5月にローンチパーティーを開催し、その活動を本格化させたmillennium parade。紗幕上に、近代都市と人間をモチーフにして描き、そこに警鐘を鳴らすような3D映像が暇なく流れ、それと同期する形で常田を中心にした総勢9人のメンバーが音と声を重ね合せる。ジャズ、ヒップホップ、R&Bが融解したかと思えば突如破綻と混沌が訪れ、また再生していくような楽曲たちは、常田が当初から「トーキョー・カオティック」という言葉で表してきたコンセプトをどのように体現したものなのか。かねてからソロプロジェクトとして活動してきた「Daiki Tsuneta Millennium Parade」を今こそ世界へ発信するものとして考えるのは、なぜなのか。3 rd シングル『Stay!!!』のリリースを機に、徹底した美意識を貫くための闘いと、居場所のなさを抱えてきた男が今こそ仲間たちと作り上げようとする桃源郷の在りかについて聞いた。
Photo_Keiichi Ito
Text_Daichi Yajima
「自分が作る音楽と東京にリンクする部分もあるなって気づいたんですよ」
――millennium paradeを5月にローンチしてから非常にコンスタントに楽曲を発表されてきて、今回の“Stay!!!”で3曲目のシングルになるんですが。ここまでの手応えはどういうものですか。
常田 : 手応えを感じるというよりも、粛々と未来への動きの準備をしているだけの期間だった気がしてますね。しかもその次の動きについてはまだ言えないことが多いので、申し訳ないんですけど(笑)。
――わかりました(笑)。きっと次も大掛かりで実験的な動きであることは予想できるんですけど、実際に5月のローンチパーティーを拝見しても、3D映像、音響、楽曲すべてにおいて、組み合わさっている要素がことごとく実験的だと思ったんですね。改めて、このmillennium paradeの根底にあるのはどういうものかを教えてもらえますか。
常田 : やっぱり複合的なものというか、ミックスカルチャーは強く意識していて。そういう意味で、音楽にも映像にもいろんなものを混ぜる実験的な側面は強いと思いますね。だから、このプロジェクトで「伝えたいこと」があるかどうかで言ったら、いろんな人がいていろんな生き方がある、っていうことを全部肯定するような、そういう表現がしたいっていうのは間違いなくあって。人にも音楽にもそれぞれに面白いところがあるっていうことを、ポジティヴに讃えたいというか。それがコンセプトなのかなって思いますね。
そもそも、今俺らがいる東京っていう街自体が、いろんなものが混ざったカオティックな都市性を持ってるじゃないですか。やっぱりそれを面白がりたいっていう気持ちがずっとあるんですよね。
――人それぞれの生き方を「ポジティヴに肯定する」とおっしゃいましたけど、今の東京という街は常田さんにとってポジティヴに見えますか。
常田 : いや、全然ポジティヴに見えないっすね(笑)。そこも含めて面白がりたいなって思うんですけど……でもやっぱ、音楽ひとつとってもヴィジュアルひとつとっても、一貫した美意識を感じられない街だなって思うんですよ。かと言って価値観は多様性を肯定しない、嫌な意味での単一性を感じる。
自分は長野で育ってきたんですけど、東京に出てきた当時は、特にそういう美意識の欠如が嫌いだったんですよ。でも、ふとした時に、自分が作る音楽と東京にリンクする部分もあるなって気づいたんですよ。混沌としてる東京のごった煮感と、ミクスチャーな自分の音楽、一人の人間が持つ多面性――そこをより一層意識してやってみようっていうのが、millennium paradeだと思いますね。
――そもそもを聞くと、音楽にしてもファッションにしても映像にしても、いろんなものを寛容に受け入れられることを大事にしているのはなぜなんだと思います?
常田 : うーん……そのほうが面白いからだと思います。だって、いろんな生き方に寛容になれれば、どんな人とも繋がっていけるじゃないですか。ただ、今東京っていう街を俯瞰して見ると、「いろんなものが混ざって面白いことになっています」と打ち出せるだけの美意識すら持っていないなあって思うんですね。すべてがバラバラに点在しているだけっていうか。で、俺の場合はそこに対する問題意識もありつつ、でも視点を変えたら、世界に打ち出せるくらい面白い混沌がある状態でもあるなって思ってて。
――東京という街はモノに溢れているけど、いろんなカルチャーが融解することなく混沌のまま存在している。その混沌こそが世界的に見た時の個性になると。
常田 : そうそう。そういう混沌とした状況こそが純粋培養された独自性だと思うから。そんな感じなのに東京って多様性を認めているようで認めていないっていう歪んだ感触があるので、この国で暮らす自分たちくらいはそこの面白さを楽しもうぜって感じですかね。
「綺麗なものと汚いものを持っている人間を表現したい」
――millennium paradeの楽曲では、ヒップホップ、オルタナティヴジャズやアンビエントR&Bの要素が渾然一体となっていると思うんですね。で、それらの音楽が持っている背景を考えると、それぞれがメインストリームに対するものとして派生してきたところがある。先ほどは「自分の音楽と東京には通ずるものがある」とおっしゃいましたけど、オルタナティブなものをどう繋いでいくかという音楽的な視点にも、それは表れていると思うんです。そのあたり、ご自身ではどう思われてますか。
常田 : これは昔から思ってることなんですけど、音楽においては特に、アンダーグラウンドとオーヴァーグラウンドがどんどん乖離していて。その状況の中で、攻めたことや実験的なトライをしているアンダーグラウンドの音楽家がどんどん元気をなくしていってるんですよ。じゃあなぜそうなるのかって考えたら、その中間層がいないからだと思っていて。
たとえばKing Gnuは今オーヴァーグラウンドでやってますけど、アンダーグラウンドには攻めてて面白いことをやってるヤツがたくさんいるのも知っていて。でも最近じゃそういうヤツらも歳を重ねる毎に上手くいかないことが多くなって規模が縮小してきている。音楽にしても他の業界にしてもメジャーシーンの感覚が閉じちゃってる様を感じてたので、今は良くても将来的には縮小していくだろうなとは予想してたんですけど。その予想通りになってきちゃってるんですよね。だから、オーヴァーグラウンドとアンダーグラウンドを繋ぐミドルの層が必要なんですよ。
――今、King Gnuはオーヴァーグラウンドで攻めた音楽を「投げかける」ことができる立場になったわけですけど、その大きな間口があった上で、millennium paradeではアンダーグラウンドとオーヴァーグラウンドを跨ぐ表現を追求しているところもあるんですか。
常田 : どうだろうな……たぶん使命感はないんですけど、これまでの俺の活動によってmillennium paradeもお客さんが入る状況にはなってるから、その状況を見ると、日本のポップスだけを聴いてきた人達が、未知の音楽体験をしてもらって何かを感じるっていうのは面白いことなんじゃないかなって思えてるんですよね。やっぱり今のJ-POPやメインストリームとされている音楽と、俺がかっこいいと思ってる音楽は相入れない部分があるので。そこでどうしていくか、どう混ぜていくかって考えたら、結論はシンプルで。音楽に対してライトに接している層の人にもカッコいいと思われるミュージシャンシップや表現としての強さがあれば、そこの溝は超えられるんじゃないか、感動させられるんじゃないかと未だに信じているんですよ。そこで大事になってくるのが、説明や理屈よりも圧倒的な「体験」なんですよね。
――なるほど。先ほどの「東京の独自性」という話にも通ずるけど、「そこにしかないものを体験することを欲している」という点は世界においても人においても一番の共通点かもしれないですね。
常田 : 周りを見てみても、海外で勝負するためにみんな試行錯誤してるじゃないですか。その中でより一層思ったのは、やっぱりトータルのアートワークとして勝負しないと無理だっていうことなんですね。俺はいつも「トーキョー・カオティック」と言ってますけど、ライヴという形で東京という街を体験させられた時にそれがそのまま独自性になっていくと思うし、そこにしかないものを体験できることを求めてるっていうのが、世界と接続するために大事だと思ってて。総合的なアートとしてどう見せられるか――そこだと思うんですよ。
――だから、一貫した美意識を求めると。その美意識の一番の背骨になっているものを言葉にすると、どういうものだと思いますか。
常田 : うーん……結局最終的には、人間としての精神性とか、汚いものも綺麗なものも含めて表現する意志だと思います。たとえばヴィジュアル的な見せ方をいくらでも作ることはできるけど、でも、結局は一貫したものがないと上滑りしてしまうじゃないですか。だから、俺の作りたいものにレイヤーがあったとすると、まずコンセプチュアルかつキャッチーなヴィジュアル面を作って、それを掘っていった先で、綺麗なものと汚いものが混在している東京、綺麗なものと汚いものを持っている人間を表現したいんですよね。
――どんなにアブストラクトな表現をしたとしても、すべてが人間に辿り着くと。それはご自身のどういう人間観なんですか。
常田 : 俺は、どんな芸術においても人に感動するんですよ。millennium paradeは音楽的にも演出的にもハイテクなものを重要視しているけど、でもやっぱり肉体性が前提なんですよね。
さっき「なんでも混ざったほうが面白い」って言いましたけど、結局自分がやりたいのは「どんな人間も肯定する」ってことなんです。だから、どんな芸術表現においても、人間がやっているっていうところに目がいくんだと思います。たとえば今回の“Stay!!!”ではCharaさんに歌ってもらってますけど、アーティストとしてずっとリスペクトしているのは当然として、やっぱり人としての繋がりもあったからこそお願いしたんですよね。
――これだけビートとリズムが軸になった音楽の中で、それを貫いていくヴォーカルの強さは相当ですよね。一気に秘密の花園感が出る唯一無二の声だなと。
常田 : 花園感(笑)。やっぱりCharaさんがすごいと思うのは、年齢も人種も国籍も不詳な歌声じゃないですか。そういう意味で「境界を超えてる」って思えるヴォーカリストって、若い世代にあんまりいないなあと思うんですよね。そういう独自性を持ってる人と繋がっていけるプロジェクトとして、毎回面白いことはしたいですね。
――“Stay!!!”のリリックも動物がモチーフとして出てくるし、“Plankton”のMVも、現代的な都市を動物が行進する様を描いたものでしたよね。先ほども人間に惹かれるという話がありましたけど、エクスペリメンタルな世界観の中で動物を描いていくのは、どういう気持ちからなんですか。
常田 : 当初のmillennium parade自体のコンセプトイメージは百鬼夜行を想像してたんですよね。妖怪のパレードというか――いろんな生き物がバラバラなままパレードしてるイメージですね。それも結局、多様性に対して寛容でありたいっていうところに繋がると思うんですけど。
――ただ、今の現実としては多様性という言葉が形骸化していくばかりだし、頭ごなしに全部をひとつにして個を消すような暴力的な空気すらある。そんな人間に対するものの象徴として、互いに関与しながら生命を維持している動物を描くところもあるのかなって思ったんですよね。それは、現代的でハイテクな技術を交えながらも、敢えてそれを崩すビートやアレンジ、カオスを挿し込んでいくライヴと音楽にも通ずるところだと思ったんですけど。
常田 : ああ、そう言われたら、そういう視点は間違いなくあります。たとえば……最近の活動で人の目に触れる機会は増えましけど、この前生放送の番組に出た時、あくびしてるところを映像で抜かれちゃって、めちゃくちゃ叩かれてたらしいんですよ(笑)。放送後に母ちゃんから心配の電話が掛かってきた。何が言いたいかというと、自分の価値観とは違う、異分子ってだけで叩いたり排除したりする人間の動きに対して、学校に通ってる時代から違和感を持ってきたんですよね。特に俺はどこにいても異分子になっちゃってたし、生き辛さはずっと持ってきたんですよね。
で、こうやって日本の音楽業界に身を置いてみても、似たようなことになってるし、多様性もクソもない状況になってる。そういう部分でのカウンターとか皮肉を入れることには意識的だと思いますね。
――実際、展開やリズムをぶっ壊す瞬間を必ず曲に入れられますよね。
常田 : それは間違いなくありますね。
――それでも曲が破綻せずメロディの元でまた再生していくじゃないですか。その軸になっているのはどういうものなんですか。
常田 : うーん……でもそれは、自分の、この体、としか言えないですね。肉体性っていう軸があって初めて、作家性が宿ると思うんですよ。色んなカルチャーを上部だけで捉えて組み合わせたとしても、結局それは上滑った表現にしかならない。だから、まずは自分の体で吸収して宿ったもの、自分の肉体を通過した表現でないと嘘になっちゃうんですよね。どんな音楽性の曲を作るにせよそれが一本筋になっていると思うし、どんな芸術だとしても最終的には人に感動するっていうのはそういうことのような気がしますね。
「人と人が関わり合う上で重要なことを、バンドが教えてくれている」
――ある種の人への執着が強いのは、異分子扱いされて生きづらさを感じてきた常田さん自身が「ここにいてもいいんだ」って思える場所を作りたいっていうことでもあるんですか。
常田 : ああ……確かに、今も居場所がないなっていう感覚は消えてないので。ずっと、どこにも居場所がないっていう孤独感は消えないんですよ。音楽シーンに対してもそうだし、人の渦の中でもそうだし。
だから、俺の曲を聴いて同じように「いいな」って思ってくれる人――それはミュージシャンもそうだし、お客さんもそうなんだけど、音楽を通して、「俺と同じように感じている人がいるんだ」って知ることが、自分の一番のやりがいなんですよね。人とリンクしてるって思える瞬間を探してるというか……だって、時代的にも個人的にも、人とのリンクを感じられない瞬間ばっかりだから。自分と似てるなって友達を探して、繋いでいく――それが自分の音楽の大きな動力になっているような気がします。
――たとえばBrainfeederを参照点にされているのも、そういうご自身の背景が大きいのかなと思ったんですね。単にLAビートシーンがどうという話じゃなくて、音楽的にも人間的にも歪なものを面白がって受け入れる場所という点で。
常田 : なるほど。そう考えると、自分がすごく重要視してるのは、人と人で作品を作っていく上で、共通する哲学あるかどうかっていうことだと思うんですね。
たとえばいろんな人がいる中で、いろんな想いをそのまま汲み取ってたら「みんなの平均点」をとる作業になってくるじゃないですか。でも、そういうことには興味がない。自分の価値観と、共鳴した仲間の価値観を重要視するってことが、今の俺にとってすごく大事なんです。
自分の哲学や美意識を失って、何を拠り所にするのかわからなくなってる人がたくさんいるのが今だと思うんですけど、そこに対しても、millennium paradeはカウンターとしての場所になってると思うんですよね。
常田 : ああ、そういう気持ちは強いかも。
――millennium paradeのローンチパーティーでも、常田さんはプレイヤーというよりも人と人の間のコンダクター的な役割にいましたよね。指揮するというよりも、個々を繋いでいたというか。
常田 : やっぱり俺は、人と人の繋がりをバンドって呼んでるような気がするんですよ。millennium paradeもバンドだし、PERIMETRONもバンドだと思ってる。もちろんKing Gnuもバンドだし。俺の思うバンドは、同じ哲学を持った人の集合体ってことなんですよ。その哲学を共有できる仲間が俺にとってすごく大事で。逆に言えば、組織にとって大事なことや、人と人が関わり合う上で重要なことを、バンドが教えてくれている気もするし。同じところを目掛けながらも、互いの尊重がそこにある。それがバンドなんですよね。そういう気持ちをいろんな形にしていくという意味でも、複合的なものが合わさっているmillennium paradeはいい機会だと思ってます。
――5月のローンチパーティーを拝見して一番興奮したのは、何より個々の役割や個々のストーリーを丁寧に織った上での音楽が鳴っていたところだったんですね。音楽的な構築美を飛び越える、フィジカルな高揚があった。それは限りなく未知の体験だったんです。その感覚を生み出す根拠になるお話を伺えた気がします。
常田 : 日本って未だにカラオケ文化だから、マス目線で見たら、結局は「みんなで歌えるかどうか」になってくるじゃないですか。でもその型は、俺の思うことと相当ズレてるなって思うことばっかりなんですよね。知ってるものかどうかじゃなくて、やっぱり自分の見たことのない世界に連れて行ってくれるってのが俺にとっての音楽だから。そういう意味では、カラオケ文化みたいに既視感のあるものを楽しめる感覚も逆手にとって面白がれたらいいと思ってるんですけど。そういう発想の転換を持って、これからもやっていきたいと思いますね。
〈リリース情報〉
millennium parade 3rd Single
2019.09.27
『Stay!!!』
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