amazarashiの活動の幅が広がっている。
シングル『空に歌えば』はTVアニメ『僕のヒーローアカデミア』の主題歌になり、『フィロソフィー』は松田龍平と遠藤憲一の出演する<ダイドーブレンド>ブランドのTV-CMソングになるなど、大型タイアップがつづいた。昨年2月の3thフルアルバム『世界収束二一一六』以来、およそ2年ぶりのリリースとなるフルアルバム『地方都市のメメント・モリ』には、その『空に歌えば』と『フィロソフィー』が共に収録されている。2017年12月13日(水)に新アルバムがリリースされたのを記念して、本記事ではamazarashiの魅力に改めて迫ってみたい。
Text_Hiroyuki Ozawa
Edit_Sotaro Yamada
(amazarashi『フィロソフィー』MV)
ファン層の広がり
amazarashiの露出が増えてゆくにつれて、ファンの裾野は着実に広がってきている。
以前おこなった秋田ひろむへのインタビューのなかでも紹介したように、今年、海外のファン有志がamazarashi にオマージュを捧げる動画を制作した。その人気はいまや世界規模なのだ。
(amazarashi Fan Tribute 2017:海外ファンが制作した動画)
amazarashiの受け入れられ方も様々だ。
日本を代表する文芸誌の一つ『群像』(2017年11月号)に、amazarashiの歌を盛りこんだ小説が発表された。新進の小説家・李琴峰(り ことみ)の新作「流光」である。
彼女はamazarashiの大ヒットナンバー『季節は次々死んでいく』を大事なポイントで何度か引用している。
(amazarashi『季節は次々死んでいく』MV。再生回数は2,900万回を越える)
amazarashiの楽曲は音楽以外のジャンルにも波及し、そこで新たな創作の源泉となっている。このことは、秋田ひろむが多くの詩や小説から影響を受けて、それを自身の楽曲制作に活かしてきたことと、見事に対をなしている。ギブ・アンド・テイクというわけだ。
李琴峰「流光」
李琴峰の小説「流光」は、大多数の読者には馴染みの薄いと思われるSMを題材にしている。
しかし、そこに描かれるのは普通の人たちの普通の日常であり、誰もが知っている恋であり、失恋であり、時の移ろいに抱くもの悲しさである。悩みの種は人それぞれかもしれないが、それぞれの悩みを皆が耐え忍んでいる点は変わらない。
その意味で、ここに描かれているのは決して特殊な心理や世界ではない。それは私たち自身だ。
登場人物の一人が「季節は次々死んでいく」をくり返し聴きながら、こう話す。
「この曲、何だか特別な魔力があるような気がして、いつも魅了されるのよね。まるで私のために書いたみたいな感じで」
「私」のための歌
「まるで私のために書いたみたいな感じで」という言葉は、amazarashiの歌の本質を射抜いていると思う。
自分のために歌った歌が、巡り巡って誰かのためになるのなら、それは最高のゴールだ。秋田ひろむはかつてライブ映像を収録したDVDのなかで、そう語ったことがある。
もともとは秋田ひろむが自身に向けて歌った歌が、誰かのための歌に変わることがある。なぜなら、彼は自分の気持ちを正直に歌うから。そこに歌われているのが偽らざる率直な感情と心情だからこそ、リスナーはその歌のなかに自分の偽らざる心の内を発見できるのだ。
特定の個人(「私」や「あなた」)、あるいは少数派の人たちに向けられた言葉や歌は、不特定多数に向けられたものよりもモチベーションが原色のように明瞭で、メッセージ性は原液のように濃い。
ところが、そのような言葉や歌が本来の宛先に届くことは稀で、それどころか宛先とは違う人のところに「誤配」されてしまうことが多々ある。しかしそうしたときでさえ、それがまるで本来の宛先人に読まれ、聴かれるようにして、高い純度と濃度を維持しながら受容されることもまた、よくある。
つまり、受信者は自分に宛てられたものだと「誤解」するわけだ。
まるで自分のために、自分のことが、書かれ歌われているように感じてしまう。そのような「誤解」は誰しも身に覚えがあるだろう。
(amazarashi『つじつま合わせに生まれた僕等』MV。この歌も最初は「宛のない手紙」だった)
amazarashiの歌う「僕」は、このぼく自身のことだった。ぼくは「鍵をかけた部屋」で戦ったし、心が潰れた土砂降りの日に「未来は僕らの手の中」と呟いたし、朝陽に「俺らの夜明けはもうすぐそこだ」と胸を熱くした。そして過去を燃やすため、「この部屋に火をつけ」さえしたのだ。
でもそれはきっと、すべての「ぼく」や「私」だって同じはずではないか?
amazarashiは活動の幅を広げている。ファンの数も着実に増えている。それでもやはり、amazarashiはいつまでも、「私」のための歌でありつづけてくれる。
彼らが彼らのエモーションを曝けだして率直に歌にすることは、ゆくゆくは「私」のためであり、そして「私」のための歌になってくれることこそが、彼らの最大の魅力なのだ。
amazarashiは「私」のために歌ってる。
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