』より)」と言いたくなるようなページがたくさんヒットする(もう一回言いますね。くそくらえよ)。
しかし、メンヘラとは病気ではなく、心の一部が敏感になった状態のことを言うのではないだろうか。
その敏感さは生来の傾向かもしれないし、誰かに傷つけられた経験や、誰かを傷つけてしまった経験が引き起こしたものかもしれない。人それぞれ十人十色の原因があるだろう。しかしいずれにしろ、何かに対して心が強く反応している状態のことだ。
それは、「心」というものが本来持っている機能のひとつではないのか。
だとしたら、メンヘラは病気などではない。むしろ、心が豊かに反応している証拠なのだ。それだけ何かを強く思うことができる心の豊かさの証で、少しおおげさに言えば、人間であることの証なのだ。
もしそうであるならば、メンヘラであることは、心が豊かであることや人間であることと、ほとんど同じ意味なのかもしれない。
そして、そういった豊かな心が生み出す作品にふさわしい言葉は、筆者にとっては今のところ「美しい」以外に考えられない。
結論、ミオヤマザキは美しい。
メンヘラはメンヘラを救えるのか?
さて、本記事のタイトルは「メンヘラはメンヘラを救えるのか?」という問いの形であった。答えは明白であるように思う。
しかし、あえて言葉にはしないでおきたい。なぜなら、答えはメンヘラ(=人間)である読者がそれぞれに見つけるものだからだ。
そのヒントは、ミオヤマザキのステージにある。
このバンドが奏でる音楽や言葉の中、その美しさの中にきっとある。
明日もどうにか生き延びよう。
セットリスト(R指定)
1. メンヘラ(ミオヤマザキのカバー)
2. ぼくらのアブノーマル
3. delete
4. 國立少年-ナショナルキッド-
5. 哀々傘
6. -SHAMBARA-
7. 青春はリストカット
8. 病ンデル彼女
9. バンドマン
10. 学級崩壊
11. 八十八ケ所巡礼
12. さらばビッチ
セットリスト(ミオヤマザキ)
1. メンヘラ
2. オカルティック69
3. 正義の歌
4. 婚活ハンター
5. 叫ビ
6. ノイズ
7. 鬱鬱
8. DV
9. バンドマン
10. 民法第709条
11. 童貞ハンター
12. バカアホドジマヌケ死ね
13. 水商売
14. 山崎美央
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