wacciの「別の人の彼女になったよ」という曲を知っているだろうか? 「別の人の彼女になったよ」は今年の3月にMVが公開されたのだが、この曲のMVを見た人が自分の恋愛体験をYouTubeのコメント欄に書き綴るという、類を見ない現象が巻き起こっている。多くの人が自分の体験に重ねてしまうこの現象はなぜ起こったのか、紐解いてみよう。
MVのコメント欄に自分のストーリーを書き綴る人が続出
wacciは2012年にメジャーデビューした日本のバンド。バンド名には「わたしたち」という意味が込められており、聞く人全ての「暮らし」の中にそっと入り込んでいけるようなポップスを目指している。
「別の人の彼女になったよ」、通称「ベツカノ」は、そんなwacciが2018年7月から行った4カ月連続配信シングルの第2弾として、2018年8月にリリースされたもの。真夏に配信されたこの曲だが、季節がめぐりまた夏が来ようとしている今も多くの人に聴かれ続けている。
2019年の3月には、YouTubeでMVが公開。再生回数は350万回を突破し現在も伸び続けているが、この曲のコメント欄ではある変わった現象が起きている。それは、曲を聴いたリスナーが、自身の過去の恋愛体験をコメント欄に書き綴るということ。
コメントは短いものから長いものまであるが、その数は6月5日時点で3300件以上。他のwacciの動画と比べてみると、2015年にリリースされた『大丈夫』という曲は、再生回数は1000万回近いが、コメント数は2000件ほど。このことからも、『別の人の彼女になったよ』のコメント数の多さがうかがえる。
“あるある”な歌詞+個人の体験=わたしの歌
誰もが思わず自分のことを語りたくなる。それはwacciの曲が「わたしたち」の「暮らし」に入り込んでいる証拠といえる。では、こうしてリスナーが自分のことを語りたくなってしまうのは何故だろうか。
その理由はこの曲の歌詞にあるだろう。前の彼氏はフェスで大はしゃぎするし、映画を見ていると自分よりも号泣している。一方、今の彼氏はそんなことはなく、余裕があって優しくて、色んなことに詳しくて尊敬できる。最初に歌われるのはそんな内容だ。しかし、曲が展開していくにつれて、どこか無理して良いところを探しているような、そんなできすぎた彼氏に息苦しさを感じているような雰囲気が漂う。そして最後には、本当はまだ「あなた」に未練があることが明らかになるのだ。
この曲を作詞作曲した橋口洋平は、楽曲のリリース時に次のようにコメントしている。
“好き”と“幸せ”は必ずしもイコールではなくて、でも両方とても大切で。
忘れられない恋愛より自分のための恋愛を選んだ人の少しだけ後ろを振り返る歌です。
前の彼氏はこういう人。今の彼氏はこういう人。書いたのはそれだけ。
最後は少し気持ちを吐露してますが、このシチュエーションの奥にある心理描写はあなたに委ねます。
wacci初の、女性目線で描いた一曲。是非聞いてみてください。
前の彼氏はこういう人。今の彼氏はこういう人。書いたのはそれだけ——。等身大のディテールを積み重ねて人物を描きながら、ストーリーを展開していく歌詞は、多くのファンに支持された西野カナのラブソングを彷彿とさせる。彼氏や彼女とフェスや映画に行ったことがある人は多いだろう。“あるある”な歌詞だが、そこに個人の体験が重なると「わたしの歌」になる。西野カナはそれを熟知したラブソングの名手だったが、「別の人の彼女になったよ」もその好例と言えそうだ。
いしわたり淳治も絶賛した、コピーライティングとしての素晴らしさ
また、「別の人の彼女になったよ」は作詞家、音楽プロデューサーのいしわたり淳治にも絶賛されている。いしわたり淳治は自身が出演したテレビ番組『関ジャム 完全燃SHOW』で、この曲を「2018年のベストソング」として紹介。また、リリース直後にはウェブサイト『&M』での連載「いしわたり淳治のWORD HUNT」でもこの曲を取り上げ、「別の人の彼女になったよ」というフレーズを次のように賞賛している。
聞き慣れない言葉なのに、誰もが瞬時に意味が分かって、登場人物たちを取り巻く環境や心情までをも勝手に想像してしまう。コピーライティングとしても素晴らしい一言である。
たしかに、言われてみれば「別の人の彼女になったよ」とはまわりくどい表現だ。普通であれば「新しい彼氏ができたよ」と言うかもしれない。いしわたり淳治も記事の中で書いている通り、この言い方は「別れた彼女が元彼に言う意外にはあり得ない一言」だ。それはロマンチックで悲しい。もう恋人同士ではないのに、二人の間でしか通じない新たな言葉が生まれているのだから。
そして、この印象的なフレーズがタイトルに冠されたことにも触れておきたい。タイトルに掲げられていることで、この曲は新しい彼氏の歌でも、別れた彼氏の歌でもなく、まぎれもない「別の人の彼女になった私の歌」になっている。自分自身にフォーカスすることで、完璧な彼を愛せずにいる自分や、前の彼氏への思いを捨てきれないエゴが一番にフォーカスされているのだ。
『ベツカノ』が証明する、クリーンなだけじゃない私たちのリアル
この曲はwacciのこれまでの楽曲とは異なる作風で、橋口のデモを聴いたメンバーやスタッフの間では賛否両論が巻き起こったという。付き合っている人がいるのに、前の彼氏のことを忘れられないという恋愛観は、たしかにクリーンではない。だけどこの曲がヒットしている事実は、私たちのリアルはクリーンなだけではないということを示している。そしてそういう人のほうが、「別れてしまったけど出会いに感謝! 新しい彼氏は最高!」みたいに前向きなことしか言わない人よりも、ずっと人間くさくて魅力的ではないだろうか。この曲の主人公が、完璧な今の彼氏より前の彼氏に惹かれたように。
最後に、この曲について語られる場所がTwitterなどのSNSではなく、YouTubeのコメント欄だったことも考えてみたい。好きな音楽について自分の感想を書いたり、体験と結びつけて語ったりするならTwitterのほうがメジャーな気がするが、試しにTwitterで「別の人の彼女になったよ」と検索してみると、楽曲をオススメするツイートや「歌ってみた」の動画は見つかっても、YouTubeのように自身の体験を綴ったものはほとんど見当たらなかった。
これには文字数の関係や、一度書き込む流れができたから書き込んでみた、という人もたくさんいると思うのだけど、「SNSってそんなに匿名じゃないよね」という点もあるように思う。Twitterは日常のことを断片的に綴っているから、その人の人となりがなんとなく見えてしまう。友人や、それこそ今の彼氏、前の彼氏と繋がっていることもあるかもしれない。そうすると、「別の人の彼女になったよ」を聴いて思いだした人のことを書けない場合も多いだろう。
YouTubeのコメント欄は、そんな人たちの受け皿になったのかもしれない。YouTubeもそれぞれにアカウントはあるけれど、Twitterほど私生活は見えてこないし、必ずしも友人とも繋がっていない。SNSよりも匿名性が高いのだ。
友人には言えないけれど、誰かに聴いてほしい未練や、自分でもしみったれていると思うぐずついた気持ち。それを吐露する場所として、「別の人の彼女になったよ」のコメント欄は機能しているのではないだろうか。
「別の人の彼女になったよ」のコメント欄には、今もそんな顔の見えないストーリーが綴られている。気になる人は、ぜひYouTubeをチェックしてみよう。
作品情報
wacci
『別の人の彼女になったよ』
2018.11.07 Release 3rdalbum「群青リフレイン」収録曲
通常盤[CD] ESCL-5129
¥3,000(税込)
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