スペアザって、そもそもどんなバンドなのだろう?
“スペシャルアザース”。レコードショップに足を運ぶ人だったら、店頭のポップで店員さんが熱心に彼らをリコメンドしているのを見掛けたことがあるだろうし、フェスが好きなら、タイムテーブルでその名を何度も目にしているはずだ。インスト、4ピースのジャムバンド、数々のアーティストとのセッション、心地よいサウンドに極上のグルーヴ……人からヒトへ、メディアからメディアへ、いろんな言葉で語られてきたスペシャルアザースと音楽。近年ではアコースティック楽器を手に取って、新たな一面を僕らに見せてくれている“スペアザ”。今一度、その深みに触れるため知っておきたい7つのコト。
Photography_Shunsuke Shiga
Interview&Text_Rui Konno
Edit_Kenta Baba
左から:芹澤”REMI”優真(キーボード)、柳下”DAYO”武史(ギター)、又吉”SEGUN”優也(ベース)、宮原”TOYIN”良太(ドラムス)
1.高校時代の同級生
彼ら4人が出会ったのは高校1年生のときのこと。全員が軽音楽部に所属し、授業が終わって集まっては、弾き語りや歌謡曲のコピーをしていたそう。「放課後がずっと続いてる」と話す彼らの、昔と今。
――この4人が“同級生”っていう感覚は、今も変わっていませんか?
宮原・柳下 : 変わらないですね。
又吉 : そうだね、変わらない。
芹澤 : 本当にそうですね。普通に高校1年と3年生のときに同じクラスで、1年生の冬あたりにはバンドを結成してって感じです。
――高校生時代の印象的なエピソードがあったら教えてください。
宮原 : えっと、芹澤が階段抜かして……。
芹澤 : あ、下品な話?
宮原 : やっぱやめとく。マイナスプロモーションになっちゃうから(笑)
――気になりますね(笑)。仲良くなる前のそれぞれの印象って、覚えていますか?
宮原 : 芹澤は髪型がギバちゃん(柳葉敏郎)みたいで、前髪だけヒュッと上げてて。で、理屈っぽいツッコミを入れる、知性派のヤツだなって思ってました。……まぁ、今もそんなに変わってないですよね(笑)。
芹澤 : (笑)。
宮原 : 又吉は挨拶のとき、みんなが名前呼ばれて返事する中、(低い声で)「はい」とか「ういーす」みたいなこと言うから、こいつはヤンキーなんだなと思ってました。ミニヤンキー。
芹澤 : (宮原)良太、最初の挨拶で自己紹介するときにちょっとボケたんですよ。そのとき、“こいつはちょっと要注意だ”と思いましたね。俺もどちらかといったらボケたかったんで。好敵手だなと。俺とはまた違うパワー系のヤツ。俺の中学にはいなかったタイプだな……って(笑)。
又吉 : 良太が体育の授業のときに着替えてて、ジャージを上下逆だか裏返しだかに着てたんですよ。僕は“この人何やってるんだろう”って不思議で仕方なかった(笑)。ヤギ(柳下)は僕の一番最初の席の隣だったんですけど、いきなり「はじめまして!」って言われて。急に挨拶されて僕もよくわかんなくて、「あ、あぁ、どうも」って。それが最初かな。
柳下”DAYO”武史(ギター) photo by 高田 梓
――その柳下さんからみた印象はどんな感じでしたか?
柳下 : 良太とは中学から一緒だったので中学の頃の印象ですけど、隣の隣のクラスから、なんかいつも太くてよく通る良太の声が聞こえてきてたんです。だから話す前からきっと賑やかな人なんだろうなって思ってました。芹澤とは、最初のころはあんまり喋ってなかったんですけど、席が前と後ろになったとき、“芹澤は絵が上手い”って話になって。僕は「今から言う名前をイメージだけで描いてくれ」と芹澤に言ったんです。「ペテクロスっていうキャラを書いてくれ」って。ちなみにペテクロスってのは実在してないし、僕が考えた名前だけの人物なんですけど。でも芹澤は、俺が思うペテクロスを描き上げた(笑)。ギリシャの勇者みたいな。「お前やるな!これは確かにペテクロスだ」って(笑)。
――今の4人の温度感がすでにでき始めている気がしますね(笑)。その後、卒業後には旅に出られたそうですね?
宮原 : はい。出会った頃はそんなことをするなんて想像もしてなかったんですけど。高校卒業してすぐ、4人で車に乗って。
又吉 : 東北にね。
芹澤 : 松島、仙台、喜多方通ったり。あと、栃木の今市の花火大会。3、4泊くらいの旅行だったね。
又吉 : 日光も行かなかった?
芹澤 : 行った。じゃあ5泊くらいしてるんじゃない?
宮原 : 誰が言い出しっぺだったんだっけ?
柳下 : 俺が高校卒業して車の免許取って。実家の車があったから、「自分たちだけで行ける」って。
又吉 : 「ドライブ行こうぜ」ってなってたよね。
柳下 : で、北に行ったら可愛い子がいるって。
芹澤 : そうそう。そうだ。
柳下 : 当時はスマホもなければナビとかもなかったから、でっかい地図帳を見ながら「北はどっちだ……?」って。
又吉 : ナンパしに行ったようなもんだよね。芹澤とヤギはそれ以外にも名古屋とか行ってなかった?
柳下 : 行ったね。夜の12時くらいに。夜マック食べてて、「暇だから名古屋行ってみる?」って。俺は冗談のつもりで言ったのに。芹澤が「いいよ」って言うから、そのノリで。
宮原 : あの頃みんなですごいドライブ行ってたもんね。その延長線上に東北ドライブ旅があったのかも。
4月30日に開催された日比谷野外音楽堂でのワンマンライブ photo by 高田 梓
2.共有してきた初期衝動
それまで、各々がマイペースに音楽と付き合ってきた彼らだが、4人が同時に衝撃を受け、今の音楽性の原点になるような経験があったそうだ。今のスタイルへと導いたきっかけとは。
――皆さんがバンド結成当初に影響を受けていたのはどんなアーティストだったんですか?
宮原 : 最初はヒットチャートに入ってる曲をそのまま演奏するって感じでしたね。
又吉 : “文化祭に出よう”っていう目的があって結成されたバンドだったんです。
宮原 : 女の子にモテようとして、Mr.ChildrenからLUNA SEAにGLAYとかまで、とにかく売れ線をコピーしました。昔はポリシーはありませんでしたから(笑)。演奏ができるだけで楽しいかった。
――でも、文化祭が終わってもバンドは終わらなかったんですよね?
宮原 : そうなんです。授業よりドラムの練習してる方が楽しかったんですよね。。授業中も楽譜見ながら練習したり。
又吉 : 良太あれだもんね、部活だけしに学校来てたもんね。
宮原 : あの頃はなんか眠くて眠くて。まぁ、そんなこともありつつ。
芹澤 : 高校の頃はオリジナルの曲なんて一切演奏してないんじゃないかな?
又吉”SEGUN”優也(ベース)photo by 高田 梓
――オリジナルを作るにあたって、全員で意思統一とかはされたんですか?
宮原 : 最初のうちはそういうのも全然なくて。ノイズっぽいことをやったりとか、適当な垂れ流しの音楽ばっかり演奏してました。でも当時、オーガニック・グルーヴっていうイベントがあって、そこでは当時流行ってたアメリカのジャム系のバンドたちがたくさん出演してたんですけど、そういうのをみんなで観たりとか、CD買ったりするようになって少しずつ変わっていきました。
芹澤 : そうだね。
宮原 : あと、やっぱりフィッシュ。フジロックですね、’99年の。“フィッシュってバンドが良いらしいよ”って、事前に誰かから聞いてはいたんですけど、実際にフジロックに4人で行って、彼らを観たら本当にカッコよくて。その後もフィッシュはライブを観に行ったりしていて、そういう経験を共にしたことが音楽性の意思統一に繋がったのかな。最初に『BEN』って曲を作ったんですけど、そのときにはもう、“俺たちはこういうバンドなんだな”って思ってたような気がします。
4人が’99年のフジロックで衝撃を受けたPhish
1st mini album『BEN』
3.自然と決まった4つのパートと、定まらなかったバンド名
ギターとベースにキーボード、そしてドラム。これがスペシャルアザースの4人編成。早くからそこに至るも、フライヤーに載る名前は活動の度に変わっていたそう。彼らが“スペアザ”になった、当時のことを振り返る。
――その頃、名前はもう「スペシャルアザース」になっていたんですか?
芹澤 : 『BEN』ができたちょうどその頃ですね。この名前になったのは。
――それまでのバンド名はどんなものがあったんですか?
芹澤 : 恥ずかしくて言えないくらいですよね。“レストランズ”、“アインシュタイン”、“ピラミッド”もあったね……。
宮原 : “クラッシュタモリ”とか“クラッシュボーイズ”、“ハリケーンファミリー”とかね。その都度名前は違いました(笑)。
芹澤 : ライブに出るから名前が必要だったんですけど、別に誰も真剣に考えてなかったんですよね(笑)。
――なるほど(笑)。芹澤さんは最初、ボーカルだったんですか?
芹澤 : そうですね。あとギターもちょこっと弾いたりしました。結成当時は6人だったんですけど、最終的にこの4人になって。
――6人編成の当時はギターが2人?
宮原 : そうですね。ツインギターで、キーボードがもう一人いました。
芹澤 : いや、もうひとりというか、最初はその人だけがキーボードでした。
宮原 : そうだね。芹澤はボーカルだったよね。
――キーボードをやることになったのは2名の方が抜けたからですか?
宮原 : いや、それは関係ないですね。2人が辞めてからしばらく4人で遊んでたんですけど、セッションとかしてるとボーカルって手持ち無沙汰になるじゃないですか? それで芹澤が「暇だからギター持ってこようかな」って親父のギターを持って来たりして「芹澤、ギター似合わねぇな」ってみんなで言ってたんです(笑)。で、フィッシュとか他のバンドのライブを観てた影響もあって、「芹澤は鍵盤いいんじゃないの?」なんて話しをしてました。ある日楽器屋に中古のオルガンが売ってるのを見つけて“これ、芹澤に買わせよう!”って電話したんです。
芹澤 : 俺は鍵盤になるとは思ってなかったんだけど、「鍵盤やだよ、買わねぇよ」って言っておいて実は買って行ったらみんな驚くかな、って思ってた(笑)。
宮原 : 若い時ってなんだかサービス精神旺盛なんだよね(笑)。
芹澤 : で、その場でローン組んで(笑)。多分、ちょっとピンと来たんですよ。カッコよく思えたから。その当時、オルガンがカッコいいアーティストとかにみんなでハマってたのもあって。“オルガン、絶対カッコいいな”って。
――そのアーティストというのは?
芹澤 : ソウライヴにメデスキ(、マーティン・アンド・ウッド)、ジョーイ・デフランセスコとかですね。
宮原 : 当時、メロコアとかレイジ(・アゲインスト・ザ・マシーン)みたいなことを世の中がやってたときに聴いた「オルガンジャズ」が衝撃的だったんですよ。
芹澤 : そうそう。これは新鮮だ! 新しい!って。
――そこからボーカルを抜くことに違和感はなかったですか?
芹澤 : 抜くっていうか、ボーカルが入ってない曲を作っていって、それが楽しくて。
宮原 : “ボーカルを抜いた”っていう意識も特にないですね。
又吉 : どちらかと言うと、マイクを用意するのがめんどくさいからとか、そういうことだったりしたので(笑)。たぶん、そんなに歌を頑張ろうって思ってたヤツがいなかったんでしょうね。
芹澤 : 別にボーカリストに対してアンチ、ってわけではなくて、自分自身がそうなれないだけで。今も割とそうなんですよ。あんまり俺のことなんで誰も見てないだろう、って思って生きてるので(笑)。
4.デパートから武道館まで、どこでも楽しむ雑食性
大きなハコで、超満員のオーディエンスを前に演奏したい。それは音楽を志すミュージシャンたちに共通する夢だと思う。でもスペアザは、武道館公演を成し遂げた後も、クラブはもちろん、カフェやデパートでも演奏をしてきたし、小バコのステージにだって登場する。規模や設備では語れない、彼らのライブ観。
――これまで、路上から大ホールまで色々なところでライブをされていますけど、感覚的に優劣はないんですか?
宮原 : ないですね。全然ないです。
芹澤 : だって、両方めちゃくちゃ面白いからね。クラブで聴くときの低音は最高だし、野外の開放感も最高だし。
又吉 : 小さいハコで演ったときはお客さんとの距離が近いし、逆に大きいところで演るときには広くて見渡しがいいので、それはそれで気持ち良かったり。
宮原 : 例えば小さいバーとかでやると、ライブを何回も観てるオジサンとかが来てくれるので、プレイにものすごい反応してくれるんですよ。悪い演奏をしてたら何も言わないけど、良い演奏をしたら、「ワァ!」とか言ってくれる。もう、それが見えるわけじゃないですか。だから緊張感を持ってやれるし、大きいところも小さいところもどっちも楽しさがあるんです。
芹澤 : それに、1万人のあまり音楽に興味がない人たちがいるところより、10人のめちゃくちゃ遊び慣れた人がいる所の方がエネルギーがあるんですよね。だから歌舞伎とかってすごいんだろうなって思います。
宮原 : 観る側もプロだもんね。
芹澤 : 観る側も、実はすごいスキルが必要だと思うんです。別にハードルを上げてるわけじゃなくて、その方がより楽しめる。黙って聴いてるのももちろん正解だけど、そうやって参加していくともっと面白くなる。
宮原 : 俺たちみたいなバンドは、観る側もやっぱりそこが問われますよね。ボーカルで盛り上げるわけじゃないから。
宮原”TOYIN”良太(ドラムス)photo by 高田 梓
――個々で特に印象的だったライブはありますか?
宮原 : 横浜に(BUDDY)っていうバーがあるんですけど、そこに来てるお客さんたちが達人ばかりで。本当に良い演奏をしたら褒めてくれるし、良くなかったら何も言ってくれないから、すごく張り合いがありました。ここで盛り上がってくれるなんて、なんて楽器のことを知ってる人たちなんだろう、ってお客さんを信頼して演奏ができた。なんか今猛烈に思い出したので、言っときました(笑)。
又吉 : 変な話、曲を作ってるときに、例えば“ソロのここで盛り上がって欲しい”とか、自分たちの中では何となく思ってるんですけど、それがダイレクトにお客さんとリンクしてくるとすごく盛り上がる。そういうのが嬉しかったりしますよね。
芹澤 : だから大きさは関係なく、面白い場所があるなら、そこでやる意味が見いだせるならどこでも演奏したいですよね。
――逆に、ご自身が音楽を聴く理想的な環境や条件は?
宮原 : 環境か……難しいな。最近はやっぱり車の中でよく聴きますね。あと、昔、バイクに乗って延々と8時間、9時間外を走って、ひとりでずっとポストにチラシを捲くバイトをしてたんです。バイト中、ウォークマンで音楽を聴きながらやってたんですけど、そのとき聴いてた音楽って今でもすごく覚えてる。なんだか思い出深い時間でしたね。
芹澤 : 俺も思い出したんですけど、初めて野外フェスに行ったのがAIR JAMだったんですよ。野外でパンクとかがデカい音で鳴って、みんなが盛り上がってる様をみて、なんて楽しい場所なんだろうって思った。一緒にモッシュしてダイブして暴れて、なんだかそこで音楽の聴き方の概念が変わった気がします。フェスってものを初めて味わった瞬間でした。
又吉 : 僕はフジロックですかね。’99年の。そのタイミングで僕はずっとヘブン(フィールド・オブ・ヘブン)とか、オレンジコートとかにいて、一晩中好きな音楽を聴きながら寝る。お酒も飲んで、良い時間を過ごしてるな〜って思いながら、気がついたら朝になってる。
柳下 : 俺は若いときから行ってたんですけど、ブルーノートみたいな座ってご飯を食べながら観る場所が好きです。当時のお財布事情的には割高だったけど、おぉ……とか思いながら観たいアーティストが出るから行ってたんです。あのときは背伸びしてたけど、今は手が届くじゃないですか。自分の中でそういう変化があるから、未だに違う楽しみ方ができるんですよね。
5.ジャンルも世代も違う、多彩な才能とのジョイントワーク
SPECIAL OTHERS & 斉藤和義 「ザッチュノーザ」レコーディング時
これまでに2枚のコラボレーションアルバムをリリースし、楽曲ごとに異なるアーティストをフィーチャーしてその音楽性の広さと懐の深さを示してきたスペシャルアザース。コラボの足跡と、それを続ける理由。
――音楽活動を続ける中で色んなアーティストの方々にお会いされていると思うんですけど、一番感動したのは?
宮原 : 俺は昔、TM NETWORKしか聴いてなかったから、どこかのフェスで小室哲哉さんに会えたことですね。『RAINBOW RAINBOW』っていうすごく古いアルバムがあるんですけど、小室さんに会ったとき、「超大ファンなんです! 小学校のとき、初めて買ったCDが『RAINBOW RAINBOW』なんです!」って話をしたら、小室さんが一言「早いね」って言ってくれて。それだけで、もう嬉しくて嬉しくて。小室さんに声をかけてもらった、伝えられてよかった!って。すごい嬉しかったですね。
――すごくいいお話ですね。
宮原 : あと、岡村靖幸さんが別のフェスで歩いてらっしゃったとき、俺は楽屋の中にいて、窓越しに一瞬目があったんですよ。岡村さんにも特別な感情を抱いているので、そのときはめっちゃ緊張しました。逆にもう、話したくないんですよ(笑)。俺の中で想像上の“岡村ちゃん”でいて欲しいから。喋るのが怖くて(笑)。
芹澤 : 岡村さんは本当にイメージ通りの方だって聞くよね(笑)。俺はまたちょっと角度が違うかもしれないんですけど、アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)かなぁ。僕らは彼らに初めてアリーナツアーに誘ってもらって、ロック好きな人たちにも知ってもらえたってところがあるんですけど、それまでは、日本のロックを積極的には聴いてなかったんですよ。だけど、そのアリーナツアーでアジカンがみんなをものすごいボルテージで支えてる姿をみて、むちゃくちゃ感動したんです。“これは何物にも代えがたい、素晴らしい音楽をやってるぞ”と。アジカンと、あとモンパチ(MONGOL800)にそれをすごく感じました。一緒に演った方々の中でも、その2組はみんなが心から感動できるキラーチューンを持っていて、会場がひとつになって揺れるんですよ。その純度の高さに感動したし、みんながひとつになってる姿ってすごく美しいなと思えて。1万人とか2万人が、ひとり残らずそうなってる姿って圧巻なんですよね。本当に素敵でした。
又吉 : 僕はスピッツさんですかね。学生時代に本当によく聴いてたし、僕らにとっては雲の上の存在だったんですけど、対バンに誘っていただいて、何度かライブをご一緒して、打ち上げとかも参加させてもらったんですけど、本当に気さくな人たちで。僕らのことをすごく気に入ってくれてる様子で、それもすごく嬉しかったですね。
柳下 : 僕は海外の方なんですけど、ザ・スリップのブラッド・バーっていうギタリストが昔から大好きで。来日するたびに毎回観に行ってたんです。彼が使ってる機材を見て、弾き方も観て覚えて帰ろうって。で、その人と2005年にフェスで偶然一緒になったんです。会場を歩いてたら彼がいて話しかけたんですけど、もうテンション上がっちゃって(笑)。「あのアルバムのあの曲はなんのギター使ってた?」とか、僕がギリギリの英語で聞いたら教えてくれて。その2、3年後くらいに一緒にライブをしたり、対バンができる機会があって、「機材が調子悪いから貸してくれないか?」って言ってくれて俺の機材を貸したりしました。ギターキッズとしてはもう本当に嬉しかったです。
――みなさんには発信者側になってもリスナーのような感覚がすごくあるんですね。
芹澤 : 確かにそうかもしれないですね。DJ的な観点がずっとあるのかもしれません。バンド自体がDJみたいな感じで、自分らの曲を曲紹介してるような。
――スペアザが色々なアーティストコラボを続ける理由をあえて挙げるとしたら?
宮原 : 単純にボーカル向けの楽曲を作るっていうのが楽しいんですよね。スペシャルアザースとして作っていても、どうしても“歌が入ってたら良い曲なのにな”とか思う曲ができたりするんです。そんなときはやっぱり歌って欲しい。ボーカルが入ってくる楽しさが、コラボにはありますね。
又吉 : そのために、わざわざとっておいた曲とかもありますからね。
――逆に、コラボをする上で難しさはどんなところですか?
柳下 : 内容というよりオファーとかその辺が一番難しいですね(笑)。やりたい! って思っても必ずできるものではないし、お互いのタイミングやスケジュールが合わないこともあるから。
芹澤 : 一番難しいのはオファーのための電話をかけるときですね(笑)。なんと言って電話をすればいいのかわからなくて。そのとき、俺はたまたま(ストレイテナー)のホリエ(アツシ)くんと(ACIDMAN)のオオキ(ノブオ)くんと仲が良かったから、とりあえず言ってみよう! と思って。だけど、何時にかけたらいいかわからなくて、結局朝10時に掛けて(笑)。飲んでるときに言うことでも無いし、昼は忙しいしなぁって。電話の第一声は、「ちょっと、大切な話があって……」でしたね(笑)。
SPECIAL OTHERS & RIP SLYME「始まりはQ(9)CUE」 レコーディング時
――ではズバリ、コラボの醍醐味は?
宮原 : 音を投げて、歌を入れてもらって楽曲が僕らのところに返って来る時ですね。最高に楽しみです。
柳下 : まったく想像もしてなかったメロディーが乗ってきたりすることがあるし、もう本当にみなさんの才能に脱帽してます。僕らがインストバンドだからこそ、これは楽しめるのかなって思ってます。
SPECIAL OTHERS & 斉藤和義 – 「ザッチュノーザ」MUSIC VIDEO SHORT.
「始まりはQ(9)CUE」 SPECIAL OTHERS & RIP SLYME
6.徒然なるままに、彼らの日常会話
やっぱり、どこまで行っても彼らは仲の良い旧友だ。クールなステージからはちょっと想像しにくい、素の4人組のとりとめのない雑談やグループLINEの中身をちょっと覗き見。
――今日の撮影中は又吉さんのつくったカレーの話とかをされてましたけど、普段みなさんどんな話をされてるんですか?
宮原 : 音楽の話はもちろんしますよ。機材の話とか。あとは普通にメシの話とかですね。「クラッカーにスモークサーモンとクリームチーズ乗せたらめっちゃウマいんだぞ!」とか言ったら、「それ当たり前だろ」みたいな(笑)。
柳下 : 生活のすべての話をしてるよね。
宮原 : 「バスマット、どれがいいかな?」って。「今なら珪藻土だよ」ってね。
又吉 : 「便利グッズがあるんだけど、これどう思う?」とか。
宮原 : 時代的に何が流行ってるとか。もちろん若手バンドの話なんかもしますしね。
――年下の世代で気になる日本のアーティストってどういう方々なんですか?
宮原 : Yogee New Wavesのメンツは好きですね。MCとかも超面白いですし、人柄もいいし、音楽もカッコいい。
芹澤 : う〜ん、yahyelですかね。彼らは本当にカッコいい。端から端まですごく良い音。自信満々だし、その自信分だけちゃんと良い音が出てるから。
柳下 : 僕は、最近一緒に対バンしたんですけど、Yasei Collective。同じインストバンドとして意識する存在というか、俺らなんかよりもっと上のステージに行って、牽引してくれないかなって。人間的にもすごく良い人たちだし、ガツガツしてるところはガツガツしてるし。そこがすごく好きです。
又吉 : 僕はあえていうなら、サイプレス上野とロベルト吉野。横浜つながりで、僕らがバーで演奏してるときに上野が飛び込みでラップしたりしていて。本当に頑張ってるし、良いものを作ってます。前、コラボをやったとき、こっちがせっついても全然レスポンスが返ってこなくて怒ったんですけど(笑)、そのあと彼らが謝りながらつくってきたものがすごくカッコよくなってて、それが作品になったんです。本当に熱い2人だし、これからも何かのタイミングで一緒にできたらいいなと思ってます。
芹澤”REMI”優真(キーボード)photo by 高田 梓
――マジメな話もやっぱりたくさんされてるんですね。人生相談とかもメンバー内でしたり……
♪〜(ここで芹澤の携帯が鳴る)
芹澤 : あ、ごめん、ちょっとインタビュー中です。
宮原・又吉・柳下 : 出んなよ(笑)。
――個人的にはすごく芹澤さんに出て欲しかったですけどね。
芹澤 : なんか、その空気感じたので。
宮原 : ホントかよ(笑)。
――日頃はグループLINEでやりとりされてるんですか?
又吉 : そうですね。グループLINEにおもしろ画像とか、投稿したりしてますよ。
芹澤 : “チキンラーメン”が“チラーメンキン”になってるやつとか、“クールガイ”って書いて上に“冷奴”って書いてあるTシャツとか。
又吉 : それはこの間みんなで集まってる時に、パッと載せて。そうすると、「なんだこれ?(笑)」って、話が一瞬盛り上がったりとか、その程度ですね(笑)。
7.音楽を、音楽のまま伝えたい
4月30日に開催された日比谷野外音楽堂でのワンマンライブ photo by 高田 梓
音楽に対する想いが色あせたり、気持ちが離れることは? そう訊くと、彼らは「ないですね」と即答する。4人が初めて出会った10代の頃から今までずっと、音楽は彼らの最大関心事項のひとつだった。今も原寸のままその情熱を維持し続けている彼らが、伝えていきたい音楽とは。
――音楽シーンを取り巻く状況は昔とはかなり変わってきていると思うんですが、音楽に取り組む上で難しさを感じたりはされますか?
芹澤 : いや、別に難しくなってないんじゃないですかね?
宮原 : うん、変わってないですね。意識もぜんぜん変わってない。自分たちの好きな音を出して、それが一個になってまとまったのが結果になって、っていうだけですよ。
柳下 : 受信側の色んな環境が変わってきただけで、発信者がやってることに関しては一切変わってないんじゃないかと思います。
宮原 : 特に自分たちの作品については、あんまり打算的に考えてないですしね。“こうしたらウケる”とか、そんなことは全然。
芹澤 : そもそもこっちが変わっちゃったら、元も子もないんじゃないかなって思うんです。世の中が目まぐるしく変わっていく中で。もちろん、単純に時代に沿ってやっていった方が良いこともあるだろうけど、前向きなものしかやりたくないんです。“これがこうなってしまうから、やらなきゃいけない”みたいなものは好きじゃない。楽しくないじゃないですか。バンドを楽しんで、それで生活できるようにと思ってやってるのに、そこで後ろ向きになってもしょうがない。
――音楽にはサウンドや作品以外にもパフォーマンスやファッションとか、色んな付加価値がついてくると思うんですけど、それは皆さんにとってはあまり重要ではないですか?
宮原 : そういう付加価値はね、完全に必要なんですよ。その全部が一個になってバンドなので。もちろんセールスを求めるなら、異性にモテる人がいた方がいいだろうし、服がダサすぎても絶対面白くないと思う。例えば、俺たちがダサい紳士服みたいなのを着てたら、絶対雰囲気違うじゃないですか? だから、絶対に関係あるんですよ。ファッションや見た目も。
芹澤 : “ダサい紳士服”ってヤバいね(笑)。
又吉 : 例えば、僕らはステージに並んだときにドラムが一番横にいて、横向きになってるんです。それってなんでかというと、お客さんが視覚で楽しめるからなんです。せっかくライブを観にきてるんだから、そういう所も見せたいなって思います。音楽を聴くだけじゃなくて、視覚的にも楽しめるように。僕自身、たまたま好きなバンドがドラムを横に配置してたりするのを見たとき、“見えてる方が楽しいんだな”って思った経験があったから。
4月30日に開催された日比谷野外音楽堂でのワンマンライブ photo by 高田 梓
芹澤 : ちょっと角度が変わるんですけど、やっぱりカルチャーが大事だと思うんですよ。ファッションも音楽も、すべて絡み合っているものだから。ビースティ・ボーイズがグランドロイヤルっていうレーベルを立ち上げて、スケボーのランプが置いてあるスタジオで遊んでて、それってカルチャーじゃないですか。ただひとつだけ、何か他の要素が音楽を超えてしまう場合が、俺はつまんないなと思うことが多くて。たとえばファッションありきの音楽とかね。“音が楽しい”の領域をそのほかの要素が超えてる姿を見たときに、ちょっと冷めちゃう。だから全ては“音楽ありき”。自分もそうでありたいと思ってるし、ストリートカルチャーってそういうものだと思うんです。音楽を楽しむことを頑張った人たちが生み出したのが、ヒップホップだったりレゲェだったりすると思うんですけど、彼らは音楽を楽しむことにいつだって集中するわけじゃないですか。 そういうものは美しいですよね。
SPECIAL OTHERS ACOUSTIC 2nd Full ALBUM 『Telepathy』ジャケット写真
――今回、SPECIAL OTHERS ACOUSTICの名前で2枚目のアルバムが出たわけですが、そもそもアコースティックの楽曲を演奏しようと思ったのも、そういう思いが根底にあったんですか?
宮原 : いえ、そもそもリリースする前からオファーをもらってたんですよ。「アコースティックで演奏してよ!」って。で、ちょっとしてるうちに、“もっとこうした方がいいんじゃないか?”っていうのが出てきて。あと、マイス・パレードが来日したときにアコースティックの編成だったんですけど、しんみりした音なのかなって思ってライブに行ったら、全然真逆で。こういうアコースティックもあるんだ! っていう経験をして。その2つが大きな要因だと俺は思ってます。特に、マイス・パレードのライブの帰りには「あの楽器入れようぜ!」とか、みんなで話してましたし、そこで買い揃えた楽器で曲を作り始めたのが最初ですね。
柳下 : そもそもデビューしたての頃から、アルバムに1曲はアコースティックの曲を入れてたんですよ。そういうのも結構蓄積してましたからね。
芹澤 : それでスタジオに入ってみたら、びっくりするくらいうまくいった。「これ、やばいんじゃない?」って盛り上がってたんですよ。“もう、アコースティックしかやりたくない”ってテンションになるくらい(笑)。
――だからアーティスト名を別立てするまでに至ったんですね。
芹澤 : “これはもう、別バンドにしたほうが良いぞ、クオリティ高すぎるぞ”、って、自分たちの音楽で盛り上がってたんです(笑)。
――そういう確信って、やっぱり得られるものなんですね。
芹澤 : ありますね、やっぱり。
――逆に、意外と世間の評価が良かったな、ってこともありますか?
又吉 : ありますね。『AIMS』って曲は、正直、人気になるような曲だと思ってつくってなかったんですよ。むしろ当時はライブの一番最初に演奏するような曲で。でも、そこからどんどん人気が出たから、今となっては不思議だなって思います。
宮原 : その点アコースティックは確信が持てたから、名前も編成も変えてやった方が良いなと。
SPECIAL OTHERS ACOUSTIC 「STEADY」MUSIC VIDEO
――新アルバムの『Telepathy』では、通常のスペアザのアコースティックカバーなんかもされてますよね。
又吉 : はい。だから元の楽曲とアコースティックの聴き比べをして楽しんでほしいですね。
芹澤 : あとは、ギターを良太が弾いてる曲があるんですけど、1周目は漠然と聴いてもらって、2周目はブックレットのクレジットを見ながら、どっちのチャンネルに良太とヤギのギターが入ってるかとか、俺とか又吉がどこでパーカッションをいるのかを、ブックレット見ながら聴いたりしてくれたら楽しいかもしれないです。
宮原 : ちなみにオーバーダビングしてないので、4人がいっせーの、せ!の一発で演奏できる音なんです。そういう面も踏まえて聴いてほしいですね。
芹澤 : 曲を聴いていても、演奏してる姿が想像できると思うんです。それをで答え合わせができるというか。
――なるほど。オーバーダビングをしていないのは、ライブでそのまま演奏できるようにという考えもあるんですか?
宮原 : それもありますね。昔からあんまりオーバーダビングはしないんですよ。楽器やってる身としてはライブで表現できるアレンジが面白いから。5人目の演奏者が必要になるような音作りをしちゃうと、なんかちょっと冷めちゃうんです。やっぱり4人でできる曲がこのバンドらしいなと思ったし、そうしたいという信念があったので。
――では最後に、バンドとしてこれまでとこれからの目標は?
柳下 : あんまり無いんですけど(笑)、昔は毎年前年の1.2倍くらいの達成感を得られていたらいいなって思ってました。2倍、3倍って大きく求めるとパンクしちゃうので、それくらい堅実に行けたらいいなって。明確な目標ってものは無いっちゃ無いですね。武道館とか、そういうところでやりたいとかは言ってたけど。武道館でも演奏できて、東京ドームで演奏してるBUMP OF CHICKENのライブ写真なんかを見ると、広くてカッコいいし、やりてぇなぁとは思うんですけど、特に目標にはしてないかなぁ。
宮原 : 目標っていうか、カッコいい音楽がつくれて、それを世に出して、みんなの反応が返ってくるのが楽しい。今は本当にそれだけですね。特別大きな目標はないです。どっかでアラブの石油王とかの耳に入って、ものすごいお金とかをくれたら嬉しいですけど、そんなもんですね(笑)。そんな真面目に考えてないんだと思います。
又吉:今までも、全部おぼろげに思ってるくらいでしたしね。それこそ’99年にフジロックのライブにみんなで行ったときに「いつかここに出られたらいいよね」って話たりしてたんですけど、その願いは数年後に叶ったんですよ。だけど、そのために動いてたのかって言うとそうじゃなくて。自分が単純に好きな音楽をつくって演ってたっていう結果が繋がってるだけなんです。だから毎日自分たちが信じてるものっていうのは、続けていれば何かしらの形で辿り着くんじゃないかなと思います。
芹澤 : 願いによるよね。俺、佐々木希が好きだったけど結婚しちゃったし、それは叶わなかったもん。
宮原 : 何の話だよ(笑)。
((プロフィール))
ドラムの宮原”TOYIN”良太、ベースの又吉”SEGUN”優也、ギターの柳下”DAYO”武史、キーボードの芹澤”REMI”優真から成る4人組のインストゥルメントバンド。高校の同級生たちが集う形で、’95年に結成し、ライブを重ねながら卒業後にはオリジナルの楽曲制作を始める。2006年、ミニアルバム『IDOL』でのメジャーデビュー以降は、各地のフェスでも音楽好きたちにその名を知らしめることとなる。名だたるアーティストとのコラボレーションのインパクトなども手伝って、その人気と存在感を不動のものとした。楽器を持ち替えたスペシャルアザース アコースティックとしては2枚目となるフルアルバム、『Telepathy』を5月16日にリリースし、現在はリリースツアー開催中。美術館のロビーや洞窟内のカフェなど、会場のセレクトも趣向を凝らしているので、そちらも必見。
<SPECIAL OTHERS 公式サイト>
http://www.specialothers.com
<SPCIAL OTHERS 公式SNS>
Twitter / Instagaram / Facebook / Youtube
SHARE
Written by