8時出社、17時帰宅。ラップの仕事は、ない
ーーそれで21歳の時(2005年)、遂にB-BOY PARK MC BATTLEで優勝。だけど、それ以降しばらくバトルから離れてたんですよね?
はい。一度MCバトルで優勝したらもうやらないっていう流れがあって。プロはフリースタイルはやらないっていうご時世だったんですよ。だから俺も例に漏れず調子に乗ってそういう風にして。
ーーそこからの数年間、かなり苦労されたそうで。
周りに自分のクルーしかいないし、レギュラーイベントもやってなかったから全然仕事がない。1年間で仕事が1本もなかったこともありました。しかも急にですよ? B-BOY PARKにも呼ばれなくなった。でも、それはちゃんと繋がりを保ってなかった自分が悪いんですけどね。だから、その頃は普通に仕事してました。郵便配達。
ーー屈辱的な日々を過ごしてたんですね。
かなり屈辱でしたね。8時に出社して、5時に帰ってくる。ラップの仕事は1本もない。でも、ラップは辞めたくなかったから自分でレーベルをやってミックスCDや新曲を出したりしたんですけど売れない。本当に需要ねぇなって。それで「フリースタイルバトルで優勝するしかない。それしかない!」って思い始めるんですよ。
今さら何しに来てんだ、おめぇ
ーー2005年からかなりのブランクがあって、そこから改めて周りに自分を認めさせるっていうのもなかなか大変な作業だったんじゃないですか?
今思うと大変でしたね。ゲロ吐きたくなるような悪口言われまくりましたから。「今さら何しに来てんだ、おめぇ」とか、日常茶飯事。
ーーだけど、2010年から見事にUMB二連覇を果たしました。
2011年は東京予選で一度負けたんですよ。だけど敗者復活戦を勝ち抜いて、あれよあれよと本選の決勝まで進んで。この日はすごく調子が良くて負ける気がしなかったんですよ。そんな勢いもあって優勝できました。次の年は負けてしまったんですけど、その時に「(UMB予選の)司会をやらないか?」っていうお話をいただいて。
ーーそういう流れだったんですね。
それで、司会として全国を回るようになってから、初めて自分の存在意義を見出だせるようになったんですよ。改めてヒップホップが好きになったというか。UMBは全国32ヶ所で予選があって、とんでもない土地にも行くわけですよ。例えば、和歌山県なんて河川敷にライブハウスがポツンとあるような場所で予選があるんですけど、そんなところにもエントリーが何十とあって。その中で一番になった奴に「東京でも頑張ってきてくれよな!」って他のラッパーが声をかけてたりして、そんな様子を見てたら「チャンスを与えてるんだなぁ」と。そういう可能性のあるMCバトルが好きだし、それに携われることはうれしいし、何より「ヒップホップやべぇな」って。
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